2017年8月10日 第32号
沖縄からバンクーバー公演のために来加した3名、そして公演オーガナイザーの花城正美さんが8月3日、在バンクーバー日本国総領事館を訪れ、岡井朝子総領事と面会し、翌日の公演の紹介を行った。来加メンバーは創作芸団レキオスの副団長の伊波史也さん、琉球舞踊団「飛琉 - HARU」代表の宮城恵子さん、舞台監督の松田雅之さんだ。そして案内役の花城さんは、バンクーバー沖縄太鼓の代表者であるとともに、世界エイサー大会からエイサーの世界普及を任命された大使でもある。
(写真左から)松田雅之さん、花城正美さん、伊波史也さん、岡井朝子総領事、宮城恵子さん
沖縄から世界に広がるエイサー
太鼓を叩きながらエネルギッシュに舞う沖縄のエイサー。見る者は言う。「チムドンドンする」。チムドンドンとは沖縄の方言で「胸の中が熱くなる」という意味である。創作芸団レキオスは、伝統エイサーを大事にしながら、現代の沖縄音楽を取り入れたエイサーを創作。活動を開始して今年で20周年となる。世界中の数多くの人々をチムドンドンさせてきたグループ、エイサー界の憧れの存在だ。
エイサーの名称の由来には諸説あるが、その一つは踊る時の「エイサー、エイサー」との掛け声から来たというもの。そして踊りの起源は、沖縄で仏教を広めようとした僧侶が、太鼓を打ち鳴らし念仏を唱えながら踊ったことにある。そしてエイサーは、本州での盆踊りのように沖縄で先祖供養の舞いとして踊られてきた。それが発展する中、地域地域の個性を表現する過程で創作的なものとなったという。今やエイサーは、日本全国、そして世界のあちこちに広がりを見せている。
「セーフコ・フィールドにイチローがいた頃に企画されたジャパン・ナイトでは、シアトル・マリナーズの試合の前に、エイサーのパフォーマンスを披露したこともあります」と花城さん。
演舞を競い合う大会もあり、世界エイサー大会もその一つ。ここでレキオスは3連覇を果たした。
沖縄の伝統芸能を次世代につないで
日頃、レキオスも飛琉も、次世代への伝統芸能の継承に力を入れ、幼稚園や小学校での指導活動を行っているほか、レキオスの元には全国からエイサー合宿にやって来るチームもいれば、レキオスのメンバーが地方のチームに指導に行くこともあるという。またすでに世界20カ国で公演歴がある。今回出演する若手メンバーは両グループとも20 代中心だが、レキオスは小学生、飛琉は2、3歳から芸を始めているため、すでに芸歴は20 年のキャリアがある。
ちなみにレキオスとは「琉球人」の意味。ポルトガル人トメ・ピレスが、著書『東方諸国記』(1512〜15年)の中で、琉球王国の人々のことを、武器を手にせず平和を愛する友好的な人たちの意味でレキオス(扇のかなめ)と表現したことにちなんでいる。
バンクーバー公演実現の経緯
5年前、花城さんが出席した世界ウチナーンチュ大会(沖縄にルーツを持つ海外の日系人が沖縄に集まるイベント)でレキオスのパフォーマンスに触れて一目惚れ。なんとかバンクーバーで公演開催をと奔走した。イベント企画は発展し、レキオスと交流のある琉球舞踊団飛琉-HARU、そしてエイサーのお囃子である地謡(じかた)を担当する三線奏者の松川慶介さん、我部隆斗さんも舞台に上がる運びとなった。そして総領事館ほか、多くの協力を得て、8月4日の公演にこぎつけた。
飛琉-HARU を率いる宮城さんは、琉球舞踊の歴史を「300 年前、琉球王室で始まった舞踊から受け継ぎ、明治12 年から庶民の雑(ぞう)踊りが踊られるようになり、近年になって創作舞踊が踊られるようになりました」と紹介。当日は、それぞれの舞いが披露されること、そして「踊り手の、はきものに注目を」と語った。はきものが赤足袋であれば宮廷の舞い、白足袋、裸足という順で王室との距離がわかるのだという。
岡井総領事は「明日のステージがより楽しめように」とゲストにいろいろな質問を投げかけ、沖縄方言が飛び出す説明に熱心に耳を傾けた。
この日、関係者から語られた言葉「伝統芸能をみっちりやった人にしか創作は踊れません」(宮城さん)、「毎日最低でも2 時間の練習をしています」(伊波さん)、「それもとても密度の濃い練習なんです」(松田監督)。翌日のパフォーマンスは、大いに納得できるものとなった。
(取材 平野 香利)