2017年4月20日 第16号

日系二世を中心に始まったカーリングトーナメント「BC二世ボンスピル」がブリティッシュ・コロンビア州リッチモンド市リッチモンド・カーリング・クラブで4月13日から16日まで開催された。今年は50周年を迎える記念大会。ブリティッシュ・コロンビア州を越え、北海道、アルバータ州、マニトバ州からもチームが参加、オンタリオ州やアメリカ・イリノイ州からも選手が参加し、計64チームが日頃の練習の成果を競い合った。

13日に行われた開会式には、岡井朝子在バンクーバー日本国総領事、カーリング女子日本代表コーチを長年務めたフジ・ミキさん、世界カーリング選手権で2000年に優勝したカナダ代表メンバーのブライアン・ミキさんが出席。さらに日本からは、貝森輝幸日本カーリング協会会長、2016年世界女子カーリング選手権日本代表銀メダルの吉田知那美さんも参加。50周年という記念大会に、日本とBC州のカーリングを通じての交流をさらに深める機会となった。

 

開会式で岡井総領事を囲んで(中央は岡井総領事)2017年4月13日

 

日系カーリングコミュニティの親交が目的

 ボンスピル実行委員会ロイ・ムラオ委員長は、「大事なことは勝敗ではなく、こうして日系コミュニティがみんなで集まってカーリングを楽しむこと。これが一番大事」と語った。

 50年も続いた秘訣はそこにある。今年優勝したチームのスキップ、サイトウさんも「優勝したことよりも、友達に会いに来る、日系コミュニティのみんなにこうして会えるというのが楽しい」と笑った。「みんなで作り上げている大会」だからだ。

 日本からは北海道から4チームが参加。一行は合わせて24人。北海道は日本でも最もカーリングが盛んな地域。「楽しませてもらって、みなさんといい交流して、こちらの方に(次は)日本に来ていただけるようにと思っています」と貝森会長。毎年は来られないが、数年に一度は参加しているという。BC州の日系カーリングと日本のカーリングは関係が深い。日本のカーリングが現在、世界トップレベルで活躍できるのも、BC州日系カーリング界の支援があればこそだ。カーリングの草の根交流を通じて世界へと通じる扉を開いた力は大きい。

 岡井総領事は開会式で、日本とカナダのカーリングの関係についてこれまでほとんど知らなかったので勉強したと語った。その中で、BC州日系カーリングコミュニティがサポートしてきたことや、つながりが深いことを知ったと日系カーラーを前に笑顔で語った。

 開会式後には氷上でミキさん、吉田さんの日本代表コンビからカーリングを伝授された。「ずっとテレビだけで見たことがあって、どうやってやるのかなって疑問に思っていたのをじかに見て、指導もしてもらって、うれしかったです」と満面の笑みを見せた。

 

フジ・ミキさんに功労章

 日本カーリング協会からフジ・ミキさんに功労章が贈られた。ミキさんは1999年から日本のカーリングに関わっている。カーリングが正式種目となった長野五輪開催の翌年だ。

 それから女子日本代表のコーチを務める。2002年ソルトレイク五輪から、2006年カーリング娘旋風を巻き起こしたトリノ、2010年バンクーバー、そして前回2014年ソチまで、日本女子カーリングを世界トップレベルまで押し上げた張本人と言っても過言ではない。

 それを言うと、「別に自分がやったわけでない。選手自身がやったこと。言えば、我々で成し遂げたこと」と照れて笑った。

 昨年、コーチ業は引退した。それを機に今回、日本カーリング協会がミキさんの功績に感謝を込めて功労章を授与。貝森会長は、「ほんとに日本のカーリングが強くなったのは、ミキさん(のおかげ)であり、今の(コーチ)リンド・ジェームズさん、レベルの高いカナダから招致して、なんとかようやっと(今のレベルに)。まだ追いついてはいないけど」と笑った。

 ソチ五輪5位、昨年世界選手権銀メダルの吉田さんは、以前ミキさん宅に滞在し、バンクーバーでカーリング留学をした。この大会にはソチ五輪前に参加し、「ボコボコにやられたんですね」と笑った。その後、日本カーリング史上最高位でソチ五輪を終えた後には「『おれたちが君たちを破ったの覚えてる』っていっぱい言われて」と声をあげて笑った。「ここの人たちに育ててもらってるようなもんだったので。ここの人たちの声援だったり、背中を押すように本気でかかってきてくれる、その温かさに、私ももう一回オリンピックに向けて、がんばろうって思いました」と感謝した。

 ムラオ委員長も、「知那美もここでトレーニングしたんだよ。フジが日本チームをコーチしている時は、バンクーバーで練習して、アルバータ、サスカチワン、マニトバの大きな大会にも出場して。それで自分たちのカーリングを見つけたんだ」とよく知っている。

 昨年の世界選手権は「もちろん見たよ。知那美が出てたしね。日本人が出てれば、もちろん見るよ」と誇らしげだった。

 ミキさんはコーチ業を引退したとは言っているが、復帰する可能性が残っている。2014年札幌で、いいジュニア選手に出会ったという。今回どうやらその時の選手から手紙を受け取ったようで、頼まれれば「やると思う」と確信を持って応えた。コーチ業が大好きな75歳。まだまだ復帰はありそうだ。

 

日本代表、男女ミックスダブルスと平昌五輪出場へ

 男子は長野以来の五輪出場が、今大会直前に決まった。成田での記者会見を済ませて、そのままバンクーバー入りした貝森会長。「おかげさまで」と満面の笑みを見せた。長野では開催国枠だった。今回は実力で勝ち取った五輪。ようやく男子も世界に追いついた。「カーリングも、ようやく冬季五輪で注目してもらえる競技になりました」。実感だろう。

 ミキさんに現在の日本代表について聞いた。女子は「世界のどのチームとも互角に戦える実力がある」と太鼓判を押した。世界一と言われるカナダも破っている。男子については、「世界7番か8番くらい。すごく良くなったがまだまだ発展途上」。カナダと比べると、経験、技術、そして国内でのライバルが必要。「カナダで数カ月トレーニングすると良くなると思う」とも語った。

 日本国内では男子は現在SC軽井沢クラブ一強。 女子は、中部電力と吉田さんが所属するLS北見が今年9月、五輪出場権をかけて対決する。「オリンピックに向けて今、着々と準備をしているところです。シーズン終わったばっかりなので、しっかり休んで次に向けてエネルギーを溜めてるところなので、私も今回ここに来ていっぱいカーリングに対するエネルギーをもらって、また帰って頑張ります」と笑顔を見せた。中部か北見か?ミキさんの予想は、ここでは伏せておく。

 一方で、日本カーリング協会傘下となっている日本チェアカーリング協会のチェアカーリングは、どうやらパラリンピック出場は難しいらしい。力を入れてはいるが、なかなか成績が付いてこない。選手のリクルートや練習場所の確保など、こちらはまだまだ課題が山積み。「頑張ってますけど、なかなか成績が残せないです」。チェアカーリング日本代表はバンクーバー・パラリンピックに出場。当時から厳しい国内環境を選手たちが語っていた。それでも3勝という成績を残している。

 

BC二世ボンスピル

 50周年を迎えた同大会。きっかけは、BC州に散らばる日系カーラー(カーリングをプレーする人)から有志が集まって、BC二世カーリング・アソシエーションが結成されたことによる。1967年にはBC州中南部の町グリーンウッドとミッドウェイで大会が催され、この成功を機に毎年開催されるようになった。

 ムラオ委員長によれば、当時から二世カーラーは多かったという。ただBC州各地に散らばっていたため、日系二世で集まって試合を行うことはそれまではなく、何かの大会で機会があるたびにお互いに存在を知り、有志によって大会が実現したと聞いていると語った。 参加資格は、日系人、日本人、そしてその家族。その辺りは年代と共に対応している。

 開催地はBC州で持ち回っている。バンクーバーの他には、現在はカムループス、バーノンで行われている。以前はケローナやホープでもやっていた時期もあった。

 ムラオ委員長も大学生時代から参加していたカーラーのひとり。50年経っても参加チームが増えているのは、最近のアマチュア大会では珍しいらしい。どこも減少傾向にあるという。25周年大会では72チームが参加。日本からは北海道、東京、長野から11チームが参加した。今回64チームなのは、これ以上増やすと大会の運営に支障をきたすという理由からで、参加希望チームが減少しているわけではない。

 来年はカムループスで行われる。サイトウさんは「ぜひカーリングに参加してください。来年、一緒にカムループスに行きましょう」と笑顔を見せた。

(取材 三島 直美)

 

優勝チーム:チーム・サイトウ ウェイン・サイトウ、ランディ・タナカ、ロジャー・オオバヤシ、キャロル・ベイスリー
2位:チーム・ニシ ベン・ニシ、タイラー・プロクター、カースティン&マイク・ヒガシカワ

 

(左から2人目)岡井総領事カーリングに挑戦!終わったあと、なんとかうまくいって「安堵しました」と笑った。左端はミキさん、右から2番目は貝森会長。2017年4月13日

 

日本カーリング協会から功労章を受け取るフジ・ミキさん(右)と貝森会長。2017年4月16日(写真提供:日本カーリング協会)

 

開会式での始球式の様子。手前はフジ・ミキさん。2017年4月13日

 

優勝のチーム・サイトウ。スキップのサイトウさん(左端)は40年、この大会に参加。優勝は初めて。「ぜひ参加してください。我々がサポートします」と参加を促した。 2017年4月16日

 

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