2017年新春特別号

2017年ビジネス界の現状と展望

ギリスのEU離脱ショックやアメリカ次期大統領に決定したトランプ旋風など、予想を裏切る事態が続出した2016年。明けて、2017年。不透明感漂い、何が起きるか…と不安を口にする人が多いなか、今の時代をどう捉え、どう乗り切るか…を読み解くため、グローバル経済の真っただ中で活躍する商社マンのカナダ三井物産バンクーバー支店長の佐野亨さんにインタビューした。

 

カナダ三井物産バンクーバー支店長・佐野亨さん

 

<挑戦と創造>

今後のビジネス界も『不透明感が増す』と、よく聞かれますが、実際にグローバルなビジネス現場に身を置かれていて、どのようにお感じになりますか?

 私に確たる先読みがあるわけではありませんが、私たち三井物産には、どのような状況にあっても「新しいことにチャレンジし、変化をもたらしていく」というDNAが流れています。社是にもなっている<挑戦と創造>です。

変化のスピードが早い現代ですから、躊躇などしていられない…挑戦と創造の精神を土台として、新しいことに果敢にチャレンジしていけばおのずと道は開ける…と。

 その始まりは、1673年、三井グループ発祥の祖となる呉服商『越後屋』を創立した三井高利が「しきたりを破り、新しいことを創造した」精神です。それまでの一般的な呉服の売り方を破り、新しい商法にチャレンジしました。『見世物商い』という注文を先に聞いて後で商品を届ける、また、『屋敷売り』という品物を顧客宅に持ち込んで売るというやり方を、『店前売り』という店舗で販売すること、そして、それまで支払いは『盆暮れのツケ払い』だったものを『現金、掛け値なし』で安くし、さらに一反売りを『切り売り』にして買いやすくしたのです。この越後屋が後の三越百貨店です。今では当たり前のことですが、当時は、画期的なことでした。

これがヒットし、財を成し、様々な事業に発展してきたわけですね。

<商売と投資、事業の連環>

 越後屋で財を成し、銀行業が本業になりました。一方で、1876年(明治9年)には、旧三井物産ができ、コメ、茶、肥料、武器などの輸出・入をし、明治政府・経済を支えました。実は、これがコミッション・ビジネスの始まりでした。翌年の1877年には、当時、国営だった九州の三池炭鉱から石炭の販売支援を依頼され協力し、販路拡大をしました。上海やシンガポールへ代理店的に石炭を輸出し、売りまくりました。1888年に民営化になり、払い下げを受け、三井鉱山となりました。これで、三井銀行、三井物産、三井鉱山の三本柱ができ、戦後のエネルギー転換で石炭の使用がなくなるまで、三井グループの中核を担っていました。それぞれの三井グループの事業体が関係する取引先や事業者とのネットワークも生まれ、情報や知見が蓄積し、さらに投資、事業開発と、連環していきました。戦後、財閥解体が行われるわけですが、1958年に、それまで培ってきたフィロソフィーやDNAを継承しつつ、全く新しい三井物産が誕生しました。日本への食料や石油などの資源の輸入、そして、日本から鉄鋼、自動車など製品の輸出を行い、日本の高度経済成長を支えてきました。

<日本で培った挑戦と創造の精神を土台に、グローバル化は、さらに…>

まさに、日本の高度経済成長の尖兵としてグローバル化してきた歴史ですね。

 地理的なグローバル化と同時に当社のビジネスエリアもグローバル化し続けています。地球上のあらゆるモノ、コトに関わりを持って、輸出、輸入の両面を行っている総合商社です。例えば、自動車の例ですと、1967年にカナダ・オンタリオ州に当社単独で自動車を売る会社を設立。マーケットとしては未開でしたが、販売網を築き、現在も某日系自動車メーカーの販売の中核として残っています。日本からいえば、自動車の輸出、そして、日系自動車メーカーのカナダ工場が稼働すると同時に、自動車のパーツや機械、プラスチック、鉄板などの調達もついて回ります。一方、カナダからは、金属、石炭などの資源の輸入と同時に、日本からは、オイル採掘のためのパイプなどを調達しています。それも日本で培ってきた知見がべースにあってのことですね。そして、穀物などの食料を日本へ送っています。小麦や、菜種は、このバンクーバー支店で取り扱っています。小麦は、ここバンクーバーからタイやフィリピンへ、日本を通らず直接送っている場合もあります。三井物産がカナダから直接世界各地へ送る、いわゆる三国間貿易が増加しています。また、自動車のようにカナダで作りカナダで売る、その地場でビジネスが完結するビジネスモデルもあります。

立ち位置によって、輸出とも輸入ともいえる。また、あらゆるモノとコトに関わり、国境やビジネスの境界線が消えていくのですね。

 先日、和歌山県から柿をバンクーバーで販売したいという農協の方々がお見えになり、「実はわたしたちは、三井物産とは、関係があるのです。柿が輸送の間に熟し過ぎないようにする薬剤を御社にお世話いただいているのです」とおっしゃる。このように、一見、無関係のようなところにもつながりがあったりする。ですから、わたしたちのビジネスは、いかに情報やノウハウを詰めた『引き出し』を多く持っているかが勝負なんです。いたるところにビジネスチャンスがあり、それを逃さずすくい上げ、ビジネスにしていける知見と工夫が必要なのと、そのビジネスアイディアを実現するためのネットワークの蓄積です。

今でこそ、グローバルな見識が必要といいますが、三井物産の歴史そのものがグローバリゼーションの塊のようなものですね。

 1876年の旧三井物産ができて以来のものですね。約150年の間に蓄積した知見やネッワークを土台に、さらに挑戦していかなければならない宿命を私たちは背負っているようなものです。これまでのグローバリゼーションは、日本を中心に海外への輸出入を指しますが、これからは、先ほど述べたような三国間貿易、その地場で完結するビジネスが増えていくものと思います。日本にこだわらず、その地の人が中心になって、人、モノ、コトが構築された地場のビジネスを築いていく…さらなるグローバルなビジネスの視点で挑戦し、新しいビジネスモデルを創造するのが、次なる目標です。

2017年のビジネス界の展望はいかがですか?

 アメリカのトランプ次期大統領が選挙中に発言した内向きな政策が心配されますが、多少の変化はあっても多国間のフリートレードの流れは、継続していくものと思います。むしろ変化は、チャンスと考えるべきだと思います。

ここバンクーバーに赴任されてどのぐらいですか?佐野さんの略歴なども含めてご紹介ください。

 着任して1年半になります。ここの前が、ポートランド、メルボルンでの海外勤務を7年間、その前は東京本社、福岡支店に勤務していました。兵庫県出身で48歳。京都大学を卒業後、1991年に三井物産に入社しました。学生時代はラグビーに夢中でしたが、社会人になってからは、ゴルフを始めて苦しんでいます。また、最近、空手をはじめましたが、骨折してしまいお休み中です。

バンクーバーの印象、そして、日系コミュニティへひと言

 まさしく人種のるつぼ。可能性のある街だと思います。誰もが思うことでしょうが、自然と近代的な都市生活がマッチした街ですね。この街で頑張り、ここに根を張ってこられた日系の先輩方がつくられたコミュニティと、次世代の経営者・起業家とワーキングホリデーや留学などで滞在している若い人たちとの橋渡し役のお手伝いができれば、と思います。

貴重なお話をありがとうございました。何か、霧が晴れたような気持ちです。

(取材 笹川 守)

 

カナダ三井物産バンクーバー支店が取り扱う小麦と菜種を日本へ輸送するために積み込み作業をする3万5000トンのばら積み船(同社オフィスの窓から)

 

同社オフィスの窓からは、話題のトランプタワーも一望できる

 

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。