石巻市での活動

2人は石巻市北上町で約1週間、他の隊員たちと共に支援活動に従事した。がれきの撤去や、行方不明者の捜索、遺品の回収や、避難所の訪問などを行った。
地震発生からほぼ1カ月が経とうとしていたが、派遣された地域では復旧作業がほとんど進んでいなかったという。海岸沿いにあるこの町は、津波でほとんどの建物が倒壊。その中でもまだ人が生存している可能性が高い場所から重点的に捜索にあたった。
道路が復旧していない地域のがれき撤去は時間がかかる。重機が入っていないためにほとんど手作業となるからだ。持参したチェーンソーやのこぎりなどを使っての作業となる。気の遠くなるようながれきの山をひとつひとつ丹念に調べながら人を探す。生存者や遺体があった時に傷つけないようにと心掛けながら丁寧に作業を続ける。
作業中に見つけたものは被災した人たちに渡せるようにきれいに保管することも心掛けた。そんな中にカナダの景色が映った写真を見つけた。カナダ国旗のピンもあった。東北とカナダとの縁に触れて、胸に熱く込み上げるものがあった。
毎日、朝から晩まで作業に明け暮れた。その合間に避難所を訪問。積んできた物資を届けるためである。しかし、地域によっては、対策本部がしっかりと機能し、地震から1カ月ですでに物資も豊富にあり、復旧作業もかなり進んでいた地域もあって、かなり驚いたという。
復旧と支援の進行具合は、道路の復旧具合に比例する。道路が整備されていない地域ではがれきの山が残されたままで物資も不足しているが、整備されれば一斉に物資が運ばれ、作業も格段に進む。こうした現実の地域差は、現地を訪れて初めて知った。
2人は自分たちのできることをやっていくことに集中した。結局、行方不明者も遺体も活動した地域では見つからなかった。
13日に2人は一旦関東に戻った。小川さんはカナダ帰国のため、菊地さんは物資を調達するためである。菊地さんは17日に再び現地入り、現地消防隊員と活動にあたった。その間に、一日時間を取って石巻以外の被災地を回った。まだ物資が届いていない地域があれば渡そうと思ったし、他の地域も気になった。気仙沼、陸前高田、南三陸、どこもすでに防災対策本部が機能し、十分に足りているとの答え。日本の復興対策の充実ぶりを目の当たりにするとともに、地域格差に驚かされる一面だったと振り返った。
菊地さんは27日に活動を終え、一度埼玉に戻り、カナダに帰国した。
2人は活動の様子を伝える報告会を5月28日、バンクーバー市内で開催。支援者へのお礼を兼ねた報告会だった。余裕がなかった活動開始当初から徐々に日が経つにつれ精神的な余裕が出てきたところで撮影したという写真も披露した。プロジェクターに映し出される風景は、人々のたくましい姿と共に、テレビや新聞では見られない生々しい現実も映し出し、参加者の目をくぎ付けにした。
「帰国しても夢の中に出てくるんです」と2人は口を揃える。心の中に焼き付いた被災地への思いを抱えて、これからも支援を続けたいと語った。

 

子供たちの笑顔に励まされる

活動している中で感じたことは「五感に訴えかけられる」ということだったと菊地さんは語った。「とにかく、まず臭いがすごい。地震で下水が壊れ、汚水が潮に流される。それに重油の臭いなどが混じる。とにかくこれまでに嗅いだことのないすごい臭いだった」と語る。「自分たちは活動が終わればそこを離れるが、生活している人は大変だと思う」というのが正直な感想だ。
さらに、夜になると、海岸線からその区域一帯には何もないんだという状態を身に染みて感じるという。「建物がすべて崩壊して、海岸から何にも遮るものがないので波の砕ける音がすごい。夜は建物がないため明かりがなく真っ暗で漆黒の闇というのはああいう状態。真っ暗な中に波音だけが異常に近く響いてくる感じに、空恐ろしいものを感じました」と、画面からは想像できない体感的な状況を語った。
そんな状況の中でも、避難所や町で被災した人たちと話をすると、彼らはとても穏やかに話をするという。それが東北気質によるものか、これまでの被災経験からくるものなのかはわからないが、逆に自分たちが励まされる時もあったと笑った。
小川さんが印象に残っているのは子供たち。自身が2児の父親でもある小川さんは、避難所でぬいぐるみを渡した時の子供たちの笑顔が忘れられないという。「子供たちも、子供なりに我慢しているんですよね。でも、ぬいぐるみなんかを目の前に見せられるとやっぱり子供らしさが出るんです」。そんな子供たちの笑顔に大人もまた元気をもらう。そうしたほんの少しのことに自分たちが役に立てたことがうれしいかったと笑った。
「僕はまたあの子供たちに会いたいです。何年後になるかわからないですけど。成長した子供たちに会って、その時に、一生懸命頑張ってきた子供たちに負けないような支援を自分もこれから続けていきたいと思っています」と語った。

 

「風化させないために、息の長い支援を目指して」

自分たちの被災地での活動は一応4月に終えた。しかし、バンクーバーからまだまだできることはある。風化させないためには何が必要か。2人とも、自分個人でできることは積極的に行いたいと思っていると語る。その中には講演会なども含まれる。それ以外にも、バンクーバーから被災した人々・地域に向けて、日系コミュニティを含めて協力してくれる人たちと共に支援できることを考えて実行していきたいと計画中だ。
ひとつは子供たちのサマーキャップをバンクーバーで開くこと。今夏ではなく、来年でも再来年でも、子供たちの心の準備ができた時にこちらが受け入れる体制を整えていたいと思っている。
もう一つは被災地緑化計画。「現地の荒れ地を見て、雑草すら生えていない状況に本当につらかったんです」と小川さん。一面、泥と潮とがれきに覆われた現地に胸が痛んだ。この地をいつか緑で埋め尽くすことができればと強く思ったという。
現段階ではまだ具体的なことは決定していない。しかしアイデアはある。連盟本部に提案して、バンクーバーでまた協力を呼びかけたいと思っている。
小川さんは「被災した人々、地域への支援は、1回支援活動に行ったから終わり、義援金を寄付したら終わり、ということではないと思うんです。実際現場を見て、あの状況が風化してしまう、そのうち忘れられてしまうというのが一番怖い。自分たちにできることで、これからも息の長い支援ができれば、バンクーバーから日系コミュニティの人たちと一緒に協力していければと思っています」と思いを語った。

 

日本警察消防スポーツ連盟

事務局は神奈川県茅ケ崎市。現職警察官、消防士、海上保安官、刑務官やその退職者で構成されたスポーツ団体。カナダ支部は、2009年バンクーバーで開かれた世界警察消防競技会をきっかけに発足。バンクーバーに拠点を置く。
同連盟の主な活動には、同競技会に出場する選手のサポートのほか、非番や公休日などの公務時間外を利用した国内外の災害現場への「プロフェッショナルなボランティア集団」の派遣や、防災・防犯の啓蒙イベントなどへの会員派遣がある。
東日本大震災では、5月下旬からは「公認ボランティア」という立場で活動している。

(取材 三島直美)

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