旧制高等学校の学生たちの生き様から伝えられるもの
会場に用意された60あまりの席はすでに満席。バンクーバー側のまとめ役のひとり、バンクーバー日本語学校並びに日系人会理事の八木慶男さんによると、どこの会場も同じような盛況ぶりだったとのこと。
当映画のプロデューサー、鈴木とし子さんの挨拶に続き、講談師の太平洋(たいへいよう)さんが、映画の冒頭につながる、大正15年に行われた第七高等学校造上館(鹿児島)と、第五高等学校(熊本)の対抗野球戦の様子を実況中継。その迫真の口上は、あたかも試合が目の前で行われているかのような緊迫感で会場を包み込んでいった。

映画は、平成の現代に生きる主人公(三國連太郎)ら同窓生が、野球というテーマを柱に、戦前の第七高校在学中の生活を回想することで、豪快かつ破天荒でありながら真摯で高貴な情熱、また「友の憂いに我は泣き、我が喜びに友は舞う」という究極の友情が実在していた時代を銀幕に再現させる。
これを横軸とするならば、戦争によって失われた絆や、自らも負った暗い記憶と葛藤しながら、その時代の想いや志を、孫の世代に伝えようと主人公が模索していく姿を縦軸として映画は描いていく。
その背景には、勤勉や誠実の尊重、他への思いやりや、功利性にとらわれない精神など、私たちがどこかで忘れてきてしまった、時代を越えた日本人としての共通認識を取り戻したい、という願いが流れているのが、出演者の演技から伝わって来る。

 

上映後の懇談会では、「同じ時代を育ったものとして、当時の様子をありありと思い出し、懐かしかった」という感想が多く聞かれた。また、参加者の間から「あの時はこうだった」「私たちの地域ではこうだった」など、当時の自分たちの体験が次々と語られ、大いに盛り上がった。そのほか「歳とともに感動することも少なくってきたが、今日はとても感動した。いい映画を作ってもらって感謝している」「孫との話のベースを提供してもらってうれしかった」という声も。
さらに、昔の日本にあった思いやりや情熱が、戦後の日本の復興を成し遂げたことを、今回の震災に重ねあわせ、今回も必ず復興できるという確信、希望をもらえたという感想も。被災地の人たちにも見てもらう機会を作ってはどうかという意見も出された。

この映画は、その趣旨に賛同した多くの人々の出資金・協賛金によって製作された。日本での上映にあわせて作られたパンフレットには、感謝の意味を込めて、その1500を超える支援者の名前全部を掲載したとのこと。鈴木さんは、こうした多くの人の想いがこもった映画だからこそ、これからも日本で、そして世界で上映の機会を作っていきたいと話す(すでにブラジル、フランス、ブルガリアでは実現)。

 

めまぐるしく世の中が変わっていく現在。変化自身は悪いことではないが、その中で変えてはいけないものもある。それを引き継いでいくには、送り出す側と同時に、受け取る側の努力も必要だ。その意味では、この映画は幅広い世代の人に見てもらいたい一作だ。

(平野直樹)

 

「北辰斜にさすところ」ホームページhttp://www.hokushin-naname.jp/

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