赤木加代子さんは、幼い頃からの夢を叶えた生粋の美容師である。一筋に夢を実現し、貫いてきた芯の強い女性である加代子さんの、幼い頃から今までの夢実現に向けての興味深いお話を伺うことができた。 美容師に興味を持った幼少時代 好きになることに理由はないというが、加代子さんは幼稚園に上がる前から商売に興味を持っていた。近所の食料品店へ友達と遊びにいくのだが、どのように 商売が行われているのだろうということを遊びの傍ら垣間見ていたような子供だった。両親が床屋やパーマ屋にいくときも、加代子さんは必ず付いていき、店で 使われている道具を観察しては、あの紙はどう使うのだろう、あの鋏の使い方は・・・など、横から斜めから幼いながらも研究していた。小学校へあがると、友 達を集めては一人ずつカットしていたこともある。幼少の時の、商売と美容師への興味が現在の加代子さんへとつながっている。 修業時代を超えて・・・ 美容師への憧れは、絶対に美容師になろうという決意に変わってくる。 歳で住み込みで美容室に弟子入り。小さな美容室だったが、ここで基本をしっかり学ぶことになる。通信教育を選んだのは、勉強しながら腕に職をつけることが できるため、早く実務が学べると思ったからである。朝の6時から夕食の片付けまで休みなく働き、それからやっと通信教育の勉強をして就寝。休みは週に1 度。美容師としての勉強の他に小原流のお花の勉強もした。そんな若くも厳しい時代を送ってきた加代子さんの癒しの場所となったのは、近くに食料品店を持っ ていたおばあさんの存在だった。つらい時など、おばあさんは自分の苦労話を交えて加代子さんのよき聞き役となってくれた。おばあさんの髪をブラッシングし てあげたり、結い上げたりするお礼にとねじりドーナツをもらった。心安らぐひとときだった。通信教育を2年続け、280日のインターンシップを終えて国家 試験に見事合格。加代子さんの次へのステップは・・・。 先生は桂由美さんの弟子 同じ年頃の友達が遊んでいる中、悔しく思い、辞めたいと思ったことも正直あったが、後悔したことはなかったという。修行時代に学んだことは、美容師とし ての技術だけでなく、花嫁の着付けにも渡っている。結婚後は、住み込みでなく通勤に変わった。その頃の先生はデザイナー桂由美さんの弟子。加代子さんは桂 由美さんの孫弟子ということになる。腕も一人前となり、結婚式は1日に何組も任されることはしょっちゅう。文金高島田の花嫁を何人も作り上げ、2人が幸せ そうな顔をしているのを見ると、疲れも忘れ、この仕事を選んでよかったと思う。また、ファッションショーの仕事をしたりと、幅広く活躍するようになった。 そしてようやく自分の店を持つという夢が叶う・・・。 バンクーバーで和服のウェデングを 海外で仕事をしたいという、もう一つの夢をかなえるためにバンクーバーに来た。すでに日本で充分な経験はあったが、カナダではカナダの美容師の資格が必 要となる。頑張ってカナダの美容師の免許を取得。ヘアカット、パーマ、カラー、フェイシャル、着付けをこなし、外に出かけにくいお客様にはホームサービス も行っている。真心を込め、人の喜ぶ顔を見るのが幸せ。一生懸命やってきたからこそ今の加代子さんがある。ひとりひとりに感謝の気持ちを忘れたことはな い。 加代子さんの夢 これからの夢は、カナダに文金高島田の花嫁が増えること。カナダに住んでいるからこそ日本人だけでなく、地元の人にも日本の文化を伝えていきたい。今手 元にある文金高島田のカツラは神戸で大きな美容室を経営し、多くの日本の花嫁を送り出してきた山田あさのさんの形見。山田さんの生前に加代子さんの夢を 語っていたことから、あなたならできるとずっと応援してくれていた。山田さんの他界後、夢を受け継いで欲しいという遺言を受けた娘さんから文金高島田を譲 り受けた。山田さんへの感謝のしるしとして、この文金高島田をしっかり受け継いでいきたいと思っている。 加代子さんが夢を貫いてきた秘訣を若い方に聞かれることがある。それは、自分の好きなことを見つけること。コツコツでもいいから、つらくても諦めないこ と。意志を曲げないこと、そして若い時の苦労は買ってでもすること。夢は必ず叶うと信じること、と語る加代子さんだが、夢を叶えてきた人だからこそ言葉に 重みがある。 (取材 上田由美)
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