2006年8月3日 第32号 掲載


「役職で呼ばずに『学さん』と呼んでほしい」とスタッフに語ったという佐藤氏。

JAL バンクーバー支店
支店長

佐藤学氏

忙しいなか時間を作っては空港に足を運び、出発前の飛行機の下に立ち、安全を祈りつつ手を振って顧客とスタッフを見送る。この場が「JALのサービスの結集した部分」と佐藤氏は言う。
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今年5月半ば、JALのカナダ全域を統括する任務に就いた佐藤学氏。勤務28年目、東京地区のみでの15回の異動を経て、今般、初の海外赴任となった。 これまで営業本部、運航本部、経営企画・人事部等の間接部門ほか、全社横断的にサービス向上策をリードするべく創設された「商品サービス企画部」の初代部 長も務めた。顧客からの評価を受け止め、JALのサービス向上の先導者となった経験は、顧客第一の視点を強固なものにした。

「お客さまが何を求めているかを具現化することが大事。ともすればサービスを提供する側の論理を優先してしまいがちだが、お客さまのご要望に対して、お 客さまの視点で発想して、今、お客さまに対してできることは何かを考えて行動していけば、たとえご要望のすべてはかなえられずとも、お客さまから受け入れ られ、信頼していただける」

顧客へのサービスの質を決めるのは、何と言っても、営業、空港、客室部門で直接顧客に接するスタッフがどういうサービスを提供しているかであるが、この サービス最前線を支えるのは運航、整備、一般間接部門。このサービス最前線とそれを支えるスタッフの気持ちやチームワークが大事、と佐藤氏は考える。佐藤 氏自ら、業務委託先のスタッフの顔と名前も一致させるよう努力し、互いの距離を縮めて密なコミュニケーションを図ることで、顧客の気持ち、スタッフの気持 ちを大切にする社内文化を育てようとしている。

風通しの良さ
創業当初、半官半民だったJAL。「今は純粋な民間会社であり、親方日の丸を背負っているという意識は正直ありません。それでも以前のナショナル・フ ラッグというイメージを引きずっているためか、外部からは堅い会社と見られる向きもありますが、たとえ先輩に意見をズケズケと言っても唇寒くならない。こ の会社の社風は好きですね」。
佐藤氏自身、入社以来、自分の意見を「ズケズケと、熱く」語ってきた。後輩からも「年をとっても熱いですね」と言われるとか。おかしいことにはおかしいと声を上げる「熱さ」。そんな仕事への信条を強固にした経験が入社初期の時代にあった。

教訓を胸に刻んで
忘れ得ぬ出来事、1985年8月12日の御巣鷹山の事故当時、現場で遭難された家族の待機場所に詰めた。特に事故当日から4、5日の間は大事故に対する 体制整備に時間を要した。会社からの人員も物資も情報も不十分なまま、悲嘆の遭難家族関係者を前にした待ったなしの状況のなかで「指示を待っていてはいけ ない」「自分が何をすべきか、どう動くべきか」を試され学ばされた。そして「二度とこうした事故を絶対に起こしてはいけない」と肝に命じると共に、「安全 運航はもちろんのこと、その他の分野でも、自分で主体的、能動的に動こう」という気持ちが胸に刻まれたのだった。

カナダ支店の取り組み
今、注力しているのはカナダから日本への利用客の増加。日本人のみならず、日本人以外の人々への利用促進のためにと、日本政府主導の「ビジット・ジャパン・キャンペーン」に積極的に加わり、プロモーション活動を行っている。

また、航空会社の過酷な生き残り競争の中で彼は言う。

「今や企業規模の大小は会社の存続にかかわらない時代。厳しい時代だが、お客さまの視点という原点に立ち戻って会社が対応していければ、生き残っていけると思う。そのためにはカナダ地区として何でもする」

読者へのメッセージ
「人の気持ちを大切にするJALを徹底すべく、バンクーバー支店全員で取り組み、お客さまにより近い存在となっていきたい。どうぞご指摘はいつでもお伝えください。そしてJALを愛してください」

(写真:宮本さやか、 文:平野香利)


●佐藤学氏 プロフィール●
出身は「会津」と答える佐藤氏の信条は「倒れるときは、たとえ ドブの中でも前のめりに」という、土佐出身の坂本龍馬の生き方。東京大学法学部在学中、「ゴツゴツとしているほうが人間的に面白い」と、ただ丸いだけのお となしい性格からの自己改革を試みた。趣味は園芸。「毎日、植物の顔が違っているんですよ」。草木に顔を近づけて対話をしている佐藤氏の姿が目に浮かぶよ うだ。

株式会社 日本航空インターナショナル
JALバンクーバー支店
座席予約・案内
1-800-525-3663 (1-800-JAL-FONE)
URL: http://www.japanair.com/jp

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