バンクーバー国際映画祭(VIFF)で必ず日本の大物監督や人気俳優と舞台に登場するのがキムさんこと上村君代さん。映画評論家のトニー・レインズ氏自らご指名の、映画祭専属ともいえるプロの通訳・ボランティアだ。新人の時からサポートしてきた石井裕也監督を「石井くん」と呼び、若い監督たちからは「キムさんがいないとダメだ」「キムさんがまとめてくれて助かった」と慕われる。素顔は個展を開く写真家でもあり、活動的なキムさんにお話を伺った。
トニー・レインズ氏とは大の仲良し
通訳になるまで
ビートルズの全盛期時代に歌詞から英語を習ったキムさん。その頃から英語が大好きだったという。22歳の頃出身地の鹿児島で、あるガイド案内の英語を直したことからボランティア・ガイドを頼まれる。そして1973年に憧れのロンドンへ2年留学。帰国後、英検1級と通訳案内業の免許を取得した。都会が嫌いなキムさんは再び鹿児島で通訳を始めたが、アメリカ人男性と知り合い、結婚してバンクーバーへ移住した。その後、娘さん2人を育てながら元ご主人の仕事を手伝い、1984年に通訳に復帰する。
戦後の外国文化に圧倒されながら育ったキムさんは、大の映画好き。映画を観るためにVIFFにも何度か足を運んだ。90年に、ある日本人監督の舞台挨拶で、完全なロスト・イン・トランズレーションが起こった。話が観客に伝わらず、監督を気の毒に思ったそうだ。そこで、その翌年からVIFFに通訳ボランティアとして参加し、アジア映画のプログラミングを始めて3年目となるトニー・レインズ氏と出会う。彼は当時の巨匠・鈴木清順監督の邦画作品十数本の回顧展を計画していた。いきなり鈴木監督の通訳に回されたのでキムさんは緊張したという。しかし監督夫妻から感謝されたことは大きな励みとなった。VIFFの通訳を1回ずつこなすうちに、25年の月日が流れ、レインズ氏ともすっかり家族のようになった。
人生勉強になる ボランティア
映画を作る人の話はとても勉強になるとキムさんは語る。特にマスタークラスの崔洋一監督や長崎俊一監督など、独立している人たちには苦労が多い分、話もすごく面白い。才能があり、情熱を持って映画作りに人生をかけている素晴らしい人たち。特に最近では2013年の新星・池田暁監督らに出会えたりと、さらに学ばせてもらう機会があるからボランティアをやめられないそうだ。
しかし良いことばかりではない。最初の頃は周りから批判もされた。その道のプロでありながら、ボランティアをするべきではないという声に傷つけられた。しかし、日本からはるばる自分の作品を持ってきて、舞台で一生懸命説明しようとする監督たちの姿を見ていたら、そんな中傷は気にしていられないと思うようになった。「昔と違って今はもう平気です」とキムさんは笑う。
一方、トニー・レインズ氏は自身が日・中・韓国語を理解し、少しは話せるので、常に質の良い通訳を求めていた。キムさんの通訳が映画祭で目立つようになると、法廷などで活躍する中国人や韓国人のプロの通訳たちもボランティアとして参加するようになった。通訳の質が高くなったことで、レインズ氏も安心して大物監督の通訳を任せられるようになった。また、大物監督たちも自国から通訳を連れて来る必要がなくなり喜んだ。
叔父がブラジルに住むという国際的なキムさんは日本を離れた人間でないとわからないことの一つに、距離感がないことを挙げ、「行きたい時に行きたい所へ行き、そこでやりたいことをすれば良い」と感じるそうだ。「私は通訳の学校に行っていない。ただ自分がやりたいと思ったことを、誰がなんと言おうとやることが大事」と続ける。またキムさんは全身全霊をかけた通訳の瞬間に「あ、決めた!」と感じられるから、翻訳よりは同時通訳が好きだという。そう話すキム・スマイルこそが、好感を持たれる通訳の秘訣なのだろう。来年もVIFFで活躍してくれるキムさんの、最高に明るいボランティア精神に感謝したい。
グランビルアイランドで月2回週末にキムさんに会える。出店の場所や日程はThis email address is being protected from spambots. You need JavaScript enabled to view it.まで。
(取材 ジェナ・パーク)
キムさんと手作りの写真やポストカード(写真提供 上村君代さん)
インタビュー時のキムさん