オッペンハイマー公園施設のメモリアル・ウィンドーの前で
遺産桜について説明する柴田祐子さん

 

一世が植えた桜

戦前、日本人街として栄えたパウエル街の中心地であったオッペンハイマー公園。1977年4月16日、日系移民百年祭の祝賀行事のひとつとして、一世70人がここに21本の桜の苗を植樹した。
戦後この周辺のスラム化が進んだことから2008年、バンクーバー市はダウンタウンイーストサイド活性化計画によるオッペンハイマー公園再開発を発表。それにより、桜の木が伐採の危機にさらされたことから有志らが集まり『遺産桜を守る連合会』が発足した。
この日の式典ではスコーミッシュ族長老のサム・ジョージさんによる開会儀式に続き、同連合会を代表して柴田祐子さんがこれまでの経緯を説明した。
2008年に市当局、公園管理局と交渉を重ねた結果、公園施設移動のために翌年カンザン(関山)2本が伐採され、アケボノが移植された。

 

桜の木の下で記念撮影

 

メモリアル・ウィンドー

2011年、ジョン・遠藤・グリーナウェーさんが遺産桜の木を撮影してデザインしたものが、俳句とともにガラス戸に特殊印刷された。このメモリアル・ウィンドーを知る人が少なかったため、このたびオッペンハイマー公園記念委員会、遺産桜を守る連合会の主催で(コミュニティー協賛:バンクーバー桜祭り、在バンクーバー日本国総領事館)式典が開かれたもの。
カーネギー・コミュニティセンターのイーセル・ウィッティーさんにより紹介されたメモリアル・ウィンドーはジャクソン通りに面した大きなガラスの壁。普段はシャッターが下りていることもあるが、関係者は「公園に立ち寄る際にはぜひ見てもらいたい」と話す。

 

遺産桜を見守る人たち

参加者の中には1977年の植樹に立ち会った門田八十子さん(83)と若山タミオさん(72)、井上徳子さん(98)代理で娘のジュディー井上さんほか在バンクーバー日本国総領事岡田誠司・寧子夫妻の姿もあった。「百年祭は日系コミュニティーにとって大きな出来事でした」と遺産桜を見上げる若山さん。
さくらシンガーズ、地域住民で結成されたサンシャイン合唱団、ファーストネーションの歌のあとは公園周辺に住む人たちに食事が振る舞われ、パウエル街ウォーキングツアーが行われた。
遺産桜のひとつのカンザンが濃いピンクの花を残し、桜の季節の終わりを惜しむように見上げる人たちの姿が印象的だった。

(取材 ルイーズ阿久沢)

 

日系移民百年祭で植樹式の様子を撮影した若山タミオさん

 

1977年に娘の手を引いて桜の植樹を見に行ったという門田八十子さん。
隣は夫のリチャードさん

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