会場に到着した森本春子さん
九州出身の森本春子さんは戦時中孤児となり、韓国人の養母に連れられ釜山に渡った。しかし養母は戦争により悲しい最期を遂げる。養母の手を握り「生みの親より育ての親です」と言うと大きくうなずいたと語った。結婚後は中国人の夫と共に、自分の子どもと18人の韓国の戦争孤児を育てた後、日本へ戻った。
テレビ局のインタビューを受ける春子さんと志人さん
「神様が私を山谷へ導いた」と彼女は語る。東京、山谷(さんや)は、戦後の日本の高度経済成長期に日雇いの労働者が集まった場所である。働き盛りの彼らは東京オリンピックや高速道路、高層ビルの建設など戦後の日本の経済復興に大いに貢献した。しかし高度経済成長期が終わり、高齢化した労働者たちは日雇いだったため、政府からの年金がもらえなかった。職と住まいを失った彼らは住み慣れた土地で死にたいと山谷を離れずホームレスになっていった。
森本さんは70人ぐらいの失業者が横たわっているのを見かけた。「あなた達どうしたの?」とそばに寄ると、プンとお酒の匂いがしたという。血だらけになっている人、肝臓が悪くて死にかけている人、一週間何も食べていない人たちがいた。森本さんは「教会へ来なさい。おいしいものを食べさせてあげるから」と夢中で約束した。
ドラム缶のような大きなお鍋を2つ購入してうどんを煮た。400人ほどの人がすぐ集まった。這いながらやって来る人もいた。その多くが「こんなうまいものはない」と涙したという。翌日、1200人が押し合いへし合いやってきた。「並びなさい」と怒ると路上に3列から5列に並んだという。そのぐらい不景気で失業者がたくさんいたのだ。
しかもそうした失業者たちはお酒を飲む。道も酔っぱらいだらけで人が通れない。中には精神を病む人もいた。そのうち、けんかが始まり血だらけになる。腹がたち「何をしてるの」と飛び込んで頬をなぐったという。そして彼らの焼酎の瓶を取り上げ全部捨てた。「おれの全財産をどうしてくれるんだ」という人に「牛肉を食べさせてあげるから」と約束した。
すじ肉を少し買い、小さく刻んで野菜と混ぜて毎日炊きだしをした。しかし冬には毎日6~7人が病気や寒さで亡くなっていった。大の男たちが「おれたちには仕事がないんだ。ふるさとに帰るお金もない。どうしたらいいんだ」と泣き崩れた。自分にもこうした人たちを助けるためのお金はないため、「神様、どうかこの人たちを救って下さい」と森本さんは一心に祈った。一方、難病の夫の看護をしながら、当時「世界で一番高い」といわれたポーラ化粧品のセールスレディーになり5千万円を稼いだ。また、1億円の寄付をしてくれた信者もいたという。 日曜日以外は毎日失業者の集会をして炊きだしを続けた。失業者たちが約束を破ってお酒を飲むと「なぐってやった」そうだ。そうした努力が実り、徐々に街から酔っぱらいがいなくなったと地元の警察官も感心したという。
カナダの中国語メディアのインタビューに応じる春子さんと志人さん
森本さんは、ホームレス対策で大事なのは、まず失業者たちがお酒を飲むのをやめさせる事だという。アルコール依存症になってしまうような人でも、信じるものがあればお酒はやめられると考える。また、冬の寒いときは宿泊施設の必要性もあげられた。「お金、名誉、地位があっても、それでは人は救われない。しかし信じれば力が与えられる。天命を与えられた私は世界で一番幸せ」と森本さんはパワーいっぱいに語ってくれた。
(取材 ジェナ・パーク)