2019年1月31日 第5号

 「あのねぇ、私、天皇皇后両陛下にお茶を差し上げたの。」突然、その人がそう言った。「えっ、どこでぇ?」…。「どうしてぇ?」。と質問がワーっと出ました。そして、その人は静かに、またいつものニコヤカナ、優しい笑顔で、いろいろ、私達に話してくれたのです。実は私達はもう長いこと「エアーライン会」という集まりをしています。メンバーは皆元航空会社職員で、今退職しています。皆がほぼ同じ時代に同職についていたので、いろいろ経験話をわかち合える、そんな仲間で、仲良しです。エアーカナダ(カナダ在住)、全日空(日本在住)、日本航空(ロンドン在住)、そして、ルフトハンザドイツ航空(香港在住)と色々な国でそれぞれが皆航空会社に勤めていた人達です。

 それは2009年7月の事でした。かねてより、カナダ国総督閣下から、天皇皇后両陛下に対し同国を御訪問願いたい旨の招請があり、また、アメリカ合衆国ハワイ州における皇太子明仁親王奨学金財団50周年記念行事に際し、同国政府から両陛下の御訪問を歓迎する旨の申出があった。 7月3日(金)にオタワにご到着され、トロントには7月8日(水)よりご滞在、 その後、7月10日(金)にトロントよりバンクーバーにご移動され、バンクーバー&ビクトリアにいらした。 

 ここに住む日本人の誰もが日本国内でもお目にかかれない両陛下に、なんとここバンクーバーでお逢いできる! 「幸せ!」そして、本日がバンクーバー最終日。今日ここからホノルルに飛ぶ。両陛下がパンパシフィックホテルから、コンベンションセンターへ向かってゆっくり歩まれ、日本の旗を振る人々にやさしい笑顔で手を振る、その清楚でやさしいお二人の姿、なんだか旗振る人々に安らぎを与えていたのでは?

 陽子バンクスさんは日系センターで○○○の役職についていました。後で聞くと、彼女が両陛下へお茶を差し上げる役目の候補に上がった時、宮内庁は彼女の身元も調査をしたそうです。とにかく、すべてパスし、当日、彼女はお茶を差し上げたわけです。場所は日系センターで、両陛下のご休憩時でした。陽子さんは日本のご実家から茶器を取り寄せ、それをお使い頂いたわけですが、その茶器は今彼女の大切な家宝となっています。…が老婆があえて書きたいのは、美智子妃殿下がその時の優しく、また丁寧に、お茶がおいしい、茶器が良いと褒めてくださったことが堪らなく嬉しかった陽子さんのことなのです。ですから翌日は、パンパシフィックホテルの近くまでもう一度お二人の姿に遠くから拝見し、「心でご挨拶を」と出かけました。旗を持ち大勢の人が並ぶ中、彼女も立っていたのです。その時、旗を振る人々にご挨拶をされ、手を振っていらした美智子妃殿下が、人中に陽子さんを見つけ、ささぁ、さーっと近付き、「昨日はありがとうございました。」とお礼を言いにいらしたそうです。それは一瞬のことでしたが、思いがけない妃殿下のご挨拶に感動した陽子さんでした。あのたくさん立ち並ぶ人々の間から、よーく陽子さんを見つけたと、そのお話を聞く私達も驚き、また一緒に嬉しく思ったのです。この老婆はもう胸が一杯で涙ぐみました。なんと優しい方なのだろう、日本の皇后さまは!

(注)これはあくまでも老婆の推測ですが、陽子さんがご実家から取り寄せた茶器はきっと歴史を語る良い茶器で、それに気付かれたのが美智子妃殿下なのではないかなぁ。

 あの感動の時から、もう今年で10年。

 その美智子妃殿下の思い出話を、陽子さんに「随筆に書いて! 多くの人とわかち合って欲しい」と何回もお願いしたのです。しかし、彼女はそっと胸に秘めて公にしない。そして、この出しゃばり老婆は「あなたが書かないなら、私が書いていい? だって平成も終わり、次の時代へと時は動いていきますからね。」そしたら、陽子さんが「書いてもいいわ」って「やさしくOK」を下さったのです。この老婆、彼女を「脅かした」わけではありません。ただ、「お願い」したのですよ。

 そして、2019年4月30日に天皇陛下はご退位なさるわけです。陽子さんのあの時の感動がぐわーんと皆に伝わり、両陛下に旗を振っていたたくさんの方々にも、あの日を思い出してもらいながら、どうぞ、本当の「美智子妃殿下の優しさ謙虚さ」を知るエピソードとして皆様にこの話、お届けできたらいいなぁ。

 この老婆はそんな思いなんですぅ…。

 私達の「エアーライン会」は今も着々と心温まる優しい「気」の中で飽きずに仲良く集まっています。

許 澄子

 

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。