2018年2月22日 第8号

 「起きて半畳、寝て一畳」織田信長? 豊臣秀吉? の言葉? 多分「起きて半畳、寝て一畳、天下取っても(たらふく食っても)二合半」つまり『人の欲求なんて所詮、この程度で満たされるんだよな〜』って意味かしら?そんなこと、なんかで読んだ記憶があります。(すんません不確かで…)でも老婆は、人は「起きて半畳、寝て一畳」、それでも生きていけるのだから贅沢するな!と解釈したい人です。

 車が止まると目の前にホコリにまみれた小さなコンクリートの塊のような建物があった。書いてある文字を見るとアルファベットで「OPHANIGE」とある。インドの孤児院、確かに間違いなく私たちは目的の場所へ着いたのだ。

 私たちが買ってきたお米の袋と幾らかの食料を運転手が中へ運び入れてくれた。案内してくれた友人が一人建物の中に入ると間もなく一人の少女が出てきてドアを開け、総勢11名の私達はゆっくり中に入る。入ったら入口から直ぐに両側、小さなベッドがびっしり3段重なって並んでいた。幅60cm長さ130cmくらいでしっかり壁につけられている。最も、汚れの目立たない焦げ茶色のカバーが掛かっている。しかし、それは気持ちよく清掃され、整然としていた。ベッドとその奥にある階段、その隙間にこれも整然と20個くらいのナップザックが並べてある。多分、それが児童の持ち物、つまり彼らの全財産なのだろう。とにかく、狭いし、暗いが、問題なく掃除が行き届いている。正直気持ちが良かった。収容孤児数は約40名近くいるそうだ。突き当たりの階段から2階へ上がる。階段が一段一段高さが違い、いびつになっているので、杖をつく老婆には上がるのに多少時間がかかった。2階へ上がると階下より多少明るく空気の流通もありホッとする。足元を見るとそこに子どもが一人寝転がっている。年齢は顔が4〜5歳くらい、身体を見ると3歳くらい、小さな男の子だ。下半身丸出しパンツもはかず両足を広げて床に敷いた布の上に寝かされている。口から牛乳の飲み残しみたいなものを吐き出し、それが頬を伝ってこぼれている。目は大きく白目が黄色く生気がない。視力はあるのかないのか? 座ることも、立つ事もできないそうだ。

 また、階段の正面にここで成長した孤児が、今は保母さんになってスポンジケーキを3人の子供に食べさせていた。子どもを抱いていた身体の大きな保母風女性が、私達の女性案内人に「この子が昨年あなたがここに来た時、母親が連れて来て、置いていった赤ちゃんです。大きくなったでしょ?」と言っていました。その人の話では、朝、この孤児院のドアを開けると新生児が時々置かれて(捨てられて)いるのだそうだ。

 踊り場から6〜7畳くらいの場所をぬけるとそこはすぐ屋上で、この屋上が皆の憩いの場であり、食堂であり、台所であり、雨が降らなければ睡眠する場所にもなるみたいだった。屋上の屋根はプラスチック製のトタン屋根風のものが半分置かれ、あと半分は屋根なしだ。山のような洗濯物も干してあり、何もかもそこが生活の場なのだと分かる。とにかく、そこで一番心に残ったのは、皆が帰る時、足の悪い私が最後に階段を下りようとした時です。階段の手すりにつかまった途端、私の腕を小さな黒い手がぐっと支え、一生懸命、一段一段ゆっくり階段下りを助けてくれたのです。やっと1階に着くとそこには少し年上の少女が私を待っていて、彼女が車まで連れて行ってくれました。その自然で温かい、誰に言われたわけでもない、ただ目で見て体が不自由な人がいればこんな幼い子どもでも夢中で助けようとする、その優しい心根に感謝と感動する老婆でした。

 ここの責任者夫婦は毎朝起きると袋を持って近所を回り、お米や食べ物をもらって歩き子ども達を養っています。宗教団体や誰かが多少の援助をくれる事もあるのでしょう。子ども達の姿は決して惨めではありません。きちんとしたユニフォームを着て皆が仲良く、40人の兄弟姉妹の大家族の家といったところでしょうか? その後、もう1回他の大きな孤児院を訪問する機会がありました。綺麗な大孤児院でしたが、氷のような冷たい雰囲気で、老婆の心はあのホワイトフィールドの小さな孤児院を思っていました。いつまでも心優しい子ども達が互いに助け合い仲良く生きていける場所、「起きて半畳、寝て一畳、たらふく食っても二合半」そこでの平和な日々、心豊かに育ってくれますようにと、祈らずにいられませんでした。

 そして、私達はインドの古都マイソールを訪ね、翌日はまた3時間のバスライドでデカン高原の中央にあるサイババのアシュラム(修業道場)プッタパルティへ向かったのです。バンガロール(インドのシリコンバレーといわれている)から目的地プッタパルティまで、老婆が初めて行った1992年はタクシーで4時間以上かかったが、今は日本政府の援助で完成したモダンな高速道路を走り3時間で行けるようになっていた。その道路の中央花壇にはブーゲンビリアが植えられ、両側はまるでカリフォルニアの高速を走るように、葡萄畑や緑の畑が広がる。数年前に行ったドイツの田舎のように整然としているのに驚く。何回行ってもインドは老婆の心の故郷みたいです。

許 澄子

 

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