2018年3月8日 第10号

 「夢は夢に過ぎない、しかし、私たちは夢が夢であっても夢を夢見て生きる。一人で見る夢、ともに見る夢」トイレに入るとすぐにこの「額」が目に留まる。そして、老婆はこの東京の娘宅のトイレが好きだ。その「額」には多国語で「夢」と書いた文字が何百も切り抜かれ、大きなハート型の枠内にびっしり張り付けられ、その下に彼の言葉が書いてある。娘の親友アーティストからの結婚祝いだ。バンクーバーの我が家のトイレにはダライ・ラマ、小林正観、相田みつを、等々のカレンダーが、飾ったのでなく張り付けてある。このトイレ、モデルハウスの様に綺麗ではないが、ボーッとするのにいい場所だ。ふっと自分は「なんで生まれ、なんで生き、どこからきて、そして、どこへ行くの?」 と問う。ダライ・ラマが言うのに「私たちはこの地球への単なる訪問者で、長くて90年か100年。その間にもし誰か人を助けたり喜んでもらえることをしたなら、それでその人の地球訪問目的は達成されているのではないか?」とある。この老婆の年齢だからだろうか、諦めではなく、全く自然にダライ・ラマの言葉が心にしみる。知らないうちに「ああ、いい人生だった!」と自分が納得している。若い時はずっと「夢」「夢」そして、また「夢」だった。

 「日系女性企業家協会」(JWBA)で 先 日 夕 食 会 が あった。こういう会だから「世の中こんな素敵な生き方の人がいるのだ!」と思う方たちとお話ができる機会がある。そして、今年に入って老婆がため息をつきたくなるような素晴らしい人と続けて会食ができた。一番最近、お会いしたのは、秋田徹さん、ご存知の方も沢山いるかも知れないが、老婆が彼とお逢いしたのは2度、話ができたのは今回初めて。

 ある時、高校生のその人は沖縄まで自転車旅行をしたいと父親に言う。「自分のお金でやりなさい」と答えが返ってきた。彼は何とかお金を工面し、友人と4人で行くことになる。自転車屋で、その話をすると「君には自転車を売らないよ。ただし、これから私が出す問題を全部解決したら別だ。売る!」そして、自転車屋はあらゆる自転車修理課題を出し、彼に4回にわたって問題を解決させた。それを全部クリアしたので、自転車を売ってくれたのだろう。秋田さんは自転車旅行に出発。旅行中自転車が故障する度にあの自転車屋の心に感謝、病気にもなり、事故(土砂崩れ)にも遭う。そして、お金がないから一所懸命節約し、結構苦しい旅に人の情けも深く感じながら、とにかく、鹿児島まで到着。そこで、ある女性に出会う。多分、彼らよりずっと年長の人だったらしいが、彼女は東京から鹿児島まで何の理由かわからないが、歩き続け、徒歩で鹿児島まで来ていたのだった。その旅で彼ら4人は秋の新学期に数週間遅れ、家に戻る。学校長は彼らの帰学の遅れを認め、4人が自転車で学校に戻ったその日、全校生徒と教師たちが拍手で迎え入れたという。それは、秋田さんが16歳の時である。話中、彼は涙をぬぐった。老婆も、彼の顔をじっと見つめ、目に涙が…。素晴らしい体験をされたことをその涙が語っていた。

 そうして、成長した秋田青年は、今42歳。そして、「無印良品」北米の社長さんだ。彼の話を聞いていたJWBAのビジネスレディー達は「書いてよ、書いてよ」、新報の「ひとりごと」に、と言ってくれた。でもねぇ、結局、世の中、本当の成功者って「人でも、物でも、なんでも丁寧に大切にし、更にそれを育てられる人」それが一番「素晴らしい人」なのだと、若い秋田社長の話を聞きながら老婆は思ったのですよ。それは彼の自転車旅行の話だけでなく、無印良品が取り扱っている環境を大切に考える「オーガニックコットン商品」の話を読んだ時に始まっていたのです。

許 澄子

 

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