2017年4月27日 第17号

 老婆はその日の朝11時に鎌倉の駅にいた。従弟の達ちゃんが迎えに来てくれるはずだった。実は今回の日本旅行は経費節約のため、バンクーバーからシアトル経由で成田へ行き、到着後はすぐにレールウェイ・パスで東京駅へ、そして、新幹線で三島へ一泊、翌朝天城山荘で9時から行われるダルシャン(神様の祝福を得る行事で今回の旅行目的)、三島を出て修善寺へ、そこから又バスで30分、朝8時半に天城山荘に到着。

 昨日朝バンクーバーを出発し、成田、東京、三島、天城山、青森、京都、友人訪問と夕食会、筑波山荘と連日動き回り、今、ここ鎌倉駅にいる。実は機械音痴の老女がアイフォン充電機の使用法を間違え、記録を全部消去したのだ。この旅行は3月17日に始まり今日は26日、明日はカナダへ戻るが、この日まで途中、会う約束をしていた従弟の達ちゃんに、何とか連絡を試みたが、全て情報はこのアイフォン内。出発前にメールで「11時、鎌倉駅改札で会う」、その約束を頼りに11時に来た鎌倉だ。

 「わぁ、鎌倉は国際的な観光地!」実に、駅にいる70パーセントは外国人だ。11時半まで改札口で待ったが誰も来ない。思い切って駅脇の交番へ行き、「明日、カナダへ帰る旅行者だが、駅で従弟と待ち合わせたが来ていない、電話番号も住所も分からない。何とか助けてくれないか」と、めちゃくちゃなお願いをした。すると私服の係員(お巡りさん?)が「そうですかぁ、それではまず駅で呼び出しを…」と早速、呼び出してもらった。数回呼び出したが誰も来ない。私たち2人は駅から交番に戻った。その人は交番の個室に入り、暫くすると笑顔で、「ご親戚の方がお迎えに来るそうです」と言いながら出て来た。彼は従弟の氏名しか知らない。その従弟と連絡を取り、「迎えに来る」摩訶不思議、これには驚いた。凄い!交番には「通訳ボランティアの腕章」の若い女性も。いろいろ話し、本当に心強かった。鎌倉駅脇のこの交番は世界中からの観光客を惜しみない笑顔と迅速かつ正しい判断で助けているのだろう。優しさがあふれる3人のスタッフがいた。制服の若いお巡りさんは2008年にバンクーバー訪問経験者だと聞くと、何だかそれが又、老婆にはうれしかった。やがて、達ちゃんが来所し、3人にお礼とさよならを言って別れた。彼らにはそれで一件落着なのだろう。

 でもね、「氏名」だけでねぇ、居所が探せたのだ。鎌倉には大勢有名人がいるが、達ちゃんは無名の平凡人だ。

 昨年春、達ちゃんの双子の姉の一人が他界し、その遺産相続問題で半世紀ぶりにサンフランシスコで彼に会った。そして、今回は、その彼の招待で鎌倉へ遊びに行ったのだ。その昔、東京が生まれ育ちの私達姉妹は、夏休みに行く所がない、友達は皆「田舎へ行くんだ!」と郷里へ行った。それは羨ましかったなぁ。しかし、田舎ではないが、1軒だけ私達にも行く所があった。それは母の一番上の姉、大伯母の綱島の家だった。つまり従弟の達ちゃんの生家だ。「綱島温泉」というが、鉱泉で私たちは入ったことはない。田んぼでタニシを、小川でカエルの皮をスルーと剥いて餌にしてザリガニを捕り、セミやトンボ捕りもした。その後、大伯父が鎌倉の由比ガ浜に家を買い別荘(?)にした。私達は綱島から今度は鎌倉へ行くようになった。その家から水着のまま海岸へ行けた。大伯父の栽培しているシイタケを味噌汁にして食べたし、庭は典型的な日本庭園で、水のない大きな空池があり、木々が美しく植えられていた。

 その大伯父、つまり達ちゃんのお父さんは「うるさい人とか厳しい人」と、私達親戚中で評判だった。いかにうるさい?、つまり「全てに厳しい、いい加減が嫌いな人」だった。鎌倉の家に行くと幼い私でも廊下磨きをさせられた。うっかり雑巾を水に濡らし拭いていたら叱られ、空拭きか糠雑巾で拭くようにと言うのだった。大伯父の話は噂で親戚中でいろいろ聞かされた。その幾つかを思い出し、今回半世紀ぶりで話す達ちゃんに確認の意味もあって「あれ本当?これ本当?」、と聞いてみた。ねぇ、達ちゃん、伯父さんてっさぁ、両親が子沢山で名付けが大変で、彼は寅年生まれだから、「寅吉」にしたって本当?。ねぇ、伯父さんって東急の偉い人だったそうで、創始者の五島慶太さんと一緒に籠に乗って伊豆半島の土地を買いあさった人なの?

 五島慶太さんがお亡くなりになってさ、五島昇さんがその後を継いだでしょう?

 そして、伯父さんが身体を悪くして入院中、その昇さんが「張子の虎」をお見舞いに持ってきて「寅さん、この張子の虎みたいに首を振るだけでも良いから東急でずっと働いてほしい」と言ってくれ、伯父さんが感激した話は本当? それは、うれしいよねぇ。そして、どうやらそれらの話は皆本当だったらしい。

 親戚中には優等生が何人かいるみたいで、鎌倉の悠美さんがそうだと思った。年齢とっても美しく優しくかわいらしい、さらに、勤勉で知的で前向きに生きるまさに聡明な女性だし、5年にわたる達ちゃんのニューヨーク駐在中、訪ねてくる難しい人・大伯父と一緒に楽しく過ごせ、鎌倉に戻ってからも、あの厳しい伯父のお世話をできたのだと思う。その彼女が今回、この老婆に伯父の形見、木彫りのお面を数面見せながら、それを彫っている時の伯父の様子を話してくれた。見事な彫である。彫った人の心がそのまま「ぐわっ」と溢れ出てくるような作品であった。お面を見て彼の生き方が分かるような気がした。

 そして、この老婆の「一生」、どんな終わり? 考えても仕方がないかなぁー。

 大伯父の様にも、悠美さんのようにも、母のようにも、つまり他の誰のようにもなれないけれど…。毎日、読み、それを英語で暗唱し呟く老婆のトレット・カレンダー。そこにはダライラマの言葉。「私達は、このプラネットへの長くて90年か100年の訪問者だ。その訪問中、もし誰かを少しでも幸せにすることができたら、それで、その人の地球訪問目的は達成されている」という文がある。

 我が子でも、友人でも、道端の人でもいい、誰かを瞬間でいい、もし「ありがとう」と心底から思って貰えることができたら、それで78年、私の人生は無駄ではなかったのかなぁ。

許 澄子

 

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