2017年1月26日 第4号

 請け負った仕事は「B級通訳」、ある目的を持って旅をするグループの通訳だった。ナイアガラのホテルへ客を迎えに行く。彼らをトロント経由でエドモントンへ連れて行き、次にジャスパー、コロンビアアイスフィールド、レイクルイーズ、バンフとカナディアンロッキーを縦走し、バンクーバーへ来てから一日休み、ビクトリアの日帰り旅行。これが全旅程だった。

 なーんだ、これーって観光旅行じゃない? 客の7名中、40〜50代の女性が5名と新婚さんが2名。観光目的の旅だと分かり、それなりに一生懸命勉強しながら案内をするが、新婚さん以外は観光には興味がなく、ただただ全てに文句を言う人たちだった。食事、ホテル、トランスポーテーションと不思議な雰囲気で文句を言い続けている。コロンビアアイスフィールドでの昼食は中華料理のブッフェで、各自自由に食べることになった。その時である。5人が座っている席の近くへ行くと「これおいしいじゃん!」「これもおいしいよ」と会話が聞こえる。喜んだ私は彼女達に近寄り、「わー、このツアーが始まって、初めておねえさんたちに褒められた!」とことばをかけると5人はすっごく困った顔していたが、ちょっと間をおいて「本当においしいよ」と言ってくれた。

 4人が、中の一人を『お姐さん』と呼んでる。お姐さんは胴巻きにたくさんお金を巻きつけ、みやげ屋に着くたびに店に飛び込み何でも買う。そこで私は質問をした。「おねえさんたちは観光に興味なくお買い物ばかりですね。なんでこの旅行に参加したのですか?」。答えは「ホイさん、あのねぇ、どのツアーも満員で参加できたのはこのツアーだけだったのよ」。「ああ、そうでしたかぁ」と納得。

 それ以来、私たちは仲良くなれた。「おねえさんたち、ご主人も連れて来られたらいいのに」と私がいうと一人が、「ダメなんよ、これだから」と顔の中心部から耳の方に指で線をひいてみせた。私は何の意味か解らず、「そうですかぁ」と同じように自分の鼻の所から耳に向けて指で線を引き「これで、ですかぁ?」で話は終わった。

 実は彼女たちの苦情にまいってしまい、ジャスパー以降は仕事を変更してもらえるよう、会社に依頼していた。バンクーバー空港に迎えに来ていたマネージャーは「ドスがきいているね」とひとこと言った。結局、私はスタッフチェンジをしてもらわずに最後まで彼女たちのお世話をすることになった。

 バンクーバーに一日滞在する日があり、自由時間をどうしてよいか分からない彼女たちが、こともあろうか「ホイさんの家見せてよ、行ってもいいでしょう?」と言う。日本の一般家庭と比較して、8寝室、5浴室、サウナにジャクジーなどがある4884平方フィートの家は、大きいかもしれないが見せるほどのこともない。それでもいいと彼女達は我が家に来た。また色々話をしていると、夫たちが旅行に同行できないのは「これだから」と今度は小指をちょん切る動作をした。いくら若くて鈍かった老婆でも、初めて彼女たちの夫たちがヤクザなのだと認識した。そういえば、空港で旅行社のマネージャーが挨拶に出て「ドスがきいているね」と言ったことも思い出した。とにかく本当に私たちはすっかり仲良くなり、日本での再会を約束して別れた。

 そして、数ケ月後、私は日本へ行った。彼女たちに連絡しようかどうか迷ったが、約束は約束だ。

 新幹線に乗って名古屋の次だったかな?『岐阜羽島』で下車と言われた。改札を出ると車3台でお姐さんたちが迎えてくれた。それは今でも夢のような1泊だった。お姐さん宅はまるでホテルのようで、玄関の清潔で綺麗なこと、飾り物の豪華なこと、舎弟のマナーの良いこと。

 ヤクザの大親分の本拠地はお城のようだった。お姐さんに部屋を案内された。ある部屋の飾り棚に綺麗なカレンダーがはってあった。近くで見ると入れ墨した親分とお姐さんの後ろ姿だ。みごとな「登り龍」と「下り龍」が全身に踊りまくっているようだった。ため息をついて観ているとお姐さんが「アラー、変なもの見せちゃったね」と言って、私を皆の会議室へ連れて行った。それは広ーい、広い畳の会議場だ。数百人は入るだろう。そして親分にも会う。お姐さんも美人だが、親分もこれまたハンサムだ。お茶を運ぶ舎弟もきりっとしていて、感じが良い。甘やかされ放題の近親の子供をここへ送り教育してもらえないかと一瞬思ったほどだった。

 夜は温泉町のナイトクラブ巡り、どこへ行っても彼は大モテだ。帰りはタクシーに乗った途端、親分が運転手に「◯◯組の◯◯です」と言っただけで運転手は「ハイ」と彼の家まで連れて行ってくれた。お姐さんが「アンタはね、ここには泊まれないのよ」と言い、私は近くの宝石商の奥さん宅に泊めてもらう。

 翌朝は「明治村」へ親分も一緒に私を案内してくれた。素晴らしい1日を終えて東京へ戻った。

 旅行中の5人の会話は「あのさ、税関であれこれ言うからさ、尻めくっちゃってさ」とか、凄い話が多かったけれど、実際の生活って足が地についているみたい。

 その後、この体験から彼らの生き方にちょっと興味がでて、山平重樹という人の書いた「ヤクザに学ぶ指導力」、「ヤクザに学ぶ決断力」という本を読んだっけなぁー。

「 セトモノと
セトモノと
ぶつかりっこすると
すぐこわれちゃう
どっちか
やわらかければ
だいじょうぶ
やわらかいこころを
もちましょう
そういうわたしは
いつもセトモノ
みつを」

許 澄子

 

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。