2017年11月2日 第44号
「テリー・フォックスは、僕たちの英雄でね。国内のみんなが、足を引きずりながら走る彼を応援したんだよ。まさか義足でカナダの端から端まで走ろうとするなんて想像していなかったから、国中が熱くなったよ。あの年は、彼がカナダを団結した思い出深い年だったよ」と、子供たちの学校のお迎えの際に、頻繁に顔をあわす年配の男性が教えてくれました。この週はちょうど小学校でテリー・フォックス・ランが行われたこともあり、男性は当時を懐かしく思い出したようです。カナダに住んでいると義足のテリー・フォックスの名前を耳にしたり、テリー・フォックス像を見た方も多くいらっしゃるでしょう。今回のまるごとカナダではテリー・フォックスについて紹介したいと思います。
フォックスは1958年にマニトバ州ウィニペグ市で生まれ、1966年にBC州のサレー市に引っ越し、2年後にポートコキットラム市へ移っています。子供の頃からスポーツが大好きだったので、SFUでは運動生理学を専門に勉強していたようです。そして、膝の痛みから病院に行った18歳の時、骨肉腫と診断され片足切断の決断を迫られました。その後16カ月間、抗がん剤治療を続けましたが、同じ施設で他のがん患者らが、苦しみながら亡くなっていく様子を見て、自分が生きている間に、「苦しんでいる人たちに勇気を与えたい」と願うようになりました。また当時、フォックスは、がんの知名度が低いことで、がん研究の資金が少なく医療システムが充実していない現実に失望しており、自分ががんの知名度を上げることができたら、がん研究の資金も集まり医療の発展につながるんじゃないかと考え始めました。これらの目標を達成するため1980年21歳の時に、義足でカナダ横断マラソンを決意。4月12日に東海岸ニューファンドランドを出発し、一日に42キロを目標に走り続けました。そして約5カ月後の9月1日にオンタリオ州サンダーベイ近郊で中断。がんが肺に移転したことがわかったのです。
5373キロを走った143日間は、カナダ国中がフォックスを応援し、彼の姿を見て勇気をもらった人も多いようです。またがんの知名度もあがり、がん研究や医療システムへの資金も国内中から集まりました。翌年22歳の若さで亡くなったフォックスのレガシーは、36年経った今でも、カナダだけにとどまらず世界中に広まり、彼の遺志は次世代の子供たちにもしっかりと引き継がれています。
■ 小倉マコ プロフィール
カナダ在住ライター。バンクーバー新報での「まるごとカナダ」「小倉マコのオタワ便り」コラムを始め、新聞記者、コミックエッセイ「姑は外国人」(角川書店)で原作も担当。フェイスブックも始めました!読者の皆さんと繋がれたら嬉しいです。https://www.facebook.com/ogura.mako1