2017年3月9日 第10号

 

 

イラスト共に片桐 貞夫

 

「好きですね。私は旅行が趣味であちこち行きますが、帰ってくるたびにバンクーバーが好きになります。釣りやスキーができる街なんか他にありませんからね」

「そうでしょうね」

「そうそう、あなたはここ数年、バンクーバーが理想的な街の世界一に選ばれているのを知っていますか」

「いえ」

「バンクーバーはですね、地形の美しさや治安性だけでなく、総括して、世界で最も好ましい街に選ばれているんですよ」

「そうですか」

 蘭子が、眼下に広がり出したフレーザーバリーの牧草地帯に眼を下ろしながら悲しげな表情を含ませてうなずいた。

 男の妻は新聞を読んでいる。

「で、トロントにはどうして行かれるんですか」

 蘭子が手持ち無沙汰に訊いた。

「トロントですか。実は私たちには五人の子供がいるんですが、その内の一人がトロントの人間と結婚しまして、トロントに住んでいるんですよ。その子に最近、三人目の子が生まれまして、それで会いに行くんです」 「お孫さんですか…」

 蘭子がため息をつくようにしてウインドーから目を離した。

「ええ、十五人目の孫なんです。でも残念ながらトロントなんですよ」

「十五人目」

 蘭子は口の中で、ああとつぶやいた。

 孫、孫、孫…

「あの……」

 蘭子は、自らの孫のことを訊かれそうな気がして素早く言った。

「と、トロントだっていい所なんでしょう」

「ええ、いいところです。いいところなんですが、バンクーバーに比べれば数段落ちますよ。山はないし、湖は五大湖の一つになっていますが単調で魅力に欠けます。娘が電話してくるたびに、バンクーバーに帰ってきたいと言ってますよ」

「……」

 蘭子は窓外に眼を向けたまま目を閉じた。

 たしかにバンクーバーには海がある。美しい山と河川に囲まれている。息子輝昭の大好きな街であった。

「ねえ、バンクーバーって、そんなにいいところじゃあないみたいよ」

 突如、男の妻が言った。そして読んでいた新聞を開いたまま男に差し出した。

 男が新聞を手にした。

「二十六人目の骨発掘」と言う最上段の見出しに大きな写真が載っている。

「どういうことなんですか」

 蘭子が新聞を覗きこんで男に訊いた。

「いやー、バンクーバーもおかしなことになってきてしまいました」

 先ほどからの口舌とはうらはらに、男は異様なことを言った。

「じつは、バンクーバーにも裏街があります。イーストエンドという地区なんですが、そのあたりから、過去十年間に五十人近いコールガールが蒸発したんです」

「蒸発?……どういうことなんですか。誘拐でもされたんですか」

「わかりません。とにかくいなくなったんです。消えてしまったんです。ところがですね、私もよく知りませんが、何ケ月前かに、その容疑者らしき男が摘発されたんですよ。この男なんですが……」

 男は見出しのすぐ下にある顔写真を示した。口をへの字に閉じた陰険な男が写っている。

「この容疑者の住んでいる土地から、次々と人骨が発見され出したんです」

「それがその二十六人なんですか。二十六柱もの人骨が発見されたんですか」

 新聞の見出しに「二十六人目の骨発掘」とある。

「そうなんです」

「そんな。二十六人もの人間の身体がどうして……」

「いや、写真ではよく判りませんが、この男は園芸を職業としていて広い土地を持っているんです。トラクターを一人であやつって苗木を育てているんですよ。何ケ月前かにふとしたことで容疑がかかり、捜査が始まって人間の骨が発掘され出したんです」

「じゃあその男、五十人もの女を殺したんですか」

「いやいや、まだ真相はわかりませんが、警察では、犠牲者が女ばかりなので、イーストエンドから蒸発したコールガールじゃあないかとみているようなんですよ」

「ひどい事件ですね」

(続く)

 

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。