2016年10月13日 第42号

泉康雄

 10月初旬のある昼のころ、レスブリッジ市内にあるヘンダーソン・レイクの側を歩いた。側といっても湖と歩道との間には18ホールのゴルフ場が横たわっている。そのゴルフ場と歩道とは、1キロほど東西に続くポプラの大樹と金網の柵、ボックス・ウッドの低木で隔てられている。この並木道を仕事の合間を縫って散歩するのが好きである。往復で2キロ歩くことになる。時には携帯電話が鳴って、急ぎ足で戻らなければならないことがある。

 その日は、そよ風の吹く澄み渡った秋空であった。ポプラのすっかり黄色くなった枯葉が無数に、歩道や車道に舞い落ちてくる。時折吹く強い風で枯葉を数枚付けた小枝がポトリ、ポトリと真っすぐに落下する。その中をのんびり歩く。車道に散らばる枯葉は、車が通る度に翻弄されたように舞い上がっては乱れ落ちる。

 ポプラ並木が切れるところが所々にあって、ちらほらとゴルフを楽しんでいる人たちを垣間見ることができる。アルバータではゴルフを楽しむのもそろそろ時期はずれになる。秋は深くなってきている。やがて厳しい冬が到来する。

 そんなことを思いながら歩いていると、風が少し強くなってきた。北風である。「秋深し隣は何をする人ぞ」という俳句が頭をよぎった。江戸時代の末期を生きた芭蕉の有名な句である。以前に俳句に詳しい人が、あれは「秋深き…」が本当であると教えてくれた。「深き」の後に「季節となった」というような言葉が隠された俳句である。「深し」を使うと、そこで句の流れが止まってしまう、というような説明であった。僕にはよく分からないけれど、口ずさむときには「深き」では何となくゴロが良くないので、勝手に変えている。

 それはともかく、芭蕉はこの句を晩年、死の迫る病床で詠んだという。晩年といっても芭蕉は51歳で没している。しかし、70歳を「古代希れなり」としていた頃のことである。決して若死ではないのだろう。独り静かな中で、死を想いながら隣家に心を寄せたのであろうか。芭蕉の生涯において詠まれた多くの俳句の中でも、死の寸前に詠まれたこの句は、人間味あふれ、心温まる秀句といわれているらしい。

 春を張り切ってスタートする若さにたとえるなら、枯葉の落ちる秋は、確かに人生の終焉を思わせる。東から昇る太陽も一日の始まりであり、西の方角に静かに沈む夕日は一日の終わりを告げている。しかし、今にも沈まんとする夕陽のあの美しい輝きは、見る人をいつも感動させずにはおかない。芭蕉の句が、人間のつながりが希薄になったような今の世に、いよいよその輝きを増すようにも思われてくる。

 そんなことを考えながら、北風を横に受けつつ戻りを急いだ。

 

 

 

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