2016年11月17日 第47号

 ボブ・ディランをはじめ多くの有名ミュージシャンにカバーされた名曲「ハレルヤ」(1984年)でも知られる、カナダの詩人でシンガー・ソングライターのレナード・コーエンさんが8日、アメリカ・ロサンゼルスの自宅で死去した。享年82歳。

 同氏が所属するレーベル、ソニー・ミュージック・カナダが10日に明らかにした。

 コーエンさんの生まれ故郷であるケベック州モントリオール市郊外のウエストマウントでは10日、彼が子供の頃家族とともに通っていたユダヤ教のシナゴーグで、伝統的なユダヤ教式の葬式が行われた。コーエンさんの遺体は、この教会にある彼の家族の墓地に埋葬された。

 同教会のレビ、アダム・シーラーさんは追悼の言葉の中で、メジャーデビューしてからもよく故郷に帰ってきたコーエンさんは、生涯を通じてこのシナゴーグに精神的、音楽的、また家族的な絆を保ち続けてきたと、故人を偲んだ。

 コーエンさんは1934年、モントリオールで服飾店を営むユダヤ系の父親の長男として生まれた。コーエンさんが9歳の時に父親は他界、その後は母親が子供たちの面倒を見続けた。母親はよくイディッシュ語やロシア語の民謡を歌って聞かせたという。

 10代の頃にはスペインの詩人フェデリコ・ガルシア・ロルカに傾倒、モントリオールのマギル大学入学後は詩作に熱中した。しかし詩人としてはなかなか日の目を見なかったため、ソングライターとしての道を探り、ボブ・ディランなどを手がけていたプロデューサー、ジョン・ハモンドに認められ、音楽業界に転進。

 1967年には彼のデビュー・アルバム『レナード・コーエンの唄』をリリース。その後彼の人気はイギリスやヨーロッパから徐々に高まっていき、50代になってから数々の名曲を発表した。その魅力のひとつの、いぶし銀のような深い声は「ウィスキーとタバコでこうなった」と口癖のように語っていた。

 今年10月には14枚目のアルバムをリリースしたばかりだったコーエンさん。評論家のひとりは、ポップやフォークミュージック界に初めて詩的なセンスを持ち込み、それ以降の愛や信頼、光と影について歌うアーティストたちに大きな影響を与えたと、コーエンさんの功績を表現している。

 コーエンさんの息子アダムさんはモントリオールでの葬式後、自身のフェイスブックを通じ、故人を偲んでくれた多くのファンや関係者に感謝しているとのコメントを載せている。

 

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