ブリティッシュ・コロンビア州バンクーバーはことし、市制130周年を迎えるが、その歴史の中で初めて、その通りの名前にインド系カナダ人の名前を採用した。

 その人はジャガット・「ジャック」・アッパルさん。同市南部、フレーザー川に面した地域で行われている大規模再開発に伴い新設される道路に、彼の名前が推薦された。同市の市民資産命名委員会によるこの発表が行われたのは、くしくも市議会が市制130周年を祝った日であった。

 まだ赤ん坊だったアッパルさんが両親とともにインド・パンジャブ州からバンクーバーに到着したのは、1926年。

 多くの貧しいインド人移民が暮らしていたフレーザー川沿いの工業地帯で育った彼は、バンクーバーで初の、公立学校に入学が許可されたシーク教生徒の1人だった。しかし突然の父親の死後、家族を支えるために兄と友に学校を中退せざるを得なかった。

 こうした経験から、アッパルさんは移民など差別を受ける人々のために活動するようになっていく。彼の努力は、1947年のインド系カナダ人の投票権の獲得にもつながっていく。

 また長年製材業界で働いた後、自分の製材所ゴールドウッド・インダストリーを1971年、ミッチェル島に設立する。

 彼はカナダに到着した自国からの移民を、他の企業が雇わない時でも積極的に雇用、彼らの当地での暮らしの安定化を支援してきた。またバンクーバーに住むシーク教徒の信仰の中心となっている、ロス通りのシーク教寺院の建設にあたっては、その土地購入に協力した。

 アッパルさんは2014年、89歳で他界。葬儀には2000人以上が参列した。

 彼の娘で、ゴールドウッド・インダストリーの現社長シンディ・ベインズさんは、アッパルさんは常に自分よりも他人のことを最優先してきて、子供たちにもそうするよう教えてきたと、メディアの取材に話している。

 ベインズさんが子供の頃のアッパルさんの家には、毎日様々な人が相談やいろいろな用件で訪れ、列を作って父と会うのを待っていて、まるで郵便局のようだったと当時の様子を語っている。

 アッパルさんはサイモン・フレーザー大学から2012年に法学名誉博士号を授与された時、卒業生に対し、次のように社会貢献の重要性を話していた。「自分は人が好きで、それが自分を形作っている。私がどうしても伝えておきたいことは、他人に接する時、自分がそうされたい態度でいてほしいということ。なぜなら、人の価値というのは、いかに周りの役に立っているかによって測られるものだから」

 

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