選挙の争点となる憲法96条改正を考える

日本国憲法改正が大きな問題となっている。夏の参議院議員選挙では、憲法96条改正が争点の一つとなるかもしれない。自民党は日本国憲法をどう改正したいのか。なぜ96条の改正が争点なのか。もし96条が改正され、自民党が希望通りに他の規定も改正された場合、特に9条の平和主義はどう変わるのか。

 

1.自民党の憲法改正草案

自民党は昨年「憲法改正草案」(以後、自民党案)を発表している。特徴的な点を紹介する。
前文について自民党案では現行憲法にはない表現がある。「長い歴史と固有の文化」、「国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り・・・和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」や、「自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ」など、家族、国家を重視し、伝統や規律を非常に重視する憲法観に立っている。第1章では天皇が「元首」であることも明記している。
9条の1項は基本的にあまり大きな変化はない。ただ、第2章を「戦争の放棄」ではなく「安全保障」とし、9条2項の戦力の不保持に代え自衛権の保有を明記している。さらに「国防軍」と題した9条の2を新設し、軍隊の保持を明記、その軍隊を国防軍と呼ぶとしている。国際平和協力と国内の秩序維持の機能もより強く期待している。9条の3には「領土等の保全等」という任務規定も新設している。25条の3には「在外国民の保護」の規定があり、より積極的に国民の保護に関わることを自民党が考えていることがわかる。
さらに、98条1項、99条1項で「緊急事態」の規定をしている。緊急事態宣言が発せられると、法律と同一の効力を有する政令を制定し、国民の権利自由を制約できる。これはかなり大きな影響があるかもしれない。99条3項では国民は政府の指示に従うことを義務付けている。
第3章「国民の権利および義務」でも、自民党案は個人よりも全体を優先する姿勢を示している。12条では、国民の権利を保障するにあたり、国民に対して権利には責任および義務が伴うことを自覚させると同時に、「常に公益および公の秩序に反してはならない」としている。現行憲法では「公共の福祉」であり、公共の福祉が、公益および公の秩序に変わっているところが興味深い。公益の方がより広い感じがあり、基本的人権の制約をより広く認める姿勢が表れている。
13条でも、現行憲法では、国民はすべて「個人として尊重される」とあるが、これが自民党案では「個人」としてではなく、「人」として尊重されるとなっている。つまり個人として尊重しなくてもいいと考えているとも取れる。これは個々人の個性や主張を重んじようとする日本国憲法の考え方とは違う立場を示している。「公益および公の秩序」の文言も、同じようなニュアンスを持っている。
20条の政教分離に関する規定のなかでは、「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないもの」は例外であることが明記され、21条の表現の自由でも、自民党案では限界があることを明らかにしている。24条の家族に関しても、現行憲法では「個人の尊厳と両性の本質的平等」に基づいて家族が組み立てられるとされているが、自民党案では個人よりも家族を重視するような考え方を打ち出している。
内閣総理大臣の権限もいくつか拡大している。54条1項では衆議院の解散権、72条1項では行政各部の指揮監督権、72条3項では国防軍の統括を内閣総理大臣個人の権限と明記している。
最高法規に関する規定の中でも、現行の97条では基本的人権の尊重の意義を高く謳っているが、自民党案ではこれを削除し、憲法尊重擁護義務の中で、国民に憲法尊重義務を課す規定が置かれている(102条)。
日本国憲法は国民が制定したもので、国を動かす公務員に対して憲法を尊重する義務を課しているが、国民には憲法を守る義務はないというのが支配的な考え方である。しかし自民党案では、国民に憲法尊重義務を課したいという意向が見える。
このように自民党案は、全体としてかなり保守的な憲法観に基づいたもので、個人より社会、家族、国を特に重んじる考え方が散りばめられている。

 

2.憲法改正規定の改正-96条について-

なぜ96条改正が問題なのか?
現行の96条は憲法改正手続きに関する規定で、憲法改正の発議は両議院で各議院の総議員3分の2以上の賛成で国会が行い、国民投票で過半数の賛成が必要としている。しかし自民党案は、改正の発議を各議院議員総数の過半数の賛成で決議し、国民投票を実施、有効投票数の過半数で賛成と見なすとしている。96条の改正を支持する人は、日本国憲法の改正条件が厳格すぎることを指摘している。

 

では、日本国憲法の改正条件は本当に厳格すぎるのか?
実はそうでもない。アメリカの場合、憲法改正案は、連邦議会の両議院3分の2の賛成がないと提案できず、50州のうち4分の3の州が賛成しないと成立しない。日本よりも厳格だといえる。それでもこれまで何度か改正は行われている。
カナダの場合、憲法改正の一般的な規定である1982年憲法38条によると、連邦議会の上院と下院、3分の2以上の州議会の賛成を必要とし、それらの州の人口の合計が全州人口総数の50パーセント以上でなければならない。10州の3分の2以上、つまり7州以上の賛成が必要で、総人口の50パーセント以上が必要なことから、7/50要件と呼ばれる。これが原則だが、さらに重要項目については、上下院と10州全ての賛成が必要な改正もある。しかも、法律により憲法改正案を閣僚が提案するためには、オンタリオ州、ケベック州、ブリティッシュ・コロンビア州の同意と、大西洋諸州の2州以上(人口合計50パーセント以上)、平原諸州の2州以上(人口合計50パーセント以上)の合意が必要とされている。事実上、上記3州に加えアルバータ州の同意も必要で、しかも人口の90パーセント以上を占める州の支持がなければ憲法改正は困難である。これと比べると日本国憲法はそれほど厳しいとは思われない。
これらのことから、日本国憲法の改正要件は、世界的に見ても特に厳格ということはない。日本国憲法が一度も改正されていないのは、改正手続きが厳格すぎるからではなく、ただ単に改正を支持する声が強くなかったからである。したがって、改正手続きが厳格すぎるから緩やかにしなければならないというのは説得力を欠くのではないかと思われる。
憲法は国の基本を定めた法律であり、何十年も、何百年も、持続するように作られている。その時々の国民によって「最良」と思われるものが法律として制定されるが、中にはそう簡単に変えない方がいいと思われる項目もある。憲法とはその時の国民の多数が「良い」と思っても、もう一度立ち止まり、熟慮し、合意が整ってから、改正を始めるべきだという事項を定めたものである。憲法の改正に特別に厳しい手続きが必要なのは、それなりの理由がある。自民党案のように過半数で提案をして国民投票も過半数で賛成すればいいというのは、憲法の存在意味からすると、少し緩やか過ぎるのではないかと思われる。
さらに、そもそも憲法改正規定は、国民に主権があることを宣言した規定に基づき、国民に憲法改正権を保障したものであり、これを改正することができるのかどうかには疑問もある。このことからも96条改正については慎重な検討が必要とされる。

 

3.9条を改正するとどこがどう変わるのか

では、96条が改正され、日本国憲法が自民党の希望するように改正された場合、9条の平和主義の規定はどう変わるのか。
9条が自民党案のように変われば、(1)自衛隊を持てるということが明確になる。(2)自衛隊を軍隊であることを明確に認めることができる。(3)自衛隊の最高指揮官が内閣総理大臣であることが明確になる。要するにこれは、現行の自衛隊が憲法違反でないことを明確にしている。ただ、自民党案によって、「自衛隊」が「国防軍」になることで、「自衛隊は、自衛のための必要最小限度の実力にすぎないため戦力ではない。したがって9条に違反しない」という現在の政府の基本的な考え方が、変更される可能性がある。
たとえば核兵器保持の可能性については、隣国の状況から日本も核武装すべきだという考え方がある。政府は、核兵器の保有は現行9条2項の下でも禁止されていないという考え方に立っている。つまり9条改正に伴い、自衛のために必要であれば、日本も核兵器を保有するという可能性が残されている。
さらに自衛権として、国際法では個別的自衛権と集団的自衛権が認められている。自国が攻撃された時の防衛である個別的自衛権に対し、集団的自衛権とは、安全保障条約を結んだ他国が攻撃をされた時にも自国に対する攻撃と見なして、自衛権を発動するというものである。日本国憲法の下では集団的自衛権は保有しているが、現行9条の下では行使できないというのが従来の解釈だった。この解釈は9条が改正された場合は変更されるだろう。
国際協力についても、武器使用と武力行使を区別する日本独特の従来の考え方では、国際協力事業で隊員が襲われた場合は武器を使用できるが、共に展開している他国の部隊が攻撃をされた場合、自衛隊は武器を使用できないとなっている。この点を自民党は変更したいと考えている。国防軍となることによって、国際的な軍事行動に参加する可能性が開かれるかもしれない。

 

松井教授は、夏の参院選では自民党の議席次第で96条が改正され、その先には他の規定、特に9条改正について具体的に日程が組まれる可能性があると予測する。自民党の憲法改正への基本的な立場については、当然意見が分かれることが予想されるが、「在外邦人として選挙権を持っておられる方にはよく熟慮して選挙に臨まれることを期待したい」と語った

 

取材 三島直美

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。