ー電子本で出版を決めた理由は何ですか?

自分の記録として残しておきたく、本にしたいという思いは前からありましたが、自費出版となると出費が半端じゃないと知ってから、出版はあきらめていました。電子本の存在は知っていましたけど、「そんなものは残らないじゃないか」と思って関心はなかったのですが、電子本での出版ならそんなに費用もかからないと聞きましてね。それに昨年あたりから、こういうやつ(携帯端末のページをめくる動作をする)がずいぶん出回ってきているじゃないですか。それなら、と思ったわけですよ。

ー掲載された原稿は二、三十編と聞きましたが、
選ぶのに苦労があったのでは。

実際に掲載したのは25編です。私は日本語教師として、日本で外国人に日本語を5〜6年ほど指導した後にカナダに移住したのですが、このエッセイはここで教え始めて5年くらい経った頃に書き出しましてね。内容はカナダに来てから感じたことが中心です。本に取り上げたのは…たとえば奥さんが「あなた、お茶が入ったわよ」「お風呂が沸きましたよ」って言いますよね。

ー言いますね。

これはよく考えてみたらすごいことで、お茶や風呂が自然に入るわけがない。普通なら「お茶を入れたわよ」となるわけだ。でもそう言われたら、旦那の方は「ありがとう」と言わないと落ち着かない。これは私の想像ですけど、「お茶が入りましたよ」は日本人の奥さんの奥ゆかしさから出た言い方で、旦那に「ありがとう」を言わせない配慮なんじゃないかと。「お風呂が沸きましたよ」もそう。お風呂が勝手に沸くわけがないんだから。でも今時の日本の風呂は、ボタンを押しておくと風呂が自分で「お風呂が沸きました」って言うんだね。

ー(笑)。本当に日本の物はよくしゃべりますね。

まあこれはいい。でも薪をくべて、フーフー吹いてせっせと風呂を沸かしていた時代から「あなた、風呂が沸きましたよ」だ。すごいね。

ー自分の行為でも、自分を入れずに表現するわけですね。

そう。ところが、この自動詞の表現といえば、カナダの日本語学習者で上級の生徒のAさんが日本に滞在した時の話がありましてね。Aさんの下宿した部屋が寒くて、大家さんからストーブを貸してもらったんだけど、それが故障してしまった。そこでAさんは大家さんに「ストーブが壊れました」と言ったんですね。するとその時から大家さんの態度が悪くなったのを彼女は感じたそうです。ここで日本人なら「ストーブを壊してしまったみたいなんですけど…」と、自分は壊していなくても、こう言って角が立たないようにするでしょうね。

ーここで自動詞の表現を使うのはまずかったと。
この場合はあえて自分の行為とも取れる表現をするのが日本的なわけですね。

彼女にもそのようにわかってもらいたいところだけど、交通事故の時に自分から「アイムソーリー」なんて言おうものなら…というカナダにいながら、壊していないのに壊したなんて言う、それをわかってもらうのは難しいと思いましたね。それは自分がカナダに来たから実感したことですよ。

ー異国に来て初めてわかる文化の違いですね。

今回の本には特に、そうした日本の文化が現れているトピックを取り上げました。言葉の持つ文化といえば、私自身こんなことがありましてね。普通、英語の「イエス」は「はい」で、「サンキュー」が「ありがとう」だと思っていますよね。ところが、こちらでゴルフをしていて、長いパットを決めた時、カナダ人に「シューゾー、イエス!」と言われましてね。「はい」って何なんだよと思いましたよ。そんなことや、スカイトレインに乗っていた時に、目の前にいた親子が揺れる電車の中で、親が子供に「棒につかまれ」と言った。言われた通りに子供が棒をつかんだら、親が「サンキュー」と言っていたんですよ。これを「ありがとう」と訳すのはおかしい。英語の「イエス」は「はい」で、「サンキュー」が「ありがとう」じゃないんだと。「習うより慣れよ」と言いますが、こんなことを知ったのはカナダに来てからのことです。

ーそういった簡単な言葉ほど奥が深いといいますか…。

そう。その言語のあいさつ言葉は他の言語で説明はできても、訳しようがない。でも日本で外国人に日本語を教えていた時には、「いただきます」「ごちそうさま」「ただいま」を英語で何と言うか調べましたよ。「先生それくらいのこともわからないの?」とでも言われたら腹が立ちますしね。しかしこちらに来てから「あいさつ言葉は文化の結晶なんだから、そんなもの英語に訳すなよ、訳せるはずがないんだよ」と堂々と言えるようになりました。

ーエッセイの中では、最後にオチがありますが、この辺りの苦労についてはどうですか?

まあ、たいていそのオチも生徒が提供してくれていると言いますか…。たとえば「花子に会う」「花子と会う」どちらでもいいですね。でもその前に「偶然」と付けると…。

ー「花子に」ですね。

日本人なら皆そう答える。習ったわけじゃないのにね。でも普通はどちらでもいい。そしたら生徒から「じゃあ先生、『花子と結婚する』、『花子に結婚する』、どちらでもいいですか?」なんて言われましたよ。日本人ならそれを聞くとみんな笑うわけです。だから生徒には「に」と「と」の違いを教えないといけない。「に」は一方的で、「と」は一緒の意味があるから、「花子に結婚する」はまずいんだと。「話す」ならどうかというと、「花子に話す」「花子と話す」、日本人ならその意味の違いを理解しながら自然と使っている。しかし外国人にとってはそうはいかない。
それでオチのことなんだけれど、生徒に「おっ、今日花子とデートか?ちゃんと先生に報告しろよ」と言っておいたら、生徒が翌日「昨日花子とキスした」と言うんだね。「お前、花子『と』キスしたならお互いの合意の上だろう、でも『に』だったらまずいんじゃないか?」って言ったら、その生徒に「そんなのいいじゃないですか。二人の問題です!」って言われちゃってね。「そりゃそうだ」ってわけですよ。(笑)こんな感じで、生徒がオチも提供していることが多いんですよ。

ーなるほど。そして、「に」と「と」など、
日本人が知らず知らずに使い分けている言葉にはいろいろあるんでしょうね。

「大きい」と「大きな」と、言い方が二つありますけど、月だったら、「大きい月だね」、「大きな月だね」と両方使いますよね。でもお月様だったら、みんな「大きなお月様」と、「大きな」を使う。ということは、月とお月様では絶対に何かが違うんだと。愛情もそう。「大きい愛情」ではなく、「大きな愛情」でないといけない。

ー「大きい愛情」と言うと、定規で計ったような気がしますね。

まあ、「大きい愛情を感じた」と言ってもいいかもしれない。でも普通、目で見たものは「大きな」と言えるけれど、心で感じたものは「大きな」なんだね。お月様は、おばあちゃんが縁側に座って、「あそこにうさぎちゃんがいるんだよ」って言ってくれたかどうかはさておきとしても、日本人はお月様というときに心で感じるものだから「大きい」ではなく、「大きな」を使うわけです。

ーなるほど。そんな違いがあったんですね。

こうしたことに日本語の持つ素晴らしさを感じるんですよ。もし私がずっとサラリーマンでいたら、まったく感じもしなかったことだったと思います。そんな日本語のあれこれを綴ってきたエッセイを一冊の本にまとめたわけですが、日本語を外から眺めてその素晴らしさをあらためて感じていただけたら幸いです。

矢野さんのユーモアと共に日本語の面白さを堪能できる『外から見る日本語』電子本は、電子本サイトの「Puboo(パブー)」http://p.booklog.jp/book/68302から220円で購入可能(iBooksからも近日中にアップされる予定)。日本語への新たな視点が得られるだけでなく、会話を楽しくするネタにもできるこの本が、世界の人たちからアクセスされ、読まれていくことに期待したい。

 

(取材 平野香利)

 

矢野修三(やの・しゅうぞう)

東京育ち。22年間のサラリーマン生活を経て、父との同居を機に日本語教師に転身。横浜で出会ったカナダ人家族との親交を深めたことから、カナダの魅力に惹かれて1994年に起業移民として移住。バンクーバーで日本語指導の矢野アカデミーを創設し、これまで数多くの卒業生を輩出している。矢野アカデミーのウェブサイトwww.yano.bc.ca

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