[一般の部]大賞 衆議院議長賞

歳月の刻みし皺に紛れさうな ゑくぼ確かむ朝の鏡に

カナダ・リッチモンド 西林節子

選評(小塩卓哉)
朝起きて鏡の前に向かいつつ、自分の顔に刻まれた皺の中に「ゑくぼ」を確認している作品である。「歳月の刻みし」とあるので、皺は作者の生活の歴史を物語るものであるだろう。「ゑくぼ」は笑いのシンボルであり、いつも微笑みを心がけてきた作者の生きる姿勢を表現しているとも言えるだろう。「ゑくぼ」をちゃんと確認し、今日もまたがんばろうという決意の伝わってくる歌。

どんな思いでこの短歌を書かれたのですか?

鏡に向かうのは毎日のことですが、それはいや応なしに増えてゆく皺やしみを認識させられる機会でもあります。
お世辞にも美人とはいえない私に両親は「えくぼが取り得」と言ってくれ、自分でも愛着があったのですが、子どもの頃にはくっきりとしていた『えくぼ』もいつのまにか皺の一部のようになってしまいました。『皺は長生きの勲章』と居直れるほどの年齢になりましたが、それでもえくぼには未練があって、それがこの歌になりました。

過去最高の2325作品の応募の中から大賞を受賞された感想は?

鏡の前で笑顔を作り『えくぼ』を長持ちさせる努力をしていますが、歳月と共に皺はふえ続け、近い将来その中に『えくぼ』は消えてしまうでしょうが、今回、分に過ぎる賞をいただいた喜びは決して消えることがないでしょう。ありがうございました。

授賞式の様子を聞かせてください。

授賞式では『学生の部』で大賞を受けた高校生の隣に座り少し話をしたのですが、学校に俳句クラブがあるとのことで、若い人たちが日本の詩歌の伝統を受け継いでいることを頼もしく思いました。海外の学校からの応募も増えているようです
また今回初めて授賞式前日の歓迎レセプションにも出席したのですが、そこに来ておられたオリンピックのメダリストの方々と撮った写真を孫たちに見せましたら、「おばあちゃんスゴイ!」と感心されました。少しは尊敬してもらえるおばあちゃんになったかなと思っています。

どういうきっかけで短歌を始めたのですか?

2006年にロングステイを決め、リッチモンドに住むようになりましたとき、偶然『バンクーバー新報』の案内欄で『バンクーバー短歌会へのお誘い』を見つけ、すぐに会員になったのがきっかけです。
文学作品を読むのは好きでしたし、今も日本のある結社に所属して俳句を作っていますが短歌は初めてでした。多少、野次馬的な好奇心もあったのですが、俳句との違いや共通点などもわかってくると興味が増して来て、その魅力にはまっています。

特に好きな作家や作品はありますか?

好きな作家を挙げるときりがありませんが、取りあえずひとりだけ挙げるなら『紫式部』ですね。

どんなときに短歌を作るのですか?

お答えするのはむずかしいですね。机に向かって作ることはまずありません。台所に立っているとき、散歩しているとき、お風呂に入っているときなどさまざまです。言葉が不意に意識に上ってくるときとでも言うのでしょうか。 もちろん旅行した時などは題材を拾って帰りますが、それがすぐ作品になるとは限りません。一首が出来上がるまでの時間もさまざまです。

カナダに移住されてから題材は変わりましたか?

カナダは自然が多すぎ、大きすぎて自然を詠むのはかえってむずかしいと思うこともありますが、日本を離れていると雑用にわずらわされることが少ないので、日常の生活を静かに眺める余裕があり、そういった内容の歌が多いと思います。

バンクーバー短歌会について聞かせてください

会員数は出入りがありますが約20名。うち男性は4名です。年齢は50代60代が中心だと思います。リタイアなさった方も現役の方もおられます。最高齢は94歳の方です。 昨年の『新年宮中歌会始』に入選された粟津三寿さんも会員です。『海外日系人文藝祭』にも多くの入賞・入選者を出しています。
勉強会は月に1度で、それぞれが詠草二首を持ち寄り批評し合ったあと、日本の先生(NHKの短歌教室の選者などをなさっている歌人)にお送りして添削していただきます。歌歴の長い方も日の浅い方も入り混じって話し合っているうちに自分でも気づかなかった発見があったり、思い込みに気づかされたり、新しい言葉を覚えたりと、ほんとうに有意義な2時間です。
その後のランチタイムのおしゃべりも楽しみで、私はこの短歌会に加入したことでバンクーバーでの生活の幅がぐんと広がりました。カナダでの日本人・日系人についての理解も深まったと思いますし『外から見る日本』についても学ぶことがたくさんありました。

『文藝祭』へは今までも応募なさっていたわけですね?

バンクーバー短歌会の会員で、ずっと『文藝祭』の実行委員をつとめておられる佐藤紀子さんのお勧めで応募しました。『海外日系人』の資格があるかどうかとためらいもあったのですが、日本国内在住者も対象になっているとのことでしたので。今年で4回目の応募で、昨年は『日本歌人クラブ賞』をいただきました。
受賞作は『文藝祭』のために作ったものではなく、1年ぐらい前に何となく出来たものをノートに書き留めていました。日常雑感ですが、選者の先生は私が意図した以上のものを読み取ってくださったようで、少し驚きました。

カナダにいらしたきっかけは?

40年前、夫の仕事でトロントに1年間暮らしたことがあります。以来2年に1度ぐらいの割合で訪加していました。私は旧満州の生まれで、街のたたずまいや乾いた空気などが故郷に似通っているように思われ、最初から『外国』と言う違和感がありませんでした。
アウトドア派の夫もカナダの自然に魅せられ、友人も増え、いつとはなく老後はカナダで暮らしたいと思うようになったのですが、両親の介護などもありなかなか実行出来ず、いよいよ行動に移したときはふたりとも70歳になっていました。そんなわけで年齢のことを考えると永住権を取るほどの決心もつかず、6ヵ月の滞在期間内で日本との往復を繰り返しています。

カナダではどんな毎日を過ごしていますか?

歩くのが好きな夫は近くのダイクを気が向けば2〜3時間歩いたり、パソコンで日本での仕事の資料作りをしたり、私は本を読んだり家事をしたり、ふたりで買い物に行ったり、といったところです。UBCの図書館に行くのも楽しみです。バンクーバーに来てから出来た友人たちとの交流も増えてきました。
出来るだけ長くこのスタイルを続けたいと思っていますが、一方でいつまで続けられるだろうかという不安があるのも事実です。健康次第でしょうね。

 

(取材 ルイーズ阿久沢)

 

西林節子(にしばやし・せつこ)

1935年旧満州旅順市生まれ。戦後は大阪・京都・鳥取・兵庫に住む。3人の息子の結婚、夫の定年退職、双方の両親の介護を終えた後、カナダBC州リッチモンド市にロングステイを決め、現在に至る。バンクーバー新報紙上で『バンクーバー短歌会』の存在を知り2006年加入、作歌を始める。現在は20数名の会員とともに毎月1度の勉強会で作歌を学び、かつ楽しんでいる。

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。