父から聞いた朝日軍
「カナダで生まれ、日米開戦前に日本に帰国した父は普段は穏やかな人でしたが、こと野球の話になると熱くなりました」と話すフルモト氏。彼の父、故テディー・フルモトこそが、伝説の日系人アマチュア野球チーム『朝日軍』の名ピッチャーだったのである。
朝日軍の存在は日本で知られていなかったため、大学生の頃プロテスタントの牧師が朝日軍や父親のことを覚えていると言ったときはびっくりしたという。
さらにきっかけは1994年にTBSテレビで放送された報道特集『知られざるカナダ朝日軍』。番組プロデューサーに書いた手紙から、朝日軍の生存者や『レジェンド・オブ・ベースボール』の著者パット足立さんを紹介され、1998年、フルモト氏は父の故郷カナダを訪れることになる。
伝説のチームを本に
トロントでパット足立さん、ケニー沓掛さんほか、カナダ全国から集まった朝日軍の往年のプレーヤーたちとその家族と感動の対面をし父の話を聞いたフルモト氏は、改めて朝日軍の偉大さを実感した。このとき、日本では知られていない朝日軍の存在と活躍を世界に知らせるという課題を授かって帰国した。
早くしなければ朝日軍OBがひとりもこの世からいなくなってしまう。そんな焦燥にかられ、やっと本が完成したのが2008年。その間、朝日軍は2003年にカナダ野球殿堂入り、2005年にブリティッシュ・コロンビア・スポーツ殿堂入りを果たしたのだった。
1910年代のバンクーバー
この度小学館からフルモト氏の著書『バンクーバー朝日軍』の漫画化が決定した。作家は『冬物語』『部屋においでよ』『レガッタ』など多くのヒット作を持つベテラン原秀則氏。今年初めにある連載を終えてからは『ビッグコミックスペリオール』誌の由田和人副編集長とともに朝日軍の資料検索にあたってきた。
今回のカナダ取材では、訪問した先々で懐かしいものに出会ったような輝きを見せた原氏。取材に合わせてカムループスから会いに来た元朝日軍選手のケイ上西さん(90)から話を聞けたことも大きな収穫だった。当時はどんな服装をしてどんな食事をしていたのか。日系博物館アーカイブ担当のリンダ・リードさんが見せてくれる野球道具を丹念に眺め、現在とは形が違う4本指のグローブを見て指の位置も確認した。
オッペンハイマー公園(旧パウエル球場)の三塁ベース、ジャパンタウンの古い建物の構造や朝日軍選手らが通ったバンクーバー日本語学校。現在の町並みを歩きながらイメージを膨らませ、頭の中はすでに1910年代の日本人町や朝日軍でいっぱいの様子だった。
かつてたくさんの日系漁民が住んだスティーブストンでは、当時の漁船や日系人の生活様式を観察。これらの描写が漫画の中の風景に生かされることになる。
父のメダル
2年前、東京でフルモト氏と面会した記者は、カナダ野球殿堂から贈られたメダルのゆくえについて相談されていた。今回トロント郊外のカナダ野球殿堂に問い合わせるとメダルはないとのこと。日系博物館企画担当の荻原にこらさんに尋ねると、意外にもブリティッシュ・コロンビア・スポーツ殿堂から贈られたメダルが同博物館に保管されていることがわかり、その中にテディー・フルモトのメダルもあるという朗報が届いた。
カナダに到着した初日、日系センター2階の朝日軍展示の前でセンター会長の林光夫氏からメダルを授与されたフルモト氏は「父のメダルを手渡された時、思わず熱いものが込みあげて来て目頭が熱くなりました。その瞬間、身近に父の存在を感じました」と感無量の思いを語った。
今、伝えたいこと
今から100年以上も昔、裸一環で太平洋を渡り、過酷な労働、人種差別にあいながらも日本人のプライドを持って生き抜いた日系カナダ人。機動力とフェアプレーで白人を含む多くのファンの心をつかみ、人種差別に苦しんだ日系社会に勇気と誇りを与えたのが『朝日軍』だった。
フルモト氏はこのことをひとりでも多くの人に伝えるため、そして現代の人たちが忘れかけた日本人としての誇りと愛国心を朝日軍の活躍を通じて広く伝えるため、講演してまわっている。
今回の漫画化(7月から連載開始)で朝日軍の存在がさらに多くの人に伝わるものと、大きな期待がかかっている。
(取材 ルイーズ阿久沢)
バンクーバー朝日軍
伝説の「サムライ野球チーム」その歴史と栄光(テッド・Y・フルモト著)
東峰書房:定価1400円+税 Amazon.co.jpで購入可。
英訳本『More Than A Baseball Team, The Saga of the Vancouver Asahi』
(Ted Y Furumoto and Douglas W Jackson)は電子ブックとしてアマゾン(アメリカほか)で発売中。
テッド・Y・フルモトのバンクーバー朝日軍ホームページ:http://www.asahigun.com