2018年10月11日 第41号
秋晴れがすがすがしい10月6日、ブリティッシュ・コロンビア州・バーナビー市の日系文化センター・博物館で、日系カナダ人コミュニティに貢献した個人や団体に感謝の意を表するための日系プレース・コミュニティアワード授賞式と、日系センターの活動への寄付金を募るディナーが催された。
今年のコミュニティアワードは、日系カナダ人のリドレス(戦後補償)合意成立30周年に焦点を当て、補償の交渉に携わった全カナダ日系人補償戦略委員会(NAJCSC)の中から6名に授与された。230人の出席者があり、今年も盛会となった。当日はオークションも行われ、寄付金の総計額は約1万3千ドルにのぼった。
日系コミュニティアワード受賞者。(左から)マリカ・オマツ判事、ロジャー・オバタ氏の孫・シェーン・オバタさん(ロジャー・オバタ氏の代理)、ロイ・ミキ博士、アート・ミキ博士、オードリー・コバヤシ博士、カサンドラ・コバヤシ氏、ロジャー・オバタ氏の娘・スー・オバタさん(ロジャー・オバタ氏の代理)
来春完成予定の『カラサワミュージアム』
コミュニティアワード授賞式の開幕前には、10月からスタートした日系博物館の改装を祝う着工式があり、リボンカットが行われた。
まず、日系文化センター・博物館のロジャー・レミレー事務局長、ロバート・バンノ理事、五明明子理事長から挨拶があり、唐沢良子さんから1ミリオンドルの寄付があったことに感謝の意を表した。
五明理事長は挨拶の中で、「2000年度に日系文化センター・博物館が開館して以来、このように寛大な寄付金をいただいたのはこれがはじめてです。おかげさまで、この寄付をもとに大規模な博物館の改装に漕ぎつけることができました。その第一段階として、現在、1階にあるオフィスを2階に移動中で、来週からはここで、『カラサワミュージアム』の工事を開始、2019年の春には完成予定です」と述べた。
唐沢さんは「これからもずっと日系博物館のために協力することをここに約束します」と満面の笑顔で来場者に語りかけた。
日系コミュニティアワード授賞式
着工式の後には『ちび太鼓』の演奏とともにコミュニティアワード授賞式が開かれた。
今年の受賞者は、オードリー・コバヤシ博士、カサンドラ・コバヤシ氏、アート・ミキ博士、ロイ・ミキ博士、ロジャー・オバタ氏、マリカ・オマツ判事の6名。ロジャー・オバタ氏の代理として娘のスー・オバタさん、孫のシェーン・オバタさんが出席した。
司会のジャスティン・オウルトさんがリドレス合意30周年の祝辞を述べた後、「リドレス運動では、本日受賞される方々以外にも、尽力された方が大勢いらっしゃいました。今日この会場にもいらっしゃると思います。すみませんが、立ち上がっていただけないでしょうか」と呼びかけた。何人かが立ち上がった後、会場は大きな拍手に包まれた。
2000年度に建てられた日系センターの土地はリドレス・コミュニティファンドにより購入が可能となった。
ロジャー・レミレー事務局長、五明明子理事長の挨拶の後には、補償が成立するまでのプレゼンテーションビデオが映し出され、出席者の多くが真剣な眼差しで画像に見入っていた。
そして、今年のコミュニティアワード・受賞者の一人でもあり、補償運動では指導者の役目を担ったアート・ミキ博士の基調講演があった。(基調講演の内容については、次週号以降に掲載予定)。
日系コミュニティアワード受賞者
第二次世界大戦中に、約2万1千人の日系人が居住地から強制的に移動、収容され、財産を没収された。その補償をカナダ政府に求める運動が1984年から始まった。1988年9月22日のリドレス合意成立から30周年を記念して、補償の交渉に携わった全カナダ日系人補償戦略委員会(NAJCSC)の中から6名にコミュニティアワードが授与された。
*オードリー・コバヤシ博士
オードリー・コバヤシ博士はオンタリオ州のクイーンズ大学・地理学の教授。ロイヤルソサエティ・オブ・カナダのメンバーでもある。第二次世界大戦前にバンクーバー市の旧日本人街だったパウエル通り周辺の地理にも精通していることで知られている。NAJCSCのメンバーとして、コバヤシ博士は大戦中の日系カナダ人が受けた損失についての情報を提供、補償額を交渉するチームに所属した。
*カサンドラ・コバヤシ氏
トロント大学の法科を卒業後、バンクーバーに移住した。日系カナダ人リドレス委員会の中核部に加わり、バンクーバー在住の日系カナダ人の補償を支持する役目を担った。自身の仕事を持ちながら、補償委員会の理事も務めた。日系人の強制移動、人権侵害について述べられた“Justice in Our Time: The Japanese Canadian Redress Settlement”をロイ・ミキ博士と1990年に共著。
*アート・ミキ博士
アート・ミキ博士はリドレス運動のあった1984年から1992年までの間、全カナダ日系人協会(NAJC)の会長を務める。バンクーバー生まれ。5歳の時に家族と共にマニトバ州のサトウキビ畑に強制移動させられ、ウィニペグの高校と大学を卒業。NAJCの会長として補償の交渉に挑んでいた時期には小学校の教師、校長であった。リドレスが合意に至り、解決した後も、日系カナダ人コミュニティに割り当てられたカナダ政府からの補償金を管理する日系カナダ人補償財団で会長を務めた。マニトバ日系文化協会の会長である現在もNAJCの顧問を務めている。カナダ勲章、マニトバ勲章、旭日大綬章を受勲。
*ロイ・ミキ博士
ロイ・ミキ博士は詩人で、サイモンフレーザー大学の英語名誉教授である。カナダ勲章、ブリティッシュ・コロンビア勲章を受勲。サトウキビ畑で働く両親のもと、1942年にウィニペグ近くで生まれる。1970年代に日系カナダ人100周年記念プロジェクトの一環としてリドレス運動に参加し、その後NAJCの補償戦略委員会のメンバーとなる。NAJCのリドレス幹事として、その活動内容をカナダ国内で伝え、広めるのに重要な役割を担った。カサンドラ・コバヤシ氏との共著“Justice in Our Time: The Japanese Canadian Redress Settlement”をはじめ、多くの著書を執筆している。
*ロジャー・オバタ氏 (1915〜2002)
ロジャー・オバタ氏は生涯にわたって日系カナダ人のために人生を捧げ、1988年の補償、及びカナダへの多大な貢献により、1990年にカナダ勲章を受勲。BC州・プリンスジョージで生まれ、プリンスルパートで育った。1937年にブリティッシュ・コロンビア大学エンジニアの学位を修め卒業。在学中は日系カナダ人が選挙権を持てるように働きかけた。1937年にトロントに移住。日系カナダ人が、当時母親の住んでいた西海岸から内陸へと強制移動された1942年にはコミュニティのリーダーとして反対した。
*マリカ・オマツ判事
マリカ・オマツ判事は人権弁護士で、カナダ国で初のアジア系女性裁判官である。オンタリオ州・ハミルトンで育ち、民事と環境権の法律専門の仕事を始めた。1980年にトロントで、日系カナダ人が補償について学べる「相談会」の発起人の一人である。リドレスではNAJCの顧問弁護士を務め、戦略・交渉委員会に属した。 2015年にオンタリオ勲章を受勲。
在バンクーバー日本国総領事館・多田雅代首席領事のことば
リドレス成立から30年という節目の年を迎え、リドレスが合意に至るまでカナダ政府と交渉し、現在の日系カナダ人社会の礎を築いてくださったアート・ミキさんをはじめとする補償委員会の方々にあらためて感謝を申し上げたいと思います。アート・ミキさんの基調講演を聴きまして、当時の生々しい、緊張感迫る交渉の様子がよく分かりました。お話が聴けて本当によかったと思います。この30年前の合意があってこそ今の日系カナダ人社会の生活がある、ということをぜひ、若い世代の人たちにも理解していただき、受け継いでいってほしいと心から思いました。
(取材 中村みゆき)
(左から)アート・ミキ博士、在バンクーバー日本国総領事館・多田雅代首席領事、ロイ・ミキ博士
オークションも開催された
日系博物館の着工を祝いリボンカット。(左から)ロバート・バンノ日系センター理事、五明明子・日系センター理事長、唐沢良子さん、日系センター・キュレーターのシェリー・カジワラさん
出席者は、30年前を振り返って映し出された画像に見入っていた
オープニングはちび太鼓の迫力ある演奏からはじまった
唐沢良子さん
五明明子理事長
ロバート・バンノ理事
ロジャー・レミレー事務局長