2018年9月13日 第37号
日本航空が東京・バンクーバー線就航から50周年を迎えた。「日本の翼JAL」がバンクーバーに初めて降り立ったのは、1968年9月11日。飛行機での海外旅行がまだまだ一般的でない時代に、初めてアジアとカナダを結ぶ直行便として就航した。
以来50年間、時代が変わり、航空業界を取り巻く環境が大きく変わっても、日本の「おもてなしの心」は変わらず今日に至っているという。
ブリティッシュ・コロンビア州バンクーバーでは9月7日にリッチモンド市で50周年記念レセプション、10日にはバンクーバー国際空港の搭乗ゲートで記念式典が行われた。10日のバンクーバー発成田行きJL17便に搭乗した全ての乗客には記念品が贈られた。
記念の鏡割り後の乾杯で。左から、安部日本航空バンクーバー支店長、ブロディ・リッチモンド市長、大川日本航空副会長、多田在バンクーバー日本国総領事代理、森岡日本航空米州地区支配人。日本酒はバンクーバーのArtisan Sakemakerから用意された。9月7日、リッチモンド市
日本、アジアとバンクーバーをつないだ最初の直行便から50年を迎えて
乗客が搭乗を待つゲートで行われた記念式典。記念写真を撮ったり、展示されたパネルに見入ったり、用意されたスイーツを楽しんだりして、この日たまたま居合わせた乗客も一緒に50周年を祝った。
あいさつした日本航空米州地区支配人森岡清人氏は、50年間日本航空がバンクーバー東京路線を続けてこられたのも「利用していただくお客様のおかげ」と感謝の言葉を述べ、これからも「おもてなしの心」で日本・アジアとカナダをつなぐ役割を果たしていきたいと語った。
森岡氏によると、初年の利用客は約5000人という。当時は週2便で就航。機材はダグラスDC-8-55型機で北海道の支笏湖にちなみ「SHIKOTSU号」という愛称を持っていた。当時は羽田空港からバンクーバー空港へは直行で、帰路は給油が必要なためアメリカ・アラスカ州アンカレッジ経由という航路。現在は、最新機ボーイング787-8型機で毎日1便就航している。2017年度は12万人が利用したという。
バンクーバーはアジア太平洋に面するカナダの西の玄関口と言われる。JALの就航により日本とバンクーバーだけでなく、アジアとカナダを密接につなぐきっかけとなった。
在バンクーバー日本総領事館多田雅代総領事代理は、50年という長い間直行便を継続し日加の人物交流にとって大きな役割を果たしている、日本だけでなく「JALに乗ることを楽しみにしているアジアの方々も多くいると聞いています。これからも安全、正確性、そしておもてなしによる気持ちのいいサービスを続けてもらいたいと思います」と語った。
バンクーバー空港社長兼CEOクレイグ・リッチモンド氏は、50年前に日本航空がバンクーバー線を就航して以降、約500万人が日本・バンクーバー間を利用していると紹介。日本航空はアジアとの架け橋となり、バンクーバーにもたらした経済的、文化的な貢献は計り知れないと語った。
元在日カナダ大使で日本で17年間過ごした現在バンクーバー空港公団取締役ジョセフ・キャロン氏は、アジア太平洋の玄関口にあるバンクーバー空港が素晴らしい空港としての役割を果たせるのは、「JALのような世界中から敬意を払われている航空会社」が50年間変わらず質の高いサービスを提供して空港を利用してくれるからと紹介した。「JALを利用した回数は数えきれない」と笑うキャロン氏は、一番の思い出としてジャンボの愛称で知られたボーイング747機の成田・ニューヨーク便に搭乗した際、2階部分に大きなバーラウンジが設置されていた驚きの思い出を語った。バンクーバー成田線には1975年に747機が導入された。
バンクーバー国際空港は1931年に開港。1947年にバンクーバー国際空港と改名し、本格的な国際空港として出発。1960年代初めにジェット機時代を見据えた拡張を行い、1968年に新ターミナルを開設。この年約190万人が空港を利用、JALはこの年の9月11日に初就航した。以降、バンクーバーで開催されたEXPO86、2010冬季オリンピック・パラリンピックでは唯一の日本の航空会社としてバンクーバーに乗り入れていた。
これからの50年もカナダで愛されるJALを目指して
9月7日の50周年レセプションでは、これまでバンクーバーで日本航空を支えてきた関係者が招かれた。今年は日本とカナダが日加修好90周年を迎えた。その半分以上の期間で日本航空が架け橋となっていると紹介された。
出席した日本航空副会長大川順子氏は、50年というのは大きな節目、たくさんの人々に支えられて「50年をこうして(バンクーバーで)迎えられたことに感動しています」と語った。
2020年には東京で夏季オリンピック・パラリンピックが開催される、ますますその質の高いサービスが期待されていると多田雅代在バンクーバー日本国総領事代理があいさつした。
バンクーバー国際空港があるリッチモンド市からはマルコム・ブロディ市長が出席。カナダと日本をつなぐ日本航空の初就航は、「リッチモンドと日本を結ぶ路線だった」と会場で笑いを誘った。リッチモンドと日本の絆は1870年代にまでさかのぼる。初期の日本人移民がリッチモンドを定住地として以降、多くの人が空路でも来るようになり、日本文化がこの土地に根付いていると語った。そして今日この50周年が次の50年の第1歩になることを期待すると激励した。
日本航空バンクーバー支店長安部省志氏は、バンクーバー線は以前からカナダ人利用客の割合が高い路線としての認識があると説明した。ただカナダ人といっても人種も出身国もさまざまで、そこがバンクーバー路線の魅力と語る。「これまで50年間お客様とコミュニティ、スタッフに支えられて続けられました。バンクーバー支店として、今後も安全で、快適で、質の高い『おもてなし』のサービスを提供し続ける努力を約束し、次の50年に向けて共に発展していきたいと思います」と語った。
(取材 三島直美)
氷の彫刻も飾られ、記念式典が行われた空港内ゲートの様子。9月10日バンクーバー国際空港
就航50周年記念横断幕を持ってバンクーバーからスタッフで見送り。9月10日バンクーバー国際空港
出発するJL17便に横断幕を持って手を振って見送るスタッフ。9月10日バンクーバー国際空港
バンクーバー空港ゲートで50周年記念テープカット。左から、セレナ・リーさん(JAL)、安部支店長(JAL)、多田総領事代理、吉澤機長(JAL)、森岡支配人(JAL)、リッチモンド社長(YVR)、キャロン取締役(YVR)、アン・マリー副社長(YVR)、ジャニス・ウォンさん(JAL)。9月10日バンクーバー国際空港
初便が羽田空港を出発した際の記念写真(写真提供 日本航空)
初便がバンクーバー国際空港に到着した際の様子(写真提供 日本航空)
50年前に日航バンクーバー支店に勤務していたアイリーン・ヘイさん(左)と安部支店長。当時「英語ができないボスと日本語ができない私とでうまく折り合いをつけてやっていた」と楽しそうに語った。9月7日リッチモンド市