2018年2月22日 第8号

ブリティッシュ・コロンビア州リルエットにある「宮崎ハウス」を歴史的建造物として保存するための「宮崎ハウス協会」の創設者で会長も務めた鹿毛真理子さん。

昨年「リルエット日系人強制収容所記念展示プロジェクト」を立ち上げ、リルエット近郊にある日系人強制収容所跡地3カ所に記念の展示プレートを設置した。今年5月の開催を目指す記念式典で一応の完成となる。 昨年、カナダは建国150周年を迎えた。その歴史の中で日系社会にとって昨年は、日系人強制収容政策での日系人移動開始から75周年という節目の年となった。

かし当時を知る人が少なくなりその記憶が薄れていく中、その事実と記憶を後世に残していく活動の意味は大きい。

今回は鹿毛真理子さんに、プロジェクトについて、日系人の遺産についてバンクーバーで話を聞いた。

 

リルエットに造園された庭園で(写真提供:鹿毛真理子さん)

 

「リルエット日系人強制収容所記念展示プロジェクト」

 リルエット近郊にあった3カ所の強制収容所、東リルエット(収容者数309人)、ミント(322人)、ブリッジ・リバー(269人)に記念の展示パネルを設置するとともに、東リルエット強制収容所跡地を臨む場所に記念庭園を造園するプロジェクト。

 このプロジェクトが動き出したきっかけは、昨年のカナダ建国150周年を記念した、カナダを代表する文化伝統に関係するプロジェクトに補助金を付す「カナダ150」という文化事業の存在をリルエット市から聞かされたことだった。

 それまでにも宮崎ハウスの復活などに関わり、リルエットに日系収容所が3カ所もあったにもかかわらずそれを示す表示が何もないことが気になっていたという。さらに、現地の子供や教師も、ここに収容所があったにもかかわらず日系の歴史をほとんど知らない、ここでその時代のことを覚えている人も少なくなったという事実に、このまま日系人の歴史が埋もれてしまうのではないかという危機感を持っていた。「子供たちにも現地の歴史をもう少し知ってほしい」そう思っていた。

 そんな時に「カナダ150」の文化事業の存在を聞いた。補助金はプロジェクト予算の8割を負担してくれるという話だった。「えっ、これは!って思ったんですね」と笑った。こうした文化事業の場合、ほとんどは50/50。50パーセントを補助してくれるが、残りは自己責任。それが今回は80パーセントを補助してくれる。「これはもったいないって思って。リルエットで絶対何かやらなくちゃいけない。日系人の歴史も大切なBC州、カナダの歴史の一部だと思っていましたから」。

 そこで市役所に相談。東リルエットを念頭に置いていたが、3カ所同時に申請することを勧められた。リルエットでは2016年にGolden Miles History Tourを完成させたばかり。18のパネルをリルエットの歴史的遺産に設置するというもので、宮崎ハウスもその一部となった。こうして街を訪れた人々にリルエットの歴史を知ってもらう。これを基本として日系収容所3カ所も加えることになった。

 「カナダ150」事業を知ったのが2017年1月、申請締め切りは2月10日。準備に奔走した。BC州バーナビー市にある日系文化センター・博物館にも相談した。最も大切にしたいと思っていたのは、この地で収容されていた日系の人たちや、その家族の意見だった。それには日系センターの協力は絶対に必要。日系センターも、このプロジェクトへの協力に快諾した。日系センターや東リルエット収容所経験者の間でも同様のプロジェクトを実現したいとの思いがあったと聞かされたという。

 こうしてプロジェクトは進み始めた。「資金は限られていましたから、あまり膨大なことはできないけれども、最初のステップとしてパネルを作って」。今後のさらなる発展の第一歩となればと始まった。

 

リルエットと日系社会の架け橋として

 3カ所の収容所跡地に設置する記念パネルと庭園は2017年秋に完成した。プロジェクトのそれぞれの段階で、関係する日系の人々、リルエットの人々の意見や協力を得ながら進めた。

 「できるだけ(収容所)経験者の方に連絡を取って、話を聞いて、すでに出版されている本からの抜粋の許可も得たりして。できるだけ多くの日系人の人たちに、特に経験者に協力してもらいたかった」と言う。「こっちが勝手に書き上げて」という独りよがりな形は取りたくなかった。

 庭園造りにも地元の意見を取り入れた。日本庭園にすれば維持費もかかる。なるべくこの地に適する植物を地元の専門家と話し合い、それでいて美しい庭園になるよう工夫した。

 そうして昨年秋に作業を終えた。昨年10月には、この地での収容体験を持つ堀井昭さんを招待し、講演も行った。寒くなる前に記念パネルの設置を完了した。ただ公式な記念セレモニーは今年5月に行う予定だ。

 これには、BC州政府が昨年4月に発表した州内の日系人強制収容所跡地56カ所に大きな観光向け記念パネルを設置するという日系収容75周年記念プロジェクトの記念式典に合わせるという意図もある。その第1弾としてタシメ(現サンシャインバレー)で昨年10月に記念式典が行われた。第2弾が偶然タイミングよく今春に東リルエットで行われる。

 春に一緒にするならば、すでに高齢となっている収容所体験者たちにとっても動きやすいだろうとの判断もあった。そのための準備を今行っている。

 今年5月の準備に追われる中、現地の人とのつながりも持ちたいとピクニックベンチとゴミ箱の設置を商工会議所に呼びかけている。「現地の商工会議所でも何か貢献できるものをと思って。やっぱりリルエットの町としても自分たちがやったんだっていう認識とプライドを持ってほしくて。どっかの日系人がバタバタ騒いでやったじゃなくて、みんなで協力したんだよっていう証を残すためにもね」と笑った。まだまだ忙しい。

 なぜ日系人の歴史に関わっていくのか。自身が日系人であるということは大きい。子供の頃日本で育ち、カナダでも教育を受けた。リルエットには移住して10年。子育てで忙しかった頃には日系人の歴史どころではなかったが、宮崎ハウスの存在をきっかけにリルエットで日系人の歴史を見つめ直す機会を得た。

 最も大切にしたいのは、収容所に関わった家族が自分のルーツをたどる場所を残しておくということ。「自分のおじいさん、おばあさん、親戚の祖先がいた所なんだって訪ねる所があったら」と思う。「(この場所に)暮らしていたわけですよ。自分たちの住居として、つらい思いをしながら生活していた場所ですからね」。自分の家族がもしそうだったら訪ねてみたいと思うと言う。「これは大切な一つ一つの家族の歴史でもあるし、リルエットの町の歴史でもあるし、BC州、カナダ全体にもかかわる歴史の一部ですよね」。歴史遺産にすることで、子供たちが学べる機会を、先生たちが教材として使える機会を与えることにもなる。

 両親の苦労も見てきた中で、日本とカナダを知る機会をもらったという「自分に与えられた境遇を無駄にしたくないと思うんです」。自分にしかできないことが何かあれば、それをやっていきたい。今はそれが「もうちょっと日系の歴史を、もっといろいろな人に知ってもらうとか、宮崎先生の貢献された素晴らしい仕事とか」だと言う。「いろんなアイデアがまだあって。日系だけはなく、この地で苦労された中国系労働者の歴史も気になっているんです。私の4人の息子は中国系の血も引いていますから。でも、ちょっとずつですね、ちょっとずつ」と笑った。

 いろいろな人と相談し協力しながらリルエットで日系社会との架け橋、『Cultural Liaison』という役割を続けていきたいと語った。

(取材 三島直美)

 

 

2017年10月リルエットを訪問し講演した堀井昭さん(左)と記念撮影する鹿毛真理子さん(写真提供:鹿毛真理子さん)

 

収容所跡3カ所に各設置されたパネル。上からミント、東リルエット、ブリッジ・リバー(資料提供:鹿毛真理子さん)

 

 

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