2017年5月25日 第21号

「日本国憲法」施行から今年で70 年。政府の憲法改正への動きが加速する中、これを機に憲法について詳しく知ろうとする動きも活発になっている。

バンクーバーでは「日本国憲法のルーツ」をテーマに、ピースフィロソフィセンター主催の勉強会が3回シリーズで開催されている。

講師は青山学院大学教授中野昌宏氏。現在ブリティッシュ・コロンビア大学(UBC)アジア研究所で1年間の客員教授として在籍している。社会思想史が主な専門だが、近年のテーマは日本国憲法成立史。なぜ政府は改憲を訴えるのか、押しつけ憲法の主張は事実か、憲法の思想はどこから来たのか、GHQ が勝手に作成したものなのか。

これらの疑問をたどり始めると、それまで無機質だった「憲法」がさまざまな人々の思いが詰まったドラマだと分かり、生き生きと動き始めた。今ではすっかりはまっていると話す。

そこで今回は、憲法作成に関わった人々の思い、憲法の思想はどこから来たのかなどを聞いた。

さらに、5月6日に行われた第2 回勉強会「日本国憲法9条のルーツ」の内容も、要約して紹介する。

 

 

中野教授、UBC アジア研究所前で。2017 年4月

 

UBCではハーバート・ノーマンを研究

 現在UBCアジア研究所で、カナダ人外交官「E・ハーバート・ノーマン」を研究している。UBCはノーマンに関する資料が多いことで知られ、「宝の山のよう」と笑う。

 ノーマンは、長野県軽井沢生まれ、15歳まで日本に在住。戦争や大学進学のためにカナダに帰ったが、終戦直後に再来日。アメリカの要請によりカナダ外務省からGHQ(連合国最高司令官総司令部)に出向した。マッカーサーの信頼が厚く、また憲法学者の鈴木安蔵らとの親交もあったことから、日本国憲法作成に間接的に影響を与えたとされている。

 UBC図書館には、ノーマンが所有していた書籍が多く寄贈により収められ、閲覧することができる。「ノーマンさんは本に鉛筆で書き込みをする癖があって、読んでいるといろいろなことが分かります」。さらに所有していた書籍の内容から、どういうことに興味があったのかもよく分かるという。明治維新頃から民権運動についての本が多く、特に「常に弱い立場の人の視点から歴史を見る人でした」と説明した。ノーマンについては第3回勉強会「ハーバート・ノーマンと日本の近代化」(7月8日開催予定)で講演する。

 

「意識的に努力しなくては維持できないシステム」

 社会思想史が専門なのになぜ憲法を研究しているのか。直接のきっかけは東日本大震災。

 元々は経済学部出身。人間が作り出すシステム(制度)には、必然的な理由で自然と作り出され継続されるシステムと、必要性に応じて作っても意識的に努力しなければ壊れてしまうシステムがあると説明した。貨幣制度は前者で、憲法は後者にあたるという。

 そして日本社会のシステムが壊れてしまうと感じたきっかけが東日本大震災だった。「あの時に、行政が国民全員を助けてくれないということが分かってしまって」。一部だけ救い、そこからこぼれ落ちる人を救おうとしない。「それでいいのか」という思いとともに西洋思想中心の研究から国内へと目を向け、憲法にも関心を持った。「憲法は一生懸命維持しないと、もたないシステムかもしれない」と気づいた。安倍政権誕生と共に改憲が再び注目された時期でもあった。

 「最初は単純に、自民党がいうように『押しつけ憲法』なのかなと思って研究し始めたんですけど、研究していくうちに、憲法ができあがるまでに関わった人々の人間模様がくっきりと浮かび上がってきて。すごく面白くなって、すっかりはまっています」と笑った。

 そこにはGHQの思惑だけではく、明治維新から日本人が受け継いできた民主主義の思想が詰まっていた。

 

「受け継がれる思想」

 「思想は伝播するんです」。GHQが日本国憲法草案作りの土台としたとされる「憲法研究会案(憲法草案要綱)」を作成した憲法研究会代表鈴木安蔵は、大正デモクラシーで知られる吉野作造から、明治に作成された私擬憲法「東洋大日本国国憲按」(1881年頃起草)を紹介されている。最初は作成者が誰か分からなかったが、鈴木が調べるうちに植木枝盛だと突き止めたという。

 「土佐出身の植木が作った、この私擬憲法は当時としては非常に先進的で、すでに国民主権が盛り込まれていたり民主主義的なものでした」。植木は自由民権運動にもかかわっていた。

 では、植木はあの当時、民主主義的思想をどこから得たのか。「ミルやルソーまで遡るのではないかと思います」。こうしてみると「社会思想史と日本国憲法は、それほどかけ離れているというわけでもないですよね」。鈴木案には植木の国民主権が反映されているという。

 植木草案の1880年前後には、日本国内で多くの私擬憲法が作られたという記録が残っている。「五日市憲法草案(日本帝国憲法)」もその一つ。千葉卓三郎ら青年グループによる起草で、国民の権利がすでに盛り込まれていた。

 現在の日本国憲法三大原則は、「基本的人権」、「国民主権」、「平和主義」。このうちの二つは、すでに明治から日本人が考えていたことになる。それが1945年12月に鈴木案(憲法研究会案)に受け継がれ、GHQを通して日本国憲法に反映されたといえる。

 思想史は改めて面白いと思う。西洋思想から影響を受けた植木枝盛たちの思想を、吉野作造を通して鈴木安蔵が受け取る。それがGHQ案に反映される。「(歴史は)ただ単に流れるのではなくて『思想は伝播する』んですよ」。そして幣原喜重郎の平和主義もマッカーサーに伝わり、憲法は三大原則を含めて完成する。日本国憲法には「日本人」の思いが詰め込まれている。

 

憲法第1条と9条について
‐第2回勉強会 「日本国憲法9条のルーツ」‐
幣原・マッカーサー会談から始まった

 GHQが参考にしたという憲法研究会案は、基本的人権や国民主権については充実していたが、戦争放棄の条項はなかった。

 では、どこから来たのか。通説では、マッカーサーが盛り込んだとされている。しかし近年、憲法が作成された当時首相だった幣原喜重郎の考えだったという説が、有力になってきている。

 それを裏付ける資料として、幣原の側近平野三郎による「幣原先生より聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について」(通称「平野文書」1964年)と「マッカーサー大戦回顧録」(1964年)がある。

 重要なのは、1946年1月24日の会談。幣原とマッカーサーは約3時間、二人きりで通訳もつけず話をする。

 資料には、幣原が自身のひらめきにより戦争放棄を盛り込むことを提案、それが天皇制存続を可能にすることを伝え、マッカーサーが同じ意見だとして了承したことが記載されている。

 もともと幣原は天皇主義者で天皇制存続を望んでいた。同時に実利主義者でもあった。1920年代、1930年代と外交に関わり、平和的、国際協調主義的な「幣原外交」として知られている。それは、戦争は勝者も敗者も衰退させるもので、平和こそが実利にかなっている。「経済外交に平和は必須。戦争は損」という考えに基づいているという。

 一方、マッカーサーはアメリカ政府の意向で天皇制の存続方法を模索していた。しかし極東委員会は、天皇制存続による日本の軍国主義復活を懸念し強く反対。幣原の提案は、象徴天皇とし、戦争放棄を盛り込むことで、軍国主義復活の懸念を払しょくさせることができる一石二鳥の妙案として受け取られた。

 こうして天皇制存続と戦争放棄はセットとして憲法に盛り込むことで2人が合意。この会談をきっかけに、憲法改正は一気に、着実に進むことになる。

 1946年2月3日、マッカーサー三原則といわれる天皇制存続、戦争放棄、貴族制廃止を、GHQ憲法草案に盛り込むよう指示した「マッカーサーノート」が提示される。ここで戦争放棄という言葉が初めて登場する。2月13日憲法問題調査委員会案を却下、GHQ案提示。2月21日幣原・マッカーサー会談。2月22日GHQ案受諾閣議決定。2月26日極東委員会発足第1回会議。3月6日憲法改正草案要綱発表。

 この後は、幣原、マッカーサーが第1条、9条を正当化する説明を重ねていく。そして国会の承認を経て11月3日公布。1947年5月3日施行という流れになる。

 こうしてみると1月24日から、第1条と9条を盛り込んだ憲法案が、約2カ月間で既成事実を積み上げていったことが分かる。そこには、極東委員会に憲法改正問題介入への余地を与えない、というマッカーサーの意図があった。

 

幣原の戦争放棄思想の源 

 では、なぜ幣原は戦争放棄という選択を思いついたのか。「平野文書」では、自らが戦争という手段を放棄することを宣言し周りに示すことで、「軍拡競争の蟻地獄から抜け出す世界史の扉を開き、その使命を日本が果たす」と語っている。さらに原爆が登場した時代には、武力保持による平和均衡は長続きせず、武力放棄を選択することが最善かつ唯一の方法としている。

 これについて中野教授は、これは単なる感情的な平和理想論ではなく、「ゲーム理論」で論理的に説明できると解説した。

 幣原は、第1次世界大戦の反省から世界的に戦争放棄の機運が高まっていた1920年代の外交に第一線で関わっている。その経験が影響しないはずはない。

 1920年国際連盟発足時には戦争放棄条項が導入された。1928年にはパリで「戦争放棄に関する条約(パリ不戦条約)」が採択された。日本国憲法の第9条1項は、パリ不戦条約第1条の戦争放棄条項を参考にしたといわれている。

 

「日本国憲法のルーツについて」学ぶ3回シリーズ第3回「ハーバート・ノーマンと日本の近代化」は7 月8 日に予定。講師は中野昌宏氏。詳細についてはピースフィロソフィセンターまで。 This email address is being protected from spambots. You need JavaScript enabled to view it.

(取材 三島直美)

 

 

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