2017年4月20日 第16号
印刷の文字、手書き文字——私たちは文字とどのように関わって生きてきたのだろう。
ブリティッシュ・コロンビア大学人類学博物館(MOA at UBC)で5月11日から開催される「言葉の痕跡—アジアの書と美術(Traces of Words : Art and Calligraphy from Asia)」は、文字の広がりと奥行きを知る刺激的な機会になる。
コーランのページ(イラク、もしくはイランかシリアで9世紀に書かれたもの23.5 x 32.5 cm)
シュメールの楔形(くさびがた)文字、手書きのコーラン教典、東南アジアのヤシの葉写本をはじめとした歴史的な数々のコレクションのほか、今回の展示のために注目の現代作家たち6人の作品を集めた。正確には5人プラス1企業である。
本展示のキュレーターは、同博物館アジア担当キュレーターであり、同大学で教壇に立つ社会文化人類学博士の中村冬日(なかむらふゆび)さん。伝統的な書を踏まえながらも、現代の感性を生かした新しい書のスタイルを創造する作家たちを研究して19年になる。「なぜ彼らは書道に興味を持ったのか、なぜ書道を現代の形に変えて表現しようとするのか」。人類学の視点から作家に迫り、中村さんは過去に2回、文字をテーマにした現代作家の展示会を開いてきた。(オーストラリア・2010年、アルゼンチン・2011年)。そして3回目の今回は、現代作家の作品のみならず、UBC人類学博物館と同大学図書館所蔵の歴史的な文字資料コレクションを合わせた大きな展示となる。
同展示会への思いや展示の魅力を中村さんに聞いた。
—「言葉の痕跡—アジアの書と美術」というタイトルに寄せる思いは?
生き物はその生きた証しを残していきますが、言葉を使うのは人間だけで、言葉を残していくのも人間だけです。そして言葉は今でこそ録音ができますけど、それ以前の話をすると、話言葉は、たとえ記憶として心には残っても、形としては残らない。その消えてしまう言葉を残そうと書かれてきたのが文字です。この視点からタイトルを付けました。
—消えていく言葉との対比の中で、文字に注目したということですね。
はい。そして特にアジアにおいては、その残された文字が、文化の中で特別なものとして存在しています。ただ書いたり、読まれたりするだけではなくて。中国や日本の書が鑑賞の対象であることは一般に認知されていますが、例えばイスラム書道。偶像崇拝がタブーとされているイスラム教では、言葉そのものが神そのものという意味合いですから、イスラム教においてもカリグラフィーは中国や日本における書の重要性と同等、もしくはそれ以上に重要な意味を持っています。
—数々の書の現代作家たちを研究してきた中村さんが今回フォーカスした6人について紹介してください。
木村翼沙(きむらつばさ)
翼沙さんの場合は7歳から書道を始め、大学では仏教を専攻して、大学院では墨蹟(禅宗僧侶による書)の研究をしていました。今は書道を教えながら作家活動を行っています。一見文字でないような抽象的な作品を作る書家もたくさんいらっしゃるのですが、彼女は書くことにとてもこだわっている方です。 世界中に招待されていて、5月にはスイスにも招待されているため、本展示会にはスイスから移動して来られる予定です。そして5月11日のオープニングの夜に音楽に合わせて書道のパフォーマンスを披露してくださるほか、5月13日に書道のワークショップを実施してくださいます。
湯上久雄 (ゆがみひさお)
この機会にMOAに5つの作品を寄贈してくださっています。現代書家として入賞経験を多数お持ちで、ブエノスアイレスでの展示会にも参加していただきました。
チームラボ
もともと東京大学と東京工業大学の学生5人が始めたシステムインテグレート企業です。幅広い活動の中、デジタルメディアアート作品も多数制作されていて、代表の猪子寿之(いのこ・としゆき)さんは日本のテレビ番組の「情熱大陸」「プロフェッショナル仕事の流儀」などメディアにたくさん取り上げられています。
チームラボには空間に書を書く「空書」という作品があります。今回の作品「世界はこんなにもやさしく、うつくしい」は、例えば、作品の文字の前を人が通り過ぎると、センサーが感知して、花という文字から花のイメージに変わるといったインタラクティブなデジタルメディア作品です。世界的に売れっ子な彼らは山ほど展覧会を開催しています。そして今回と同じ作品は、成田空港の第1ターミナルでも展示されています。
そんな国際的な活躍を見せるチームラボは、 カナダでの展示は今回が初めてです。
シャムシア・ハッサニ (Shamsia Hassani)
アフガニスタンの若手グラフィティ作家です。ご存知の通り、自国では紛争が続いています。そして国内に美術館、博物館がまったくないわけではないですが、あえて人々が美術を見るという習慣はあまりありません。それで彼女は自分が街に出て、それこそ爆撃で崩れた壁に作品を作ることによって作品を見てもらいたいと思ったんですね。そしてストリートアーティストとして作品を作り始めた、とても勇気のある方です。イスラム教国において若い女性が街に出て作品を作ることは、とても危険なことですから。
こちらの作品(画像3)は爆撃で穴の空いた壁に描いています。これはカブールのロシアの文化センターでした。絵や字を描いて撮影した後、現在もうここには建物自体存在しません。
彼女自身、解像度の高い写真を持っていなかったため、写真を大きくすると画像がぼけてしまうのですが、本当のサイズで見せることに意味があると思い、展示では引き伸ばしてお見せします。彼女も最近国際的に注目を集めて、ニューヨークでの展示会はじめ、ヨーロッパ、オーストラリアなど、いろんな国に招かれています。
ノーチェ(Nortse)
チベットに私が滞在中に出会ったラサ出身の作家で、さまざまな素材を使い、環境問題やアイデンティティの崩壊などをテーマにアート作品を生み出しています。
海外で展示会をしているチベットの作家たちは、すでに国を出てアメリカやヨーロッパに在住している方が多いです。やっぱり政治的に難しいところですから。ノーチェさんに関しても昔は国外に出られたのですが、これまで海外に関係のあった方はパスポートの更新などが難しく、今はなかなか国を出られません。作品は彼のギャラリーを通して入手しています。
パプタワン・スワンナクート (Phaptawan Suwannakudt)
現在オーストラリア在住ですが、出身はタイ国。自国ではお父様が有名な作家さんで、彼女はその父のもとで伝統的な仏教の壁画を描いていました。そしてオーストラリアに渡り、仏教壁画の需要がない中、自身の経験を現代美術の形でどう生かせばよいかを模索していたんですね。そして生まれた作品にはタイの文字が書かれ、シドニーの風景やタイの象も描き込まれています。タイ人でありオーストラリア人でもある自分、それが作品のテーマとなっているようです。
—国際的に活躍している作家ばかりですね。中村さんは、書かれた文字に関してだけでなく、文字を書くという行為についても関心を寄せていますね。
他の芸術、絵画や彫刻などに比べて書くことは、より自分が直接的に現れる表現ですよね。また作家でなくても、基本、誰にでも書くことはできますし。ですから、この書くという行為が当たり前すぎて、改めて考えてみることがないと思うんです。
別な面からでは、これだけデジタル化した現代社会でも、日本の結婚式などで記帳をするときに、字が汚いと恥ずかしいと思うものです。今でも文字を書く重要性がなくなったわけではないのですね。そうしたことが人類学者として面白いと思っています。ぜひ、この機会に書くこと、そして文字について考えを巡らせていただけたらと思います。
「Trace of Words : Art and Calligraphy from Asia
(言葉の痕跡—アジアの書と美術)」展
展示期間:2017年5月11日(木)〜10月9日(月)
オープニングイベント:2017年5月11日(木) 午後7時開始 入館料無料
場所: Museum of Anthropology University of British Columbia 6393 NW Marine Drive, Vancouver, BC
料金:同博物館入館料金
ウェブサイト:moa.ubc.ca/traces
サテライト展示 「Traces of Words : Asian Materials from the UBC Library Collections」
同大学内 The Irving K. Barber Learning Centreにて 5月1日(月)〜5月31日(水)
UBC図書館所蔵の書のコレクションを展示(無料)
(取材 平野香利 / 写真提供 Museum of Anthropology)
1:木村翼沙(きむらつばさ)作「Outline」 (2007年・117cm x 700cm)(撮影 中村冬日さん)
2:チームラボ作「世界はこんなにもやさしく、うつくしい」(2011年・インタラクティブアニメーションインスタレーション・書:紫舟;音楽:高橋英明
3:Shamsia Hassani作「What about the dead fish?」(2011年)カブールのロシア文化センターの崩れた建物の壁に描かれている
4:Phaptawan Suwannakudt作「Three Worlds 9」(2009年・135cm x 65cm)