北西航路発見への挑戦
カナダ極北地域は無数の島々と、複雑に入り組んだ海岸線が延々と続いている。その合間を縫うように「北西航路」と名付けられた海域がある。
大航海時代、アジアへのルートとして発見が期待されていた北西航路だが、夏ですら氷に閉ざされることがある過酷な環境のため、その探検は困難を極めた。19世紀に入りようやく全貌が明らかになりつつあったこの航路を完成させるべく、万全の準備を整えイギリスを出航したのがフランクリン隊だった。

 

129人全員死亡。謎に包まれたフランクリン探検隊の最後
しかし予定の3年が過ぎても隊は帰還しなかった。その後の捜索活動や偶然の発見から、全員が病気、飢えなどで死亡したと判明したが、発見された手がかりは限られており、彼らが最後にとった行動は謎に包まれたままだ。
角幡氏は昨年、北磁極単独徒歩行から帰ってきた荻田氏へのインタビューをきっかけに、北極探検、特にこのフランクリン隊の記録に興味を持った。
1845年にイギリスを出港したフランクリン隊の最後の行程の概略は、以下のとおり。
キングウイリアム島北西沖で氷に閉じ込められる
船を放棄して氷上を南下、多くの隊員を失いながらも同島南岸に到達
シンプソン海峡から北米大陸に渡った後、リチャードソンポイント西側のスタベーションコーブで、ついに最後の隊員が死亡

 

隊員たちの置かれた状況は、どんなものだったのか
「究極の状況下、フランクリン隊が取った行程を実際に追ってみることで、彼らが何を考え、どう感じながら生死の間を彷徨したのか。その物語を目のあたりにできればと思い、この徒歩旅行を企画しました」と角幡氏は語る。
氏とともにこの冒険に挑戦した荻田氏は、2000年に探検家・大場満郎史の「北磁極を目指す冒険ウォーク」に参加して以来、毎年のように北極探検に出かけている。来年には、成功すれば日本人初となる北極点無補給単独徒歩到達に挑戦する予定だ。
またカナダ側で二人をサポートしたのは、バンクーバー在住の番場健司(ばんばけんじ)氏。彼も2000年の「北磁極を目指す冒険ウォーク」に参加した一人だ。
今回の徒歩旅行は大きく分けて二つの部分から成る。最初のレゾリュートからジョアヘブンまでは、キングウイリアム島西岸沿いの海氷上約1000kmをスキーで南下。ジョアヘブンからベイカーレークまでのツンドラ地帯600kmは、雪の状態に応じてスキー行を続け、不可能になった段階で徒歩行に切り替えるというもの。スキー行の間は、各人がソリを引いての行動となる。出発当初のソリの重さは約100kg。北極探検が初めての角幡氏は、出発前にタイヤを引いてのランニングなどに励んだという。

 

レゾリュートからジョアヘブンまで・海氷上スキー行
イカルイットでの耐寒訓練後、準備万端レゾリュートに到着した二人。しかし今年のレゾリュート付近の氷の状況は最悪だった。海氷は海流や風に流され、時として相当な起伏を作り上げる。それでなくても体力消耗が激しい極寒の中、できるだけこのような場所を避けなければならない。
荻田氏は大きく西に迂回することを決め、どのくらいで予定ルートに戻れるかを慎重に見積もった。携行できる物資には限りがあり、レゾリュートに戻るシナリオも想定しておかなければならない。
こうしてジョアヘブンへの1000km、60日間の海氷上の旅が始まった。吹雪のような悪天候はなかったものの、出発当初の気温は一日をとおして零下30度ほど。全ての装備は北極仕様。収納してもドラム缶ほどもあるような寝袋に寝る。用意した食料は一日当たり5000キロカロリー。それでもこの気温での活動は体力を消耗させる。朝起きた時には既に疲れきった状態で、テントの外に用を足しにいくのも一苦労という状態だったそうだ。
毎日氷と空だけの風景の中を、坦々と歩いていく。動物にもほとんど出会わない。一度、夜中にホッキョクグマがテントを揺らしたことがあった。テントの周りには赤外線センサーを設置するのだが、この時は感知してからあっという間の出来事だった。しかしこれも想定済み。最初大声で威嚇し、すかさずテントの換気窓から照明弾を発射。無事に追い払うことができた。「動物も個体差があるので、興味深いやつは逃げるときにも『後ろ髪引かれる』ように逃げながら、また戻ってきたりします。でも興味がなければ、それこそ道で人とすれ違うように、熊と私たちが何事もなかったかのようにすれ違うこともあるんです」と荻田氏。とてつもなく広い世界の中で繰り広げられる不思議な情景だ。
そしてレゾリュート出発から60日目、最初の目的地のジョアヘブンに到着。ここで10日ほど滞在、消耗しきった体を休めた後、次の行程への準備をする。

 

ジョアヘブンからベイカーレークまで・ツンドラ行
ジョアヘブンからベイカーレークまでは、雪で覆われている時期以外は行き来する人も無く、どのような状況なのかは行ってみないとわからない。またフランクリン隊の当時の状況に近づけようと、番場氏との衛星電話による交信もやめ、あえて外界との接触を絶った。もし出発から60日が過ぎても二人から連絡が入らなければ、番場氏は捜索依頼をする手はずになっていた。
出発当初は思いのほか雪が残っており、ソリ行を継続。気温が上がり雪がぬかるむようになると、夜間の活動に切り替える。気温の下がる夜間のほうが足元がしっかりしていて距離が稼げるからだ。それにこの頃には陽はほとんど沈まなくなり、夜間の行動に支障はなくなっていた。
この行程での難関は、バック川の渡渉である。氷がゆるむこの時期、いつどこで渡るかを慎重に見極めなければならない。残った氷上を歩くのか、ゴムボートを使うのか。直進性が無いに等しいゴムボートは川の流れや風に翻弄されるため、状況を見極めなければならない。最終的に、バック川がメドーバンク川と合流するあたりで決行。氷は薄く徒歩には不適だろうということでボートを使用したが、近寄ってみればまだまだ十分な厚さであることがわかり、その上をボートを曳きながら渡る。水上、氷上を何回か繰り返してようやく対岸に渡ることが出来た。
再びツンドラ地帯を南下する。レゾリュートを出発した時には零下30度だった気温も今では20度前後、あたりはすっかり夏景色だ。そしてジョアヘブンを出発してから43日目に最終目的地、ベイカーレークに到着、二人の冒険行は無事終了した。

全行程を振り返ってみての感想を角幡氏に尋ねると、「まだ旅を終えたばかりで、自分の中でも整理できていないのですが、そのスケールの大きさにずっと圧倒されていました。」とのこと。その大きな情景の中で坦々と繰り返されてきた数ヶ月の間、氏が何を感じ何を考え、フランクリン隊の足跡にどのような思いを馳せたのか。今回の旅行についての著作を来年には出版したいと話す角幡氏。その本にその答えを見つけることができるだろう。

 

角幡氏・荻田氏の北極圏徒歩旅行概要


2月22日 日本出発、エドモントンへ。食料、装備などの買い出しと準備を行う
2月26日 オタワ着、27日イカルイットへ移動。キャンプやソリ引きのトレーニングを行う
3月13日 イカルイットからレゾリュートへ移動
3月16日 ジョアヘブンへ向けて出発
5月14日 ジョアヘブンに到着
5月24日 ベイカーレークに向けて出発
7月7日 ベイカーレークに到着、レゾリュートからの1600kmに及ぶ全行程を無事終了

 

(取材  平野直樹)

 

角幡唯介(かくはたゆうすけ)氏プロフィール
ノンフィクション作家・探検家。1976年北海道生まれ。2002~03年と2009年、二度にわたりチベット・ツアンポー峡谷を単独で探検。その模様を書いた『空白の五マイル』(集英社)で第八回開高健ノンフィクション賞のほか、大宅壮一ノンフィクション賞、第一回梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞。今年の8月23日には、ネパールの雪男捜索をルポした『雪男は向こうからやって来た』が集英社から発売予定。

ブログ「ホトケの顔も三度まで」http://blog.goo.ne.jp/bazoooka

 

荻田泰永(おぎたやすなが)氏プロフィール
北極冒険家。1977年神奈川県生まれ。2000年に大場満郎氏の「北磁極を目指す冒険ウォーク」に参加(1:13)。2002年レゾリュート~グリスフィヨルド単独徒歩行(500キロ)、2004年グリーンランド内陸氷床国際犬ぞり縦断隊(2000キロ)、2010年レゾリュート~北磁極単独徒歩行(650キロ)など。また2012年夏に、日本人初となる北極点無補給単独徒歩到達を計画している。

ホームページhttp://www.ogita-exp.com/

 

 

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