「少林寺拳法の活動によって、地域が良くなるように、人生が豊かになるように、このカナダの地でも役に立ちたいと思っています」

 

-―今回の北米訪問の目的は?
今、日本で進められている公益法人制度改革に対応するため、少林寺拳法の現在の組織をリニューアルします。組織に対して社会規範や法律の遵守が厳しく求められるのは、世界的な動きです。また私たちの知的財産とそこに付帯する固有の文化を守るためにも、各国における組織基盤の充実は重要な課題です。アメリカは現在、連盟設立に向かって動いていますが、カナダの連盟設立への動きはこれからです。連盟の設立により全国大会や講習会、上位の昇段試験などができ、指導者養成が活発化します。
私たちの最終的な目的は「人づくり」です。その意味で、活動が活発化することにより、いっそう地域社会のお役に立てるものと私たちは信じています。そうした今後の話し合いのためにやってきました。

 

―これだけ世界で広まると、地域や指導者によって違いが出てくるものではないかと思われますが、指導者の裁量に任せる部分と変えられない部分をどのように伝えていますか?
もともと「教え」と「技術(技法)」と「教育システム」、この3つが揃って初めて少林寺拳法で、これは世界で統一なんです。言い換えると、3つを活用するのが先生で、先生には自分自身の個性や経験をフルに生かして、それぞれの地域の違いや求めているものの違いを踏まえた指導をしてもらっているんです

 

―拳士の皆さんは社会貢献活動を盛んに行っているそうですが、どのように推進したのですか?
日頃身体と心を鍛えるのは社会や人の役に立つためです。これを実践しその素晴らしさを体感する機会として、毎年5月を「開祖デー」と名付けて奉仕活動をしてきました。ちょうど今年は開祖宗道臣の生誕100年にあたり、「開祖デー」を「宗道臣デー」と名称を変えましたが、その活動内容は各地区にお任せです。もし本部から「これをしましょう」という形にすると、強制になってしまい、それでは意味がないんですね。
拳士たちが日頃生活している中で感じること―例えば地域にゴミがたくさん落ちているとか、独居老人が多いとか―何か感じることがあると思うんです。まず、それを感じる感性を磨くことが大事で、感じ取ったことの中から、その地区で必要と思うことを、拳士が持ち寄り話し合って活動を決めるところに意味があるんです。
その活動によって、町がきれいになったり、相手に喜ばれたりすることはうれしいことです。またうれしいだけでなく、役に立ったという自分の存在感を感じて、それがさらに喜びとなりますし、自信が持てますよね。

 

―具体的にはどんな活動が行われていますか?
現在日本以外の国でも行われていますが、日本の例を挙げると地域の清掃活動が多いです。これは年齢に関係なく実行できるからだと思います。ほかにはシニアの施設を訪問し、交流会をして演武を見せたり、肩たたきをしたり、掃除をしたり。シニアの方から体験を聞く活動もあります。独り暮らしの高齢者で1週間も10日も誰とも話していない方も多いですから、この奉仕活動とは別に、高齢者の方の健康増進のため、また会話の機会を作るために、春から高齢者のためのクラスを新設します。技で突いたり蹴ったりするだけだと、入りたい人も限られますので、入り口を広げてもっと多くの方に知ってもらいたいんですね、私たちの活動を。

 

―そうした社会貢献活動に関して、「自分たちはボランティア団体じゃないんだ」という反発の声もあったそうですね。
ええ、当初はそうでした。でもそうした声は最近急になくなりましたね。初めの頃に、「どうしてしないといけないの?」という声があったということは、義務のように伝わってしまったからなんでしょうね。でも、活動の結果が実感されると意識が変わるんですね。地域への活動をすると、協力してくださる方も増えてきます。また、私には武道は無理と思っていた方が、社会活動で接点を持ったことから印象が変わって少林寺拳法に入ってこられる場合もあります。実際、従来のスタイルで活動しているところでは拳士の数が減っていますが、社会への活動を行っているところでは拳士が増えていっています。

 

―「人づくり」の目的のもとで、由貴さん自身が第三世界の国々に赴いて人々の生活を映し出すドキュメンタリー映画を制作したこともあったそうですね。そのきっかけや成果はどのようなものでしたか?
父は少林寺拳法を広め始めて33年で亡くなりましたが、最後の5年くらいはとても悩んでいました。少林寺拳法は世界に広まったけれど、少林寺拳法をやる意味が拳士たちの心に育っているかと。その意味とは、自分が変われるということは、社会も変えられるはずだと、そういう士気や志を持って世の中にかかわっていくということです。
父が亡くなってから、いろいろと組織で起こる問題があり、それは組織運営上、当然のことではありましたが、そのままいくと愛好者を増やすだけの団体になってしまうと感じました。しかし後を継いだ私には、父の思いと同じものを自分の中には感じられませんでした。また戦後生まれの私には、人のことを考えるとはどういうことであるのか、中途半端なことでは感じられなかったんです。
そこで周囲からは賛否両論ありましたが、撮影スタッフと共にソマリアの難民キャンプなどを訪れました。お嬢さん育ちの私を心配だと、七段の方が同行しましたが、先に倒れたのは彼の方だったんです。
ボランティアの人たちと一緒に作業をしましたが、なにせ気温が40度の世界なので、昼は2時間休憩をするんですね。その休み時間に七段の方は「少林寺拳法の技を教えよう」と言って難民に指導をしたのですが、2日目には誰も来ない。ボランティアの人たちからは「いい加減にしろ!」と叱られて。休まないということは、命に関わることなんですね。難民キャンプでは少林寺拳法の技は何の役にも立たなかった。私たちの少林寺拳法はゆとりがある、平和で豊かな国だからできていたことなんです。でもちょっと待って…。創始者の時代はそんな豊かな時代じゃなかった…。豊かじゃない時代であっても必要とされることが少林寺拳法にはあったはずなんです。この経験を通して、私たちは少林寺拳法の非常に限られたものしか使っていないことにも気が付きました。

 

―父・宗道臣氏との思い出に残る出来事はどのようなことですか?
一番困る質問ですね。いつもべったり一緒にいましたので。父からは、できないことを「お前何やってんだ」と言われたことがないんですね。私は全身の関節が異常で、足が特にそうで、体育の授業ができなくていじめられていましたが、父は私ができることを見つけてくれて、「お前はこれができるじゃないか」とできることを見つけてほめてくれた。相談したときに、まず「お前はどう考えるんだ」と聞かれ、それを考えて伝える。それからアドバイスをしてくれる。厳しかったけどやさしかったですね。厳しいだけじゃないから甘えられるし、やさしさがわかっていて、ほめてもらった経験があるから、厳しく言われてもがんばろうかなと思える。そういうバランスが絶妙にうまかった人なんです。それがあったから自分の可能性を信じられました。
今同じ立場に立って考えてみたら、少林寺拳法も同じだと。何段となったことは、がんばって続けた成果ですよね。可能性を信じるためには、何かができたという経験が必要です。また、できたときにほめてくれる人がいるから、より自信が育ちますよね。実はこれが少林寺拳法のシステムで、人との競争じゃないんですよ。大会のために、二人が組んで一緒に協力して練習していくと、うまくできれば相手も先生もほめてくれます。そうして生まれた自信や勇気を自分のことに使っていくのが普通ですが、それを他の人にも使っていこうということが、開祖がよく言っていた「半ばは自分の幸せを、半ばは他人(ひと)の幸せを」という言葉の意図するところです。
今の時代、将来に夢や希望、志といったものが持ちにくいからといって、夢を持っても無駄だと言う人ばかりでは地域も良くなりません。可能性を感じて生きていくことはできると思うんです。私自身、後継者となったばかりの時、女性であること、技をやっていないこと、経験のないこと、体のこと、全部がマイナス要素だったのに、今はすべてがプラスになっています。それは、全部私の個性だと思えた時からなんです。これって父からその発想を刷り込まれたおかげでなんですよね。自分の可能性を信じることができたら、変われるっていうことを体験していたら、どんなことがあっても絶対プラス思考になれるんですよ。私、そこにはすごく自信を持っているんです。私自身が道場で技をやっているわけではないけれども、私がこういう立場で少林寺拳法にかかわることによって、マイナスをプラスに転じる力を得ました。私の役割はそうした力を人々に伝えていくことにあると思うので、それを伝えていきたいんです。

 

宗由貴(そう・ゆうき)さん 香川県出身1957年生まれ。少林寺拳法創始者宗道臣の他界後、役員会で「組織を分裂させないでほしい」と要請を受け、「人づくり」の遺志を受け継ぐ決意をして少林寺拳法第2世師家(しけ)に就任。以来、31年間少林寺拳法グループを率いている。


(取材 平野香利)

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。