「多くの人々との出会いが楽しくて」

カナダ横断約1万3千キロを約3カ月かけ自転車で制覇。立ち寄る町で出会う人々との触れ合いが楽しくて仕方がないと語ったジャップ・ブラウンさん。背中まで伸びた金髪のドレッドヘアにバンダナ、日焼けした顔に人懐っこい笑顔を見せて、バンクーバーに到着した。

自転車でのカナダ横断は、カリフォルニア州ハンティントンを出発し、再びその地に戻るという北米一周チャリティプロジェクトの一環。バンクーバーに立ち寄った10月4日、リステルホテル・バンクーバー隣接レストランForage(フォレッジ)で話を聞いた。

 

 

スコーミッシュからバンクーバーに到着。10月4日、リステルホテル・バンクーバー玄関前で、愛車と共に

  

■ランと自転車で北米を一周

 旅の途中ながら、それまでの感想を聞くと「最高。すっごい楽しかった」と満面の笑みを浮かべて流ちょうな日本語で語った。「初めて自転車の旅。ランニングは3回やったんだけど。だから自転車やりたいなって思って」。アメリカ横断をランニングで終えたばかりで、「さすがに走るのはもういいかな」と、時間短縮も兼ねて自転車で実行した。

 北米一周チャリティプロジェクトの出発は1月16日、カリフォルニア州ハンティントン。一日平均約50キロを走ってアメリカを横断し、5月9日にボストンに到着。それから約2カ月を休養と準備に費やした後、7月2日にコネチカット州ストラッドフォードを自転車で出発。北上しカナダ入国後、北米大陸最東端ニューファンドランド州ケープスピアからカナダ横断の旅が始まった。

 それからバンクーバーに到着したのは95日目。後ろにバギーを引いた愛車は、ぬいぐるみやら、ニュージーランドの国旗やら、オールブラックスの旗やらなんだか賑やか。「子供たちとの会話に役に立つから」と笑って説明してくれた。

 北米一周チャリティプロジェクトは、カリフォルニア州に拠点を置く「100マイルクラブhttp://www.100mileclub.com」の普及と募金活動が目的。運動しながら楽しく目標を達成していくことを推進するクラブの趣旨に賛同するジャップさんが、行く先々で学校などを訪問し、子供たちと触れ合った。「学校に行くのは大好き」とジャップさん。「子供が飽きないように、楽しい話を持って行かないと、ふ〜んって言われて」。そんな時、自転車のぬいぐるみが話のきっかけに役に立つのだと笑った。

 チャリティ活動の中で、こうした人々との出会いが一番楽しいのだという。カナダ横断中には、行く先々での友人との再会、学校へのアクセスを手助けしてくれた人々との出会い、出会いが出会いを呼ぶ連鎖反応で、とにかく楽しかったと声を弾ませた。

 

■「目標は一つひとつ こなしていく」

 北米一周は、ランニング140日間で約5508キロ、自転車125日間で1万3367キロ。とにかく途方もない距離と時間をかけて達成した。そんな時、心がけたのは、一日一日の目標を達成していくこと。「とりあえず、スタートからここまで、そこだけ集中する。それが終わったら、また次。じゃないと、1万キロとか最初から考えちゃうと疲れるだけ。やる気が消える」。それをこれまでのランニングで学んで、「とりあえず今日」を楽しみながら乗り切ることに集中した。

 それは100マイルクラブにも共通する。100マイルクラブとは、まず、100マイルを歩くか、走るかなど、何らかの方法で1年間をかけて子供たちが達成することを目的としている。「大きなゴールだけど、毎日ちょっとずつやることが大事。15分でもいいから続ける」。4分の1を達成するとTシャツがもらえる。そしてまた次の身近な目標に向かって積み重ね、大きな目標を達成する。「子供には、なにか頑張れば(その努力に対して)何かもらうというのはすごいパワーになるね。勝負じゃないから、自分のスピードで自分ができることをがんばればできるよ、ということが分かるからね」。

 

■東北のために

 チャリティランは今回で3回目。最初は2011年。ニュージーランドを縦断、脳卒中への認知と募金活動が目的だった。ニュージーランド出身のジャップさんは、旅が好きで世界中を旅しているのに、「母国についてあまりにも知らなさすぎる」とニュージーランド横断の旅を決めた。そこに、そんな大規模な旅ならチャリティにするのがいいという友人のアドバイスで、お金も自動車もなく、走るか自転車かの選択で、自転車は旅行者がいっぱいいるからと走ることに決定した。脳卒中で倒れた友人を応援するため、寄付先はニュージーランドのストローク基金となった。

 「チャリティになったことは最高だった。僕のアイデアは、ニュージーランドをみること、ニュージーランドを感じること、ニュージーランド人と出会うことだったから、チャリティをやるといろんな人と出会える」とジャップさん。「ただのアイデアから全ニュージーの人がみんな知ってるイベントになっていった。夢通りにできた。幸せでしようがない。終わった瞬間、泣いた」と笑った。これがチャリティ活動の大きな第一歩となった。

 翌年、日本で沖縄から北海道までの約4200キロを走った。東北へのチャリティが目的だった。日本滞在が長いジャップさんは、福島県猪苗代にあるリステルホテルで働いていた。地震発生直前にオーストラリアへ行っていたため被災は逃れたが、決して他人事ではなかった。ニュージーランドで成功したこともあって、「次は日本だ!」と2012年4月から2カ月をかけて縦断した。

 この時は東北チャリティだけが目的ではなかった。大好きな日本を世界の人に知ってもらうため、できるだけ多くの場所を訪問し、その様子をブログで伝えた。富士山にも上って山頂からの写真もアップした。

 最終地点は宮城県気仙沼。ニュージーランドほど準備が整っていたわけでもなく、メディアの注目もなかったので、ゴール地点では友人だけが待ってくれているだろうと思っていたという。友人から「『ちょっとすごい人がいるよ、メディアもいっぱいいるよ、どうしよう』って」。最後は漁師の大漁旗を持った人々も伴走し、多くの人に迎えられて感動した。「すごい人が集まってくれて、スピーチして、泣いた。すごく嬉しかった」。

 

■また日本に

 多くの人々に支えられるチャリティ活動。今回もたくさんの人々に出会って、最高に楽しかったと目を輝かせた。北米一周は11月3日に、カリフォルニア州100マイルクラブ本部に無地到着して終了。1年近くかけたプロジェクトが、多くの人をのみ込む大きなサークルを描いて完了した。「スーパーハッピー」とのコメントがカリフォルニアから届いた。

 「次は?」と聞くと、いろいろ考えているが「まだ固まっていない」という。ただ、「もう一度、日本でやりたい」と語った。「プランニング、絶対ヒットになるようなアイデアを作りたい」。前回は、あまり準備がうまくできなかった。次回はニュージーランドのような「爆発」するような準備をしてやりたいと語った。

(取材 三島直美)

ジャップ・ブラウンさん

本名:ジャスティン・ブラウン。ニュージーランド出身。16歳の時、交換留学で来日。その後、20歳で再び来日。現在は、ほぼ日本を拠点に活動している。

ブログ:https://jupbrown.wordpress.com/

ウェブサイト: http://jupbrown.com/

 

アルバータ州で子供たちと(写真提供 ジャップ・ブラウンさん。Facebookより)

オンタリオ州サンダーベイのテリー・フォックス像の前で。印象に残った場所の一つ。「僕がアメリカ走った距離が5420キロ、彼が走って止まった距離が約5380キロ」と何か縁を感じる瞬間(写真提供 ジャップ・ブラウンさん。Facebookより)

ニューファンドランド州ケープスピア。氷山を背景に。カナダで最も印象に残った場所の一つ(写真提供 ジャップ・ブラウンさん。Facebookより)

2012年日本でのチャリティランの途中(写真提供 ジャップ・ブラウンさん。Facebookより)

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