「エイズってなに?  〜HIV感染動向とワクチン開発〜」

HIV/エイズは人類が直面する最も深刻な医療問題の一つだ。世界のHIV感染者数は3500万人を超え、年間150万人がエイズにより命を落としている。このグローバルな問題に対処するためには、まずHIVとエイズについて正しい知識を得ることが重要だ。7月17日、バンクーバーの隣組で特別セミナーが開催され、医学博士の俣野哲朗氏が「エイズってなに?〜HIV感染動向とワクチン開発〜」と題して講演した。俣野氏による日本語でのわかりやすい説明に、約30人の参加者が熱心に聞き入った。

 

 

隣組の会場には約30人の参加者が集まり、俣野氏の講演に聞き入った

  

参加者へのクイズを取り入れた明るいセミナー

 日本で国立感染症研究所エイズ研究センター長として活躍する俣野氏はセミナーの中で、HIVとエイズに関する基本的知識に加えて、世界における感染動向やHIV感染症克服のための取り組みについて解説した。難しいトピックだが、俣野氏はエイズ研究センターの映像や参加者へのクイズなども取り入れながら、明るい雰囲気でセミナーを行った。その内容の一部を以下に紹介する。

微生物と共に生きること

 地球上には、ウイルス、細菌、寄生虫、真菌など、私たちの肉眼では見ることのできない数多くの微生物が存在している。その大半は、人に感染することはない。また人に感染する微生物の中でも、全く人に病気を起こさない微生物、あるいは人の体内に免疫があるために病気を起こさない微生物がほとんどだ。微生物は人の体内にもたくさん存在しており、抗生物質などでこれを不必要に排除しようとすると、逆に体に良くない。大切なのは、微生物と共に生きることだ。

HIV感染とエイズ発症の違い

 HIV(ヒト免疫不全ウイルス)は、人の免疫細胞を破壊するウイルスだ。HIVに感染するとその人の免疫力は徐々に低下し、最終的には健康な人には何でもないようなささいなウイルスや細菌で病気になってしまう。これを日和見感染と呼ぶ。カンジダ症、ニューモシスチス肺炎、カポジ肉腫など、指標となる23の病気のいずれかにかかると、エイズ(後天性免疫不全症候群)発症と診断される。特徴的なのは、HIV感染後、エイズを発症するまでには長い症状潜伏期間があることだ。一般的に、この無症状期間は5年以上続く。「HIV」と「エイズ」という言葉は混同して使われることが多いが、実際にはHIV感染者の大多数はエイズ患者ではないということを理解することが重要だ。

 

HIVとエイズに関する特別セミナーが隣組で開催された

 

HIV感染症について知っておくべきこと

 HIVは、感染者の体液や血液が、相手の粘膜や傷口に接触することで感染する。例えばお風呂・プールや食器の共用など、日常生活の中でHIVに感染することはない。HIVの主な感染経路は、性的接触、血液感染、母子感染の三つだ。一度HIVに感染すると、体内から完全に排除することはできず、このウイルスと一生付き合っていくことになる。HIV感染症に自然治癒はなく、感染後に治療をしなければ、高い確率で死に至る。体内のHIVの増殖を抑え、エイズ発症を阻止するためには、生涯にわたり抗HIV薬を飲むことが必要だ。しかしそのためには高額の医療費がかかり、特に開発途上国では多くの感染者が十分な治療を受けられずにいる状態だ。

 

HIVとエイズの流行はグローバルな問題

 グローバル化が進み、世界規模の人の動きが活発になる中で、感染症の拡大を阻止することは重要な課題だ。国連合同エイズ計画(UNAIDS)によると、世界のHIV感染者総数は推定3500万人。2013年の新規HIV感染者数は210万人、エイズによる死亡者数は150万人だった。世界三大感染症は、HIV/エイズ、結核、マラリアの三つだが、この中で年間死亡者数が最も多いのがエイズだ。HIVの年間新規感染者数は減少傾向にあるが、それでも感染者総数は増え続けており、特にサハラ砂漠以南のアフリカに集中している。感染の拡大はウイルスに増殖と変異の場を与え、薬剤耐性株や高病原性株の出現という深刻な問題をもたらす。このようなHIVの進化は人類全体にとって脅威となるものであり、決して現在HIVが流行している地域だけの問題にとどまらない。HIV/エイズの問題は、国際社会が一体となって取り組むべき問題だ。

 

日本におけるHIV感染動向

 日本国内に目を向けると、新規HIV感染者・エイズ患者の報告件数は増え続けており、2013年には過去最高の1590人だった。そのうち90パーセント以上が男性で、感染経路は同性間の性的接触が最も多い。1590人中、1106人がHIV感染者で、484人がエイズ患者だった。つまり、エイズ発症による感染判明例が全体の30パーセントを占める。また、検査件数が増加すると感染者数が増える傾向がある。この事実からも、早期診断は十分に行われておらず、感染者数は報告件数を大きく上回っていると考えられる。感染報告件数は東京、大阪などの首都圏で多く、その原因の一つは首都圏以外の地域で検査環境が整備されていないことだとみられる。検査体制を整え、早期診断を促進することが大きな課題だ。

 

HIVに対する 社会的偏見をなくすこと

 HIV感染拡大を防止するためには、啓発活動が重要だ。俣野氏はセミナーの中で、ゲームをしながら感染症について学べる啓発アプリ「Epidemia」も紹介した。アプリの購入金額はエイズ撲滅のために研究基金として活用されるという。大切なのは、HIVに対する社会的な偏見をなくすこと。偏見がなくなれば、早期診断と早期治療を促進することができる。早く治療を受けることで感染者の免疫は保たれ、エイズ発症を抑えられる。そしてそれは感染者の予後改善だけでなく、感染者からの伝播阻止にもつながるのだ。「HIVに感染したかもしれないと思ったら、とにかく検査を受けてほしい」と俣野氏は語った。

 

隣組事務局長の岩浅デビッド氏は挨拶の中で、隣組の歴史を振り返ると共に、講師を務めた俣野氏への謝意を表した

 

HIV感染拡大阻止の 切り札となるワクチン開発

 HIV感染症制圧の鍵となるのが、予防ワクチンの開発だ。抗HIV治療薬の急速な進歩にもかかわらず、世界中で多くの人が感染の危機にさらされている現在、有効な予防ワクチンの開発は急務だ。エイズ研究センターでもワクチン開発に取り組んでおり、非営利組織「国際エイズワクチン推進構想」(IAVI)と共同で、ルワンダや英国での臨床試験を行っている。しかし、数多の研究者の力をもってしても、エイズワクチンの開発は難航している。通常、ワクチンは病原性を失わせたウイルスを体に入れることで免疫反応を誘導するものだが、HIVの場合は免疫誘導の仕組みが解明されていないからだ。予防エイズワクチン開発への道のりは険しい。しかし、これが成功すれば人類に計り知れない恩恵をもたらす。今後の開発の進展に大きな期待が寄せられている。

 今回の隣組特別セミナーは、HIV/エイズという世界的問題を、エイズ研究の第一線で活躍する俣野氏と共に考える大変貴重な機会となった。HIVとエイズの問題に対する参加者の関心は高く、講演終了後には活発な質疑応答が行われた。

 

バンクーバーで講演した国立感染症研究所エイズ研究センター長の俣野哲朗氏

 

俣野哲朗氏 略歴

1985年、東京大学医学部卒業。整形外科医として勤務後、基礎研究に転向。1997年、国立感染症研究所エイズ研究センター主任研究官。2001年、東京大学大学院医学系研究科准教授。2006年、東京大学医科学研究所教授。2010年より国立感染症研究所エイズ研究センター長として現在に至る。臨床と基礎の両方の経験を生かし、バランスのとれた視点でエイズワクチン開発研究に従事。  

  

 (取材 船山祐衣)

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