友好のシンボルの地を 『釧路公園』と命名
バーナビー市と釧路市が姉妹都市関係を結んで今年で50 年となる。それを祝い、7月7日から11日まで、釧路市からの記念訪問団がバーナビー市に滞在。9日午前はバーナビー・マウンテンで公式セレモニーが催され、会場一帯が『釧路公園』と命名されることが発表された。
『釧路公園』の表示の前での記念撮影。デレク・コリガンバーナビー市長(左端)、蝦名大也釧路市長(右端)
命名『釧路公園』
バーナビー市との姉妹都市提携50周年の記念行事のため、同市を訪れたのは釧路市の蝦名大也(えびな・ひろや)市長率いる約60人。そのうち公式訪問団の約20人が、7月9日午前9時、バーナビー・マウンテンでの記念セレモニーに臨んだ。
バーナビー市からは、デレク・コリガン市長、6人の市議会議員、市教育委員会からの代表、同市を本拠とするサイモンフレーザー大学のアンドリュー・ペッター学長、同市から選出の二人の州議会議員、市職員らが列席。岡田誠司在バンクーバー日本国総領事夫妻や、日加両コミュニティからの列席者と共に訪問団を歓迎した。
セレモニー会場は、アイヌ語で『カムイミンタラ』(神々の遊ぶ庭)と呼ばれるトーテムポール郡を背景に設けられた。この野外彫刻は、バーナビー市と釧路市の姉妹都市提携25周年の記念として、釧路市のアイヌ民族の彫刻家、床ヌブリさんが1990年に完成させたものだ。
今回バーナビー市は50周年を記念して、両市の間の友好のシンボル『カムイミンタラ』のあるこの場所を『釧路公園』と命名することを決定。セレモニー当日は、岡田総領事、コリガン市長の蝦名市長、ペッター学長のそれぞれによるスピーチの後、同公園の表示の除幕式が行われた。
友好を促進する『草の根』
最初にスピーチを行った岡田総領事は、冒頭で、バーナビー・釧路の姉妹都市提携50周年に祝意を表すると共に、「『釧路公園』の命名は喜ばしい。この公園はバーナビー市民やここを訪れる人々に両市の友好関係を示すのに非常によい場所だ」と語った。
また、「日本とカナダは緊密な関係にある。その緊密さには姉妹都市関係に見られるような市民らの『草の根』のつながりが重要な基礎の一つ」と述べ、「両市の友好的関係がこれからもさらに深まっていくよう祈念している」と述べた。
広がる友好の輪
次に、バーナビー市のコリガン市長が次のようにスピーチを始めた。
「『カムイミンタラ』が釧路市からバーナビー市へ贈られて以来、ここは両市の間の友好を象徴する場所である。市の名所になっている」。
トーテムポール郡のうちの1本は、西の方角を指していて、その先に釧路があるという。「この1本は、二つの市を結ぶ友情の橋を表す」と市長。
トーテムポールには鶴の彫刻もある。これはバーナビー市が釧路市に贈呈したBC州に生息するカナダ鶴の像の模作である。釧路市で見られる丹頂鶴とBC州のカナダ鶴は、姉妹種だ。
「これらの彫刻は当市にとって、今や欠かせない景観。これら無しにはこの公園は考えられない」コリガン市長は熱く語り、次のように振り返った。
「50年前の1965年、リーブ・アラン・エモット市長と釧路市からの代表団との間で友好交流協定が結ばれた。当時の人々はこの締結が将来、両市の教育・経済・文化面を促進し、相互に恩恵をもたらすことを予想していた」。
25年前、床ヌブリさんが『カムイミンタラ』の制作のため数カ月にわたりバーナビー市に滞在した際、市民との交流が育まれた。さらに、両市の間での5年ごとの記念行事を通し、友好関係は年々深まった。良好な関係はそれぞれの市民の次世代に伝わり、さらにはバーナビー市とやはり姉妹都市関係にある米国アリゾナ州メサ市にも波及している。
「メサ市からの訪問団が『カムイミンタラ』を見て感心し、特に熊の彫刻を絶賛した。そこで当市では、カナダのアーティストに頼んで似たような熊の彫刻を作ってもらい、メサ市に贈った。メサのアート・センターに設置された『バーナビー・ベア』は、元をただせば『釧路ベア』。現在その彫刻の前は、同センターを訪れるメサ市民の待ち合わせ場所となっている。これは、釧路とバーナビーの友好の輪がメサまで広がり、新しい関係が生まれたことを意味する」と、コリガン市長はユーモアあふれる口調で語った。
『カムイミンタラ』のある場所を『釧路公園』と命名することは、二つの市の関係が長期にわたり充実していること、また、バーナビー市民にとって釧路が近い存在であることを示している。
「ここを『釧路公園』と命名することは意義深い」とコリガン市長は述べ、スピーチを終えた。
向かい合いながらの歩み
引き続き、蝦名市長が次のような内容を含んだスピーチを行った。
「釧路からの訪問団はカナダに到着して以来、空港・ホテル・町並み、そこで見る姉妹都市提携50周年を祝うバナー(のぼり)に、この瞬間でさえ、喜びと驚きに満ち、感動している。
日本語には『おもてなし』という言葉がある。それは相手のことを思いながら、また相手を尊重しながら、ちょっとしたことにも気を遣うという日本の文化を意味する。私たちはバーナビーで『おもてなし』を受けているという気持ちでいっぱいだ」。
また蝦名市長は、訪問団のサポートをする当地の日系の人々から、カナダやバーナビーの素晴らしい面についていろいろ聞き、「日系コミュニティを大切にしてくれているカナダの国民の思いが伝わってくる」とも述べた。
同市長は、公式訪問団に加わっている二人の高校生を会場に紹介。「このような若い世代が、今日この場所で、50年の足跡に感謝し、感動しながら次の50年を作っていってくれるのかなと思う」と期待の言葉を寄せた。
釧路市の阿寒湖畔には、バーナビー市の『カムイミンタラ』に向かい合うように、床ヌブリさんが制作したもう一つの『カムイミンタラ』がある。蝦名市長は、「この50年間のように両市が共に見つめあい、尊敬しあい、慈しみあいながら、次の一歩を歩みだしていきたい」と結んだ。
つながりあって50年
最後に、サイモンフレーザー大学のペッター学長が登壇し、次のような点に触れながらスピーチを行った。
「バーナビー・マウンテンは特別な場所。神々の遊ぶ庭を意味する『カムイミンタラ』がある。加えて、サイモンフレーザー大学がある。かつて先住民族が住んでいた場所だ。
当大学は、地域社会のみならず世界との協働を旨としている。留学生も多く、海外の教育機関との調査・研究も活発に行っている。日本の大学とはアイヌ民族とカナダ先住民族を対比する共同研究を行っている」。
同大学がバーナビー市に創立されたのも、実は1965年。やはり今年は50周年にあたる。「このように関係しあう、バーナビー市・釧路市・サイモンフレーザー大学のますますの繁栄と、友好関係のさらなる進展を願う」とペッター学長は述べ、列席者にエールを送った。
50年後も参加
スピーチが終了すると、コリガン市長と蝦名市長により、『釧路公園』の表示の除幕式が行われた。その後、列席者はテントに用意された茶菓でくつろいだ。
公式訪問団の二人の高校生、森谷那由(もりや・なゆ)さんと大森ともなさん。訪問団への参加は、「応募者の中から、作文と面接の審査を経て選ばれた」と大森さんは説明する。
森谷さんは、「海外に興味があります。将来は経済や法律を学び職に就きたい。そのためにも視野を広げ、英語を学ぶことが役に立つと思いました」と応募の動機を語る。
大森さんは、「バーナビー市民の方々から声をかけてもらい、フレンドリーな人が多いなと感じました。50年後の式典にも再び参加できれば」と弾んだ声。
森谷さんも、「学校で『くしろ検定』があるので、釧路については他の高校生より詳しく知っていると思っています。その知識を生かし、姉妹都市の交流がさらに深まるよう何かできれば」と抱負を語った。
紺と白のそれぞれの学校の制服を着た二人は、会場に流れる生演奏の音楽を聞きながら、日加の列席者と歓談したり公園内を散策したり、友好・親善の和やかな時間を楽しんでいた。
スピーチを行うデレク・コリガン市長
公式訪問団のメンバーを紹介する蝦名大也市長
スピーチを行う岡田誠司総領事
スピーチを行うアンドリュー・ペッター学長
『釧路公園』の表示の除幕にあたり、幕を持つデレク・コリガン市長と蝦名大也市長
『釧路公園』の表示。釧路市・バーナビー市姉妹都市提携50 周年記念の文字と、丹頂鶴とカナダ鶴が描かれてある
セレモニー会場へ入場のため、バグパイプ奏者とRCMPを先頭に整列する列席者
『釧路公園』の表示の除幕後、握手を交わすデレク・コリガン市長と蝦名大也市長
列席者と握手を交わす蝦名大也市長
(左から)大森ともなさん、森谷那由さん
(取材 高橋百合)