イザベル・バイラクダリアンさん
表現力豊かな歌声でファンを魅了するアルメニア系カナダ人歌手イザベル・バイラクダリアンさん。レバノン内戦を逃れて14歳でカナダに移住し、トロント大学で医用生体工学の学位を取得後、ソプラノ歌手になるという異例の経歴を持つ歌姫は、20年近くにわたり世界の歌劇場にその美声を響かせてきた。小澤征爾氏の指揮によるオペラ『利口な女狐の物語』でタイトルロールを演じたこともあるイザベルさんにインタビューし、カナダへの移住や日本公演時のエピソード、仕事と家族への思いなどを語ってもらった。
ソプラノ歌手・イザベル・バイラクダリアンさん
カナダへの移民
アルメニア人の両親の元にレバノンで生まれ育ったイザベルさんは、幼い頃から教会で歌っていた。しかし、約15年にわたって続いたレバノン内戦の影響で、裕福だった家族は全てを失い、カナダに移住する。
「日本からカナダに移住する方は、平和で発展した国から来るのですから、感じ方が違うかもしれません。私たちの場合、カナダに来る前にいた場所は戦場だったのです。当時、レバノンでは高等教育を受ける機会はもちろん、生の音楽に触れる機会さえなかった。だから私にとってカナダに移住するということは、自分の人生が大きく開けることを意味していたのです」。
違うことは 素晴らしいこと
5歳の時からアルメニア語、アラビア語、英語のトライリンガルだったため、移住後に言葉で苦労することはなかった。しかし、レバノンとカナダの文化の違いは大きく、自分を見失いそうになることもあったという。
「カナダに来た当初は、どう振る舞えばいいのかわかりませんでした。自分が受け入れられるかどうか不安で、周りに溶け込むには自分が変わらなければならないと思っていました。でも、しばらくして気付いたんです。そうではないのだと。自分のアイデンティティーを受け入れて、自分が他の人とは違うということを受け入れる。そして違うところを自分の強みにすればいい。違うというのは素晴らしいことなんです。他の人とは違うことができて、もっと周りに貢献できるということなのですから」。
トロント大学では 医用生体工学を専攻
大学在学中に声楽の才能を見出され、その後、音楽の道に進んだイザベルさんだが、トロント大学で学んでいたのは音楽とは全く関係のない医用生体工学だった。
「移民は新天地で、何か頼れるものを求めているのだと思います。特に私たち家族は戦争で全てを失う経験をしていますから、私にとっては、医用生体工学という堅実な分野で教育を受け、安定した生活の保障を得ることが重要なことだったのです。卒業後は歌手になりましたが、今でもエンジニアとしての経験は生きていますよ。私は手先が器用で、機械類の組み立てや修理はお手の物です。医学・科学系の文献を読むのも好きですね」。
小澤征爾氏の指揮する『利口な女狐の物語』で主役
デビュー以来、世界の名立たる歌劇場で数多くのオペラに出演してきた。特に20代から30代はモーツァルト作品への出演が多く、『フィガロの結婚』のスザンナ役、『ドン・ジョヴァンニ』のツェルリーナ役、『魔笛』のパミーナ役で高く評価された。ヘンデル作曲『セルセ』のロミルダ役も印象深い。2008年には、長野県松本市で毎年行われる音楽祭『サイトウ・キネン・フェスティバル松本』(今年から『セイジ・オザワ松本フェスティバル』に改称)で、『利口な女狐の物語』のタイトルロールを演じた。名指揮者・小澤征爾氏のもとで練習を重ね、公演を行った日々を忘れることはない。
「小澤征爾氏は、まさにlegend(巨匠)です。彼にはエゴがない。『皆が自分の言う通りにしなければならない』というような考えがないのです。歌手の声に耳を傾け、その歌手が最高の歌唱ができるように導いてくれる素晴らしい指揮者です。人柄はとても気さく。そして子どもが大好きです。『利口な女狐の物語』には子役がたくさん出てくるのですが、子どもが歌うたびに、彼はなんて嬉しそうな顔をしていたことでしょう。小澤氏の指揮のもとで歌うことができたのは、とても光栄なことでした」。
日本での思い出
『サイトウ・キネン・フェスティバル松本』に参加するため、日本には約2カ月間滞在した。イザベルさんの母と長男のアリ君も同行し、松本市の美しい自然の中での生活を満喫した。
「母と私は、毎日和食を楽しんでいました。和食以外のものが食べたいと思ったことは一度もなかったですね。息子のアリはその時、生後7カ月で、ちょうど固形食を始めるところでした。だから息子が生まれて初めて食べた固形食は、日本の野菜だったんです。母と息子と三人で温泉に行くのも楽しみでしたね。日本にはたくさんの素敵な思い出があります」。
教えるということ
近年は教えることにも力を入れているというイザベルさん。現在は、カリフォルニア大学サンタバーバラ校の声楽講師としても活躍中だ。
「人は皆、それぞれの人生の中の違う地点にいます。今の私は教師として、ユニークな存在かもしれません。生徒と年齢がそれほど離れてはいないので、一緒に歌うことができるくらい近い存在です。でもそれと同時に、私には音楽の世界で20年近い経験があります。歌うことだけでなく、音楽の世界でキャリアを築くということを知っている。だから生徒は私との交流を通して視野を広げ、キャリアについて現実的に考えられるようになるのではないかと思います」。
夫婦として 共に成長すること
ピアニストで作曲家の夫セリョージ・クラジアンさんは、公私ともにかけがえのないパートナーだ。夫婦円満の秘訣は、お互いをアーティストとして尊重することだという。
「アーティストは常に成長する必要があります。だから結婚しても、相手を縛りつけてはいけない。『あなたは私のもの。もう変わることは許さない』と言ってしまったら、悲しい思いをすることになります。二人とも自由でいなければならないのです。それでも夫婦だから、同じ方向に向かって飛びたいと願っています。お互いを信頼し、『これからの人生をずっと共に成長しながら幸せに生きていくのだ』と信じること。それが私たち夫婦の大切にしていることです」。
アルメニア人虐殺から百年の節目の年に
アルメニア人には、19世紀末から20世紀初頭にかけて、オスマン帝国の下で虐殺された歴史がある。2015年は、アルメニア人の強制移住が始まった1915年から百年という節目の年にあたり、追悼のための催しが数多く行われる。
「今年は各地で、アルメニア人虐殺の犠牲者の追悼コンサートに出演します。私の祖父母は、アルメニア人虐殺の生存者です。私たちには世代を超えて受け継がれてきた深い心の傷があります。二度と繰り返してはならないこの悲劇に対する関心を高めることが、私にとって、とても重要なことなのです」。
日本で歌いたい タンゴと ジプシー音楽
オペラから宗教音楽、ラテン音楽、そして映画音楽まで、幅広いレパートリーを持つイザベルさんは、世界各地でコンサート活動を行っている。日本では2006年に夫のセリョージさんとリサイタルを開き、艶のある美声で聴衆を引きつけた。
「日本の方々はとても良い聴衆で、私たちの演奏を高く評価して下さいました。近年、私が特に情熱を傾けてきた音楽にタンゴとロマ音楽があるのですが、これはきっと日本の方々に楽しんでいただけるのではないかと思います。是非、また日本でリサイタルがしたいですね」。
3月18日から20日までバンクーバー・アカデミー・オブ・ミュージックで開いたコンサートが大好評だったバイラクダリアンさん。またこの街でその美しい歌声を聴ける日が待ち遠しい
プロフィール:イザベル・バイラクダリアン
アルメニア系カナダ人のソプラノ歌手。1974年、レバノンで生まれる。14歳でカナダに移住し、トロント大学卒業後、ソプラノ歌手に。2004年から4年連続でジュノー賞最優秀クラシック・アルバム賞受賞。アルメニア民族音楽のアルバム『Gomidas Songs』は、2009年グラミー賞にノミネートされた。現在は夫のセリョージ・クラジアンさん、長男のアリ君、長女のリアちゃんと米国カリフォルニア州在住。
(今年3月20日、アダムス弘美さん宅にて)
(取材 船山祐衣)