陶芸家・俊彦窯 窯元(かまもと)
清水剛さん
丹波焼の陶芸家・清水剛さんが、外務省の『日本ブランド発信事業』のためカナダを訪れ2月20日、在バンクーバー日本国総領事館主催で『日本の陶芸:丹波焼の世界』と題した講演が行われた。 デモンストレーションを加えた昼の部は、クワントレン・ポリテクニック大学共催で開かれ、約150人が出席、サイモン・フレーザー大学共催で開かれた夜の部には、約60人が出席した。兵庫県ワシントン州事務所の水口典久所長が篠山市の紹介をし、清水さんがスライドを用いて丹波焼の歴史や窯について説明した。
陶芸家・清水剛さん
丹波焼の里
清水剛さんが住む兵庫県篠山(ささやま)市今田町周辺には、丹波焼の窯元が約60軒ほどあり、約80名の人が丹波焼という焼物を作っている。清水さんは俊彦窯の窯元で5代目。父親の俊彦さんも現役の陶芸作家である。
講演では、在バンクーバー日本国総領事館の内田晃首席領事が挨拶し、丹波篠山の位置を説明すると、風景がスクリーンに映し出された。緑いっぱいの田園風景と山々。「ここに小さく写っているのが家内と子どもで、田んぼでおたまじゃくしを捕っているところです」 近くには兵庫陶芸美術館があり、かつて清水さんもそこで陶芸を教えていた。
兵庫県篠山(ささやま)市今田町周辺(写真提供:清水剛さん)
起源は平安時代
丹波焼の起源は12世紀の終わり、平安時代にさかのぼる。丹波焼または立杭焼(たちくいやき)は、瀬戸、信楽(しがらき)、越前、常滑(とこなめ)、備前とともに、日本六古窯(ろっこよう)のひとつに数えられる。丹波焼は800年以上中断することなく伝統の火を守り、生産が続いている。 「日本古来の陶磁器窯は1600年代くらいまでに消滅しています。有田焼、九谷焼などは比較的新しい部類に入ります」。
19世紀ごろまでは焼物のとっくり、しょう油入れが使われていたが、ガラスが広まってからは需要が少なくなり、1925年ごろから蘭や菊用の植木鉢の制作に代わった。経済恐慌が始まると再び生産が低下。京都から機械式ろくろが導入され、戦時中は硫酸ビンを作っていた。
無釉焼締(むゆうやきじめ) 壷銘『猩々(しょうじょう)』(鎌倉時代) (写真提供 兵庫陶芸美術館) この写真をめぐり参加者から 「完璧でない」「でこぼこがある」などコメントがあがった。 清水さんは壷ひとつで会話が広がっていくことも陶芸のおもしろさだという
会場に展示された清水さんの作品
美しさは生活の中にある
丹波焼の発展に大きな影響を与えたのは柳宗悦(むねよし)だった。1925年には、日本をたびたび訪問したイギリスの陶芸家バーナード・リーチ、陶芸家の濱田庄司、河井寛次郎らとともに『美しさは生活の中にある』という民藝ムーブメントを起こし、日本民藝館を創設した。
実用品の中に美を発見した柳により伝統的技術が復活。それまで素焼きは表面がざらざらして水を吸収しやすく用途が限定されていたが、釉薬(ゆうやく・うわぐすり)を使うことによって表面をガラス質が覆い耐久性がよくなるなど、丹波焼にリバイバルが起こった。
穴窯・登窯(のぼりがま)
時代によって窯の形式も変わってきたが、丘陵などの斜面を掘って作られた半地上式の登窯(のぼりがま)によって一度にたくさんの陶器を焼けるようになり、デザインや色も豊富に作られるようになった。
窯の長さは入り口から奥まで47メートル。「小柄な私でもかがまないと頭がぶつかります」。
1953年に再び来日したリーチは立杭焼の登窯を見学。イギリスに戻り、日本の伝統的な登窯を開いたことでも知られている。 窯元に生まれて 高校生のときは水泳に夢中だった清水さんだが、モノを造ることも好きだったため、美大へ進学した。「1年目は陶芸と漆、染織を学び、当初は漆に興味を持ちました」。
陶芸というと茶碗、皿、花瓶などを電動ろくろで回して作る様子が目に浮かぶが、大切なのは土。たとえば丹波焼の土と信楽焼の土は違う。丹波には土工場があり、清水さんは適度な砂けが入った土を好むという。
俊彦窯には薪の窯が4機あり、年に2度、この薪窯を使って陶器を焼く。「6日間火を絶やさないようにするため、父と12時間ずつ交替制で窯を守ります。ガス窯で焼くこともありますが、窯によって仕上がりに違いが出てきます」。
清水剛さんの作品
穴窯の様子(スライドより)
自然を感じる仕事
今回訪れたカナダではオタワに続き、バンクーバーで2日間の講演やデモンストレーション、大学での講義を行った。その合い間にUBCの人類学博物館を見学。「先住民やアジアの美術品など、久しぶりにいいものを見ました」。 「焼物を通して人と出会えることも、この仕事の魅力です。工房では単独作業ですので、展覧会を開くと昔のクラスメイトが訪ねてきてくれてうれしいですね」。
大学受験のときに起きた阪神・淡路大震災。工房の上で寝ていた清水さんは、ガシャンガシャンという陶器が落ちて割れる音に怯えた。 「森羅万象という言葉のように自然の力があるわけで、粘土自体、人間が作り出せるものではありません。陶芸家というのは自然を身近に感じる職業ではないかと思います。自分のルーツと一緒に仕事をしながら、丹波で私自身にできることを続けていきたいと思います」。
* * *
夜の部の出席者の半数以上がカナダ人で、陶芸をしている人からは「粘土に塩を入れるか」「さっき見せてくれた壷はでこぼこがある」などのコメントがあり、「日本にはこんな自然があるのか」、「日本に帰ったら篠山に行ってみたくなった」という日本人からの感想も聞かれた。
清水さんが話す内容に敏速かつ活気あふれた状況説明を入れた安武優子さんの通訳も絶賛されていた。
サイモン・フレーザー大学ダウンタウン・キャンパスで開かれた講演
プロフィール: 清水 剛 しみず・たけし。
1975年兵庫県丹波立杭に生まれる。
1999年、京都市立芸術大学卒業。陶芸家・今井政之・眞正氏に師事。
2009年、神戸ビエンナーレ現代陶芸展奨励賞ほか。
2011年、日本陶芸展入選。兵庫陶芸美術館陶芸指導員(2012年まで)。
(取材 ルイーズ阿久沢)