『カナダを耕した家族の物語』を出版
末永和子さんに聞く
今年7月、京都在住の末永和子さんは著書『カナダを耕した家族の物語―ヨーロッパから、そして日本から』(叢文社)の商業出版を果たした。カナダ移民へのインタビューと実地調査に投じた7年間。末永さんを執筆に駆り立て、出版を完遂させたものは何だったのか。
バンクーバーにて末永和子さん
時は1930年、所はアルバータ州マグノリア。安くて広い土地が手に入ると期待してウィテク一家はポーランドからカナダへやって来た。しかし、手持ちのお金で借り得たのは木が鬱蒼と茂った土地と、電気も水道もない丸太小屋だった。―本書で取り上げているのはポーランド移民のほか、ベルギー移民、そして滋賀県出身者と静岡県出身者の計4家族。皆、農業や酪農を生業とした家庭の話だ。それぞれの人物のストーリー、水汲みなどの生活や農作業の様子の描写、その時代を物語るデータが折り重なって、生活史としても、ドキュメンタリー小説としても読める一冊となっている。
「インタビューの協力者へ再び感謝の気持ちを伝えたい」と来加した末永さんに話を聞いた。
―カナダとのつながりはどこから?
カナダには92年から現在まで毎夏訪れ、その間夫の在外研究に随伴して98年から2年半、バンクーバーに滞在したのですが、その間に様々な国からの移民の子孫と知り合ったことが本書の執筆につながりました。
第2部ベルギー移民のリリアンさんの家族写真(1926年)
第1部のポーランド出身のウィテク一家のパスポート(1930年)
―その長期滞在中の体験は前著『扉をあけると―カナダロングステイ850日』に執筆していますね。
はい、そちらは英語のおぼつかない私が無謀にも、UBCのFWC(Faculty Women's Club)というカナダ人の集まりのドアを開けたところからの体験を書きました。
―執筆は他でも経験が?
前著を書く前からの執筆活動はありません。文章に関連したことといえば、もの心ついた時から読書が好きで、また手紙をよく書いていたことでしょうか。「美しい文章の手紙を書きたい」「美しい日本語を話したい」という理想は持っていましたが、トレーニングを受ける機会もなく、現在に至っています。でも、歳とともにますますその気持ちが膨らんでいるのに気付きます。
―本書の執筆動機を詳しく聞かせてくれますか?
カナダ滞在中に、本書に登場するレスブリッジの藤田春太郎さん、たみ子さんご夫妻をはじめ、移民の方々にお話を伺ううちに、そのストーリー性に惹かれて、もっと知りたくなっていきました。 第二次世界大戦中の日系人の方たちのご苦労について、以前から聞いてはおりましたが、直に知り得たことで、他国の移民との比較の興味も芽生えました。そんな中、後には語り部となってくれたヘレンさんのお宅で、祖父母がポーランドから移住する時に携えた古いパスポートを見る機会があったんですね。その写真の中のお一人、ジョセフさんのお顔にバツ印が付いていたのです。その理由を聞いておりましたら、こうした事実を世に紹介したいという意欲がふつふつと湧いてきました。そうしたことも本書を書くきっかけとなりました。
第3部 バンクーバーに到着した藤田春太郎さんとたみ子さん。人里離れた住居に向かう前の姿だ
―4歳だったジョセフさんが感染症にかかっていると疑われて移民船に乗船できなかった話ですね。子供を祖国に置いていくことになったくだりと、その数十年後までも続く母の思いには大変感じ入りました。それぞれの家族にドラマがありますね。
どのご家族にも苦労の時期と花開く時期がございますね。皆さんご家族で力を合わせてその苦労を乗り越えていらして、そのご苦労も越えた後にはそれが試練だったんだなと思えます。
―本書には史実も豊富に盛り込まれていますね。特に1942年、日系人に強制移動の命令が出た際に、家族単位での疎開を認めてもらうようにとNMEG(Nisei Mass Evacuation Group)が組織され 、NMEGがブリティッシュ・コロンビア州保安委員会の議長に送った要求書は日英全文にわたって掲載されています。
要求は当然の権利だったにもかかわらず、権利を振りかざすことなく、そこをぐっと抑え、相手のことを察しながらあくまでも丁寧に、でも言うべきことは言う。その文章が素晴らしいことにとても感動し、書かずにはいられませんでした。
―末永さんは実際に、登場人物ゆかりの地にも足を運んでいますね。
はい、ロージーさんのご主人のジョセフ・クリロさんが入国したノバスコシア州のハリファックス港に参りました時には、埠頭にあった移民博物館を訪ねました。そこで学芸員の方に、ジョセフさんの資料を探していると告げたんですね。初めはいぶかしげに思われていたようですが、私が携えていた資料を見せて必死に説明したところ、こちらのことをわかってくださり対応してくださいました。するとジョセフさんの入国時の資料が見つかったのです。資料には乗船した船の種類や背格好などが書かれていまして、それを見た時は感激しましたね。
年間600トンのミルクを出荷するまでになった河井良夫さんの農場
―本書では四つの家族を取り上げていますが、実際取材したのはもっと多くの家族だったとか。
ご家族の歴史の中には、いい事もあれば他人に話したくないような事もありますから、ある方からはインタビューの途中で断られました。またほとんどお話を聞き終え、執筆の段階になってから、ご自分で自伝本を出版したいと希望されて掲載を断念させられたケースもございました。取材の中で、語ってくださる方たちとの信頼関係を築いていくことが一番の苦労だったわけですが、そうした信頼関係を築きあげた後のことだったので、余計に残念でしたね。
掲載する内容は一つ一つ「このことを書きますよ、いいですね」と協力者の方々に確認しました。その上でお金のことや、離婚や事業の失敗といったことも含め、すべて実名で書かせていただいています。皆さんよくぞ私のことを信用してくださったと思います。皆さんには感謝してもしきれません。
―末永さん自身に、この7年間にあった思いはどんなものだったのでしょうか。
最後の2年間は町の名前や、家と町までの距離などの細かい確認作業でした。消滅した町などありますからね。そんな中で、本当に書き上げられるのだろうかと責任感に押し潰されそうになった時期がありました。まるでトンネルの中にいるような感じがしましたね。しかし他の誰かに頼まれたのでもなく、自分が決めてやっていることだからと自分を奮い立たせて、何とか最後までやり切ることができました。
2014年7月25日発行の末永さんの著書
―日本の読者からの本書への反応はいかがですか。
カナダの移民の歴史を知らなかったという方が多いですね。日本では、アメリカやブラジル移民の歴史に関する情報はわりと多いですが、カナダ移民の情報を知る機会は少ないですから。そのことも本書の執筆動機の一つでした。ちょうどNHKの朝の連続ドラマ『花子とアン』でカナダに関心が集まっていることもありまして、出版のタイミングがよかったと思います。タイミングということでは出版社からこの本を受け取ったのが私の誕生日だったんです。責任を果たせたという安堵感で、私にとって最高の誕生日でした。
使命感に駆り立てられ執筆を遂行した末永さん。あと書きに記した結びの言葉は「穏やかに暮らす市井の人々にも、尽きせぬ移民の物語があることを改めて知るよすがともなれば幸いである」。静かながら熱い思いの詰まった本である。
(取材 平野香利)