駒ヶ嶺小学校とトーマス・キッド小学校をスカイプで繋ぎ授業をする西川さん
アースライドを始めたのは何年からですか?
アースライドとつけたのは最近ですが、自転車で旅を始めたのは2006年の日本一周です。2007年に中国から旅をはじめて一年にもならない時、中国で地震がおきて被災地の人がテレビに出ていた。予定地でもあったので行くだけ行こうと自転車で向かいました。現地に入ると、大きな町には軍隊がいて物資が届いたりしているんですが、小さな山間の町は住民の人が自分たちで瓦礫の中から生活に使えるものを取りだしたり、小さい女の子が瓦礫を運んでいたり。そういうのを見てこりゃ旅をしている場合じゃないと。それから4カ月半ぐらいずっとボランティアをしていました。
ボランティアをしてその後また旅に戻った?
いつまでもいたかったですが、自分はいつか離れなくてはならない存在ですから。それからチベット、ネパール、バングデシュとインドまで行って2009年の暮れに日本に帰ってきました。 次の旅の準備として、仕事しながら小学校や中学校で講演を始めました。そして、さあ旅に出るぞというタイミングで津波が来たのです。
こうなると旅なんかしている場合と違うぞと。自分が日本一周のときにお世話になった福島県新地町という町では、震災や津波のためたくさんの人が亡くなりました。小さな町なのでボランティアセンターの立ち上がりも遅かった。自分は中国での経験から、早く行動しなくてはいけないと考え、役場に行ったりしているうちにボランティアセンターが立ち上がることになりました。
最初はボランティアのつもりだったのですが、結局はスタッフとして現地で活動することになりました。センターにいる時間以外は、避難所にいって子どもと一緒に遊んだり自習をしたりしていました。
そして地元の人達に仕事を引き継げるようになり、僕も次の旅を再開しようとネパールに戻ったんです。
上段左から2番めが西川さん。中央の赤いパーカを着ているのが交流会授業をお願いした陽朗(ひろ)くん
何故、スカイプを使って繋げようと思ったのですか?
旅のカテゴリーでいうと、ここで1つ線が引けるんです。ここまでが自分のためになんでもいろいろ経験していこうというスタンスで、それをやりながら誰かに旅をしながら伝えることができないかな、と考えました。
旅に戻ろうという時に、新地町の子どもたちと強い繋がりができていました。それまでもいろいろな学校に行って講演して、講演会の2時間、すごく密な時間を過ごしました。そうやって講演会自体に生きがいを感じていたけれど、それは2時間で終わってしまう。そして彼らと再会する機会はなかなかない。
何か別のスタンスで関われば、子どもたちと長い期間で繋がれるのではないかと思ったのが、学校の授業として自分の活動と子どもたちの繋がりを取り入れてもらうことでした。
また、旅をして自分を見つめる中で分かってきたことなのですが、旅をしている自分と日本に帰ってからの自分はだいぶ違うんです。日本にいるときも講演会とかあればすごくテンションが上がるのですが、旅に出ているときは、毎日がチャレンジでいろいろなものに感謝の気持ちを抱きながら本気で毎日生きている。
日本に帰ってからその時のことを思い出して話すよりも、やる気も生きる力もみなぎっているその気持ちをライブで子どもたちに伝えたいと思い、それがスカイプの授業に繋がっているんです。
福島の新地町で行うことになったきっかけ
思いついた時に企画書を書いて新地町の教育委員会に持っていったんですね。そうしたら「すごくいい機会になるかもしれないから学校に話してみましょう」と。そして新地町の駒ヶ嶺小学校の校長先生が「是非うちでやって欲しい」と言ってくれました。
新地町はとても小さい町ですが、教育委員会がICT(インターネット・コミュニケーション・テクノロジー)という、学校の授業の中でインターネット等をどんどん活用しようとしていて、そのモデル校になっていたんです。今回の話をしたときも「うちの機材ですぐにできますから、ぜひやりましょう」ということで取り入れて頂いたんです。
オーロラの写真:西川さんのホームページより
今までで大変なことは?
一回目の旅の時は高山病で危なかったんですが、カナダの場合、寒さですね。マイナス25℃のユーコンで2週間ぐらいキャンプしながら走ったり。でも、どちらかというとどの国に行っても、本当にいろいろな人のお世話になりました。
野生動物とのトラブルはないですか?
トラブルはないように気をつけています。アラスカからカナダに入ったときは常にベアスプレーをもっています。狼の遠吠えがすごく近いとかはありますね。
リッチモンドのトーマス・キッド小学校にて記念撮影
これを仕事にしたいのは何故ですか?
僕自身は自分でこのプロジェクトができるのは多分3校が限界なんです。だったら自分が3校見つけたらもう終わりなんです。でもそれでは3つの学校の子どもにしか伝えられないじゃないですか? 自分がこのやり方を続けて、ちゃんと教育の仕組みとして成り立てば僕だけでなく、例えば海外協力隊や、NPOで支援している人、日本だと考えられない職業で海外で活躍している人が日本中の子どもたちに活動内容を伝えられるわけです。
旅は自分のためにやっているけれど、子どもにいかに夢や可能性を伝えていけるか、バトンタッチしていけるか。そのためには自分の持っている時間と想像力と、それをつぎこむための努力をしなくてなくてはいけないと思うんです。
トーマス・キッド小学校にて
今回のウィスラーやリッチモンド市のトーマス・キッド小学校での授業については?
ウィスラーは滞在が1日で、すぐバンクーバーに行く予定だったんですが、お世話になった家庭のお子さんが僕の話をきいて、「西川さんの話を学校のみんなに聞いて欲しい」と、夜の9時頃父親に学校の先生にメールして、とお願いしました。僕は実現しないだろうと思っていたんですけれど、翌朝になったら「先生がいらしてくださいとおっしゃっています」と言っていただいて。
僕でさえこれは無理だろうと思っていたのに、お子さんが自分で行動を起こして、結果僕が学校でお話できることになった。それが僕にとってウィスラーのいい思い出でしたね。改めて子どもの可能性に自分が考えさせられた。
そして今日、旅の経験の話や駒ヶ嶺小学校との授業を、スカイプで繋いで行いました。
カナダの子どもたちにとってもそうなんですが、世界中に住む自分と同い年の子どもたちと触れ合うということはなかなかあの年代ではないと思うんですよ。やっぱり子どもたちがいろいろなものに興味を持って学びたいって思っている時に、実際に会話できて、分からないことを質問して答えが返ってくるという経験がいろいろな可能性に繋がっていくと思います。
子どもたちが本当に知りたいからもっと勉強しようという気持ちが応援できたら一番良いなあと思います。本当に今回バンクーバーで貴重な機会をもらったなと思っています。
西川 昌徳 (にしかわ まさのり)
生年月日:1983年6月15日
出身地:兵庫県姫路市
仕 事:自転車世界一周、ボランティアコーディネーター、
スカイプ交流会授業、講演
スポンサー:モンベル・OGK・オリンパス・ソフトバンク他