カナダに最初にやって来た日本人についてはさまざまな説があるが、比較的明確なのは1877年に上陸したとされる永野萬蔵だ。それ以来、大量の鮭が遡上してくるフレーザー川河口のスティーブストンに、和歌山県の三尾村から漁民たちがやってきたのを始め、製材所や鉱山などで働く日本人が増加し、19世紀末にはすでに3500人を超えていた。当時製材所の最大手だったヘイスティング製材所で働いていた日本人たちが、オッペンハイマー公園を中心としたパウエル街やアレキサンダー街の下宿屋などに集まって住むようになり、やがて日本人町「リトルトーキョー」に発展していく。

 

当時のパウエル街は上下水道も完備し、市電も行き来する活気のあるエリアだった。日本から輸入された食品や雑貨を売る店はもちろん、浄土真宗の寺院、日本語学校、柔道場や日本風の銭湯まで並んでいた。1887年には『バンクーバー週報』という日本語の週刊新聞が発行され、1889年に日本領事館も設置された。オッペンハイマー公園は、シニア・アマチュアリーグでチャンピオンに輝いた「バンクーバー朝日野球チーム」のホームグラウンドでもあった。

 

 

しかし、その賑わいも第二次世界大戦が始まるやいなや、突然中断されてしまう。カナダの安全を脅かすという理由で、西海岸に住んでいた日系人およそ2万2000人は、財産を没収された上、海岸線から少なくとも100マイル(約160km)離れた内陸に強制移動させられたのだ。当時パウエル街に住んでいた約8400人の人びとも、小さな手荷物を持つことを許されただけで移動して行かなければならなかった。なお、この命令はカナダ生まれの日系人二世たちにも容赦なく執行された。  もちろん、この命令に国防上の意味などほとんどなく、実際は深い人種差別に根差したものだった。ブリティッシュ・コロンビア(BC)州政府は第二次大戦が始まる以前から、「白人の国」を脅かすものとしてアジア系の人びとがBC州に定着しないよう、さまざまな法律を制定していた。その最大のものが選挙権を持つことを否定することだった。この法律はカナダ生まれの人や、カナダに帰化した人にも適用された。選挙権の否定は専門職に就くこともできないことにも繋がっていた。専門職に就くためには「21歳までに投票者リストに記載されていること」という条件があったからだ。これらの行政処置は、漁業許可の制限など、さまざまな分野に広がっていた。しかし、こうした極めて不利な状況下にあっても、持前の努力と忍耐力で生活の基盤を固めて行く日系人の姿を苦々しく思う「白人の国」の支持者たちにとって、第二次世界大戦の勃発は「日本人問題」を解決する正に好機だったと言えるだろう。

 

 

壊滅的な打撃を受けたパウエル街の日系コミュニティは、戦争が終わった後もかつての繁栄を取り戻すことはできなかった。カナダで生きていくためにはカナダ社会(すなわち白人の社会)に順応し、同化していくことが必要だと考える日系人も少なくなかった。それでもオッペンハイマー公園の周辺では、日本語学校や仏教会、数軒の日本食レストランや食料品店が、かつての「リトルトーキョー」の面影を伝えていた。  しかし、60年代から70年代にかけて、主として日系三世の若者たちの中から、この「同化・順応」に疑問を持つ人びとが現れてきた。彼らは「日系」という自己のアイデンティティの意味を模索し、一世や二世の多くが口を閉ざしがちだった「日系人の歴史」に関心を持つようになっていった。それは、1949年まで続いたさまざまな政策や法律が人種差別から発しただけの、根拠のないものであり、日系人総移動と強制収容は明らかな人権侵害の問題であると気づく過程でもあった。この流れの中で、永野萬蔵のカナダ上陸から100年目の1977年に向け、日系カナダ人百年祭プロジェクトがたちあげられた。このプロジェクトには戦後移民してきた「新一世」も数多く参加していた。

 

こうして、日系人の歴史に深いかかわりのあるパウエル街のオッペンハイマー公園で日系カナダ人百年祭が催され、以来、毎年同じ場所でパウエル祭が行われている。パウエル街に集うことは、日系人にとって重要なばかりでなく、人種差別、戦争、人権と政治政策の問題など、カナダや世界全体にとっても貴重な教訓を思い出す機会でもある。パウエル祭がきっかけとなり、かつてここにあった「リトルトーキョー」の歴史、そして今日のパウエル街周辺の社会状況などに関心を持ってくれる人が増えることも大きな意義があるだろう。

 

 

 

パウエル祭は日本の祭の「真似」ではなく、日系人が140年に渡って築いてきた自らの文化とアイデンティティの成長を祝う場だ。パウエル祭は、もちろんどなたでも大歓迎だが、とりわけ日本からの留学生やワーキングホリディ、仕事や観光で滞在中の方々に、日本から渡ってきた「種子」が、カナダの土壌で大きく開いた「花」を楽しんでほしい、今年も、8月3日、4日、ぜひオッペンハイマー公園へ!

 

(元パウエル祭アーティスティック・ディレクター 宮田麻未)

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