2017年12月7日 第49号

「人として成長したい、人と触れ合いたい」——そう願い、走ったカナダ。旅を終えた21歳の志堅原功大さんには確かな収穫の手応えがあった。

 

マニトバ州にて。「出身の沖縄ではちゃんとした湖はないので感激しました!」

 

沖縄での大学を1年間休学して、カナダにやってきたのは2017年4月。6月下旬にカナダ横断を決意。そして同年8月1日にバンクーバーを出発後、10月2日トロントに到着。その行程のほとんどを自転車で走破した。その旅で体験したこと、感じたこと。そこには自分の生き方を探す人たちへのヒントが詰まっている。

フェイスブックへの投稿から
8月14日 レイク・ルイーズからロッキー山脈越え。身体的にも気持ち的にもきつくなってきて、心が折れそうになりました。しかしたくさんの人に会い、優しさをもらい、前進しています!
8月21日 カルガリーから毎日100km近く走り続けて、疲労で足も少し痛くなり、リジャイナの手前で自転車が壊れてしまった。しかも、壊れた場所が小さな町で、リジャイナまで行かないと自転車屋がなく、バスのチケットを買うと3日後しかなく、仕方なく待っていると、公園で出会ったセラーノが家に泊めさせてくれました。

 

 旅の日記を時々写真とともに、フェイスブックに投稿。仲間から声援をもらいながら東へと進んでいった。そして63日間のカナダ横断の旅を終えた功大さんに話を聞いた。

—そもそもカナダに来た動機は何でしたか?
 留学したくて東京のカナダフェアに行って、英語学校の人に話を聞いたんです。学生がカナダで英語を学ぶだけでなく、野球のコーチを体験したという話が印象的でした。話を聞かせてくれたサミー高橋さんの人間力にも惹かれて、自分もそういう人間力を伸ばしたいと思ってカナダ行きを決めました。

—過去にも自転車旅行を経験していたのですか?
 実は自転車は普通に乗る程度でした。でもカナダでたくさんの人と知り合いたいと思っていた時、自転車でカナダ横断をした学生を知っているサミーさんから「君にも合っているんじゃないか?」と背中を押されて、やってみると決めました。

—出発前の周囲の声は?
 ロッキー山脈を越えるのは死にに行くようなものだと忠告がありました。でもカナダ横断を決めてから出発までの1カ月ちょっとの間、ジムでトレーニングもしたし、直前にはウイスラー方面へ走る練習をして、これなら毎日繰り返せると感じたので、不安はあったけど大丈夫だと思いました。

—いざ走り出してみてどうでしたか?
 旅の目的は、人との出会いや自分の成長のためだったのに、旅の初めは、ただ自転車に乗っている時間ばかりで気持ちが萎えそうになりました。
 ホープ辺りから山火事の煙で前がよく見えなかったし、そんな煙った空気を吸いながら走るのは身体によくないと思って、カムループスまでバスに乗ることにして、バスの出発時間を待っていた時に、ある家族に声をかけられました。その家族はサスカチワンにキャンピングカーで帰るところで、日本人の奥さんがおにぎりをくれたり、「サスカチワンに来たら家に寄って。洗濯やシャワーのためだけでも」と、言ってくれたりして元気が出てきました。

—いい人に出会いましたね。旅で一番大変だったのはどんなことでしたか?
 炎天下で走ること、強い向かい風、寒い雨の日も辛かったです。景色が変わらない退屈なところも、とにかく時間が過ぎるのを待ちながら走りました。
 パンクした時は、パンクの箇所を見つけるために、水の入ったバケツに入れたかったけれど、辺りに水などなく修理ができなくて困りました。目的の町まであと6キロもあって、疲れていたので、パンクしたまま乗り続けていたら、自転車のホイールが歪んで乗れなくなってしまって……。

—それで日記に書いていた自転車店のある町に行くために三日もバスを待つことになったんですね。
 はい。水がないだけで、こんなに不便なのかと思いました。

—食事はどうしていましたか?
 店が近くにないところでは、袋入りのラーメンか米だけで三食を過ごすことも多かったです。携帯用コンロを持っていたので、それで調理して食べました。

—おかずはなく、ラーメンだけで1日100キロも走ったんですか?
 消費する分と合わないですよね。それで5キロ痩せました。

—宿泊はどのように?
 2割がモーテル、7割がキャンプ、1割が野宿だったり、マクドナルドで一晩過ごしたりでした。インターネットに旅人を泊まらせてくれる人たちが情報を載せていて、その人たちの家にも泊めてもらいました。大学の司書の方やラジオのパーソナリティーだった方、バンクーバーオリンピックで聖火ランナーを経験した方などで、いろんな話を聞くことができました。

—その人たちは、どんな気持ちで宿を提供していると感じましたか?
 自分のような旅人と話をすることを楽しみにしているようでした。食事も一緒に用意してくれて、車で町の観光に連れていってくれることもありました。

—とても親切にしてくれたんですね。
 普通の人からもいろいろ親切にしてもらいました。風がものすごく強くて疲れた日、カルガリー近くの小さな町にようやくたどり着いて、ご飯を食べるところを探していたら、車に乗った親子が「お腹空いてる?」と話しかけてくれて。サブウェイ(サンドイッチ店)でご馳走してくれた後、車で町の中を案内してくれて、さらに自宅に招いて話を聞かせてくれました。18歳の息子さんもいたので、近しく思ってくれたのだと思います。こんなふうに泣きそうになるくらい辛かった後に、泣きそうになるくらいうれしかったりする日があって。「なんで見ず知らずの自分にこんなことしてくれるの?」って思いました。見習わないといけない。自分もそういうことのできる人になりたいと思いました。

—心からそう思える体験は貴重ですね。
 もう毎日、次の目的地のこと、明日のご飯はどうしようとか、生きることで精一杯で。寝床に困った時もあったし。時間はあったんだけど、何も考えなくていい時間がなかったんです。そうしていたら、今まで生活してきたのが当たり前じゃなかったんだって。食べ物がすぐ買えることも、誰かが提供してくれるからあることであって。周りに支えられてたんだってわかって。旅を通して、なおさら友達とか周りに感謝するようになりましたね。

—横断を終えてどんな気持ちですか?
 カナダは治安もいいし、このくらいのチャレンジで調子に乗っていちゃいけないなと。でも、この横断をしてから周りの反応が違っていて。人間力って、やっぱり結果がないと付いてこないのかなと。
 旅の道中で出会った日本の中学校の先生から「生徒たちに話をしてほしい」と頼まれました。それで短い時間でしたが、スカイプを通じて三宅島の中学校の生徒たちに旅の話をしました。そんなことを頼まれたのも、自転車で旅をしたおかげだと思いました。

—将来の夢は?
 特別にやりたいことがなかったんですけど、シェアハウスのマネージャーが自由に生きている姿を見て、自分も古民家で自分らしいテーマのあるシェアハウスをやりたくなってきました。
 それと、自分は沖縄で米軍の無料の英語教室に参加していたんですが、みんな米軍基地反対とかいろんな思いはあるけれど、せっかくあるんだから、地元の高校生たちに、ぜひ国際交流の機会として生かしたらいいよと、紹介していきたい気持ちも出てきました。  

  

 バンクーバーでは得意のバレーボールを生かして、コミュニティーセンターのクラスなどで、いろんな年代や職業の人とも知り合いになったという功大さん。11月からはマイナス30度は普通というアルバータ州ジャスパーで働くことにチャレンジしている。

(取材 平野香利 写真提供 志堅原功大さん)

 

カナダ横断後にバンクーバー市内のカフェで(写真 平野香利)

 

ホープが近くになってくると、煙が立ちこめてきた

 

バンフ到着!

 

キャンプ地での食事。ご飯にビーフジャーキー

 

レイクルイーズに行く途中、ロッキー山脈地域で最も坂がきつかったところ。でも景色は最高!

 

カルガリーを出てからの道のり。果てしなく草原が広がる景色に気が遠くなる

 

レジャイナで宿泊を提供してくれた家族が、景色のいいスポットへ案内してくれた

 

サドベリーからの道で初めてゴール地点トロントの文字を目にしてうれしい気持ちに

 

 

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。