2016年12月22日 第52号

東京の女子高生・市野亜李亜の家族は皆、殺し屋。しかもやり方は猟奇的。ある日、亜李亜は部屋で惨殺された兄を見つけるが警察は呼べない。その翌日、母も姿を消す。父に疑いを向ける亜李亜に、父はポーカーの勝負を持ちかける。配られたカードは「QJKJQ」—— 。

 

「オタクの聖地、中野で撮影しました」と佐藤究さん(撮影 尾崎和博さん) 

 

 推理作家への登竜門として知られる江戸川乱歩賞。第62回の応募作品380編の中から選ばれた『QJKJQ』。個人の罪、人間の原罪を知的かつ多層的に描き、思いもよらぬ展開へと導く。その手法は選考人である著名作家陣をうならせた。

 本作を生んだ佐藤究さん(東京在住)は、バンクーバー在住で日本糸東流空手道カナダ会長の佐藤明さんと親戚関係にある。その縁から本紙はインタビューで佐藤さんの思考をのぞき見るチャンスを得た。

江戸川乱歩賞を受賞の連絡を受けた時のことを聞かせてください。

 候補者は、最終選考日に「電話に出られる状態」を命じられますので、だいたい自宅待機になります。  僕はオーディオの前で、マイルス・デイビスのアルバム 『Sorcerer』を聞きつつ、シガーを吹かして、のんびりすごしていました。受賞を知らせる電話へのリアクションですが、あまりにも普通に「はあ、そうですか」と答えたので、編集者さんに「大丈夫ですか?」と心配されましたね。呆然としていると思われたようで。

 バンクーバー在住の僕の叔父は、世界中で糸東流の空手を教えていますが、空手道の「勝っても騒がない」という感覚は、僕の中にもあります。共に競った相手への礼儀もあるわけですし、何より僕は作家生活の下積みが長いので、小説の場合、読者の皆様に届くかどうかが大事ですから。選考委員に褒めていただいたとしても、読者の反応で手応えを確かめるべきです。

有栖川有栖選考委員から「平成の『ドグラ・マグラ』」という評を受けたことに、どんな感想を持っていますか?

 僕の出生地は福岡県福岡市です。その地の生んだ最高の小説家である夢野久作の代表作、『ドグラ・マグラ』にたとえられたことは、身に余る光栄でした。日本ではまだまだ評価が低いように思いますが、例えばイギリスの作家デイビッド・ピース氏などは、夢野久作に憧れて日本に移り住んだほどのファンであり、『ドグラ・マグラ』の名は、海を越えたミステリーのブランドネームとも言えます。それを得体の知れない書き手に与えて世に送りだそうという、有栖川先生の心の広さ、温かさ、探偵文学への熱意に、とても心打たれました。

小説を書くという膨大な時間と労力を投じるプロセスの中で、一番好きなところ、そして一番苦労する点は?

 「好きなところと苦労するところ」は密接にからみ合って、切り離しがたいように思います。言ってみれば「好きとも苦労とも呼べない」深みまで降りていったところに、フィクションを真夜中——あるいは明け方——の時を費やして、ひたすら書き続けることのやりがいがあるのではないでしょうか。どういうことかと言うと、作家レイモンド・カーヴァーは「登場人物に責任を持つように」と創作クラスの生徒に教えていましたが、まさにその意味で、書き手は世界中でただ一人、登場人物の「声」をあずかっているわけです。彼もしくは彼女の痛み、悲しみ、喜びを誰かに伝えるのは、書いている自分しか存在しません。大変な役目です。けれども、毎日もがきながら登場人物の魂と向き合っているうちに、なぜか自分自身もタフになり、現実の問題を乗り越えていくようになります。「なんだ、これくらい。あいつに比べたらたいしたことないじゃないか」という風にです。まったく奇妙ですね。

どんな思いが『QJKJQ』を形作っていったのか聞かせてください。

佐藤さんは受賞後のインタビューで「ずっと追いかけているテーマは人間の暴力性」であり、人間の生の根源にある暴力性を解き明かして、小説を通じて生の力に転換していきたいと語っていますね。その思いの背景にある、印象的な社会事件を挙げることは可能ですか?

 歴史上の人間の営みは、実は単純で、「暴力衝動を違うものに変えようとする試み」、ただそれだけだと思います。それを宗教とか科学、文明とか知性と呼んだりする。昔の犯罪者はいきなり町の広場で火あぶりだったのに、そこへ司法の裁判が導入された、とか。それだけ、僕らの世界がすでに暴力的だということですね。

 フィクションの世界では、暴力をスタイリッシュな「表現」に高めることが、「暴力を違うものに変える」ことにつながっています。

 個人的に印象的な事件といえば、やはり2011年3月11日の東日本大震災と、津波が原因で起きた東京電力の原発事故になります。

 自然と人工物がもたらした天文学的なスケールの災害でした。僕は新宿で大きな揺れを経験して、数日後には電力不足で真っ暗になった歌舞伎町を歩きました。被ばくを恐れて、東京から脱出する人が後を絶ちませんでした。

 あの時、すさまじい津波の破壊力や、黒煙を吐く原発の映像をニュース番組で見続けたわけですが、そういう日常があると、例えば「犯人は誰だ?」というミステリー作品などは、クラシックなものは別として、僕にとって急に色あせちゃったんです。同じ人は多いと思います。よっぽどの衝撃がないと読む気もしないし、書く気もしない。しかも「人間とは何か」について、今一度考え直さなくては、やりきれない。そういう思いが『QJKJQ』を形作ったのではと思います。

小説執筆への取り組み方を教えてください。

 長編を書くにあたっては、必ず「ゲシュタルト・ブック」を作ります。A4サイズのキャンパスノートに、とにかく切り貼りをしていく。映画などで、捜査から外された刑事が、自宅の壁を、独自に集めた事件記事で埋め尽くしたりするでしょう? あれをノートにやるんです。構想する小説の内容に似ている記事の切り抜き、広告、科学書の1ページ、出てくる主人公が好きな絵、CDジャケット、とにかく何でも貼りつけます。

 そうして出来上がったノートを何度となく眺めるうち、ばらばらの要素が一つにまとまって、「これは現実だ」という意識が芽生えてきます。これがゲシュタルトです。このゲシュタルトが本人の中で強まっていると、他者をフィクションの中に引きこむことができます。

これは架空の設定なのか? 実際に存在するのか? そのどちらとも思える仕掛けが絶妙だと思いました。こうしたシャープなアイディアを持つために、日頃どんな意識で暮らしていますか? 

 たまにエスカレーターで前に乗った人の背中を見て、その人がどんな性格で、どんな生活をしているかを一瞬で考えたりします。髪型、服の色、バッグの種類、靴から推理する。むろん答えを尋ねたりはしませんが(笑)、人物描写のトレーニングにはなります。僕はこの前、 居酒屋で知らない若者に「長距離トラックの運転手ですか?」と聞かれました。そう見えるのかな(笑)。

 視点の持ち方で言えば、他国のスパイになったつもりで1日を過ごしてみればいいんです。すると埋もれていた日常の光景が、実にさまざまな情報を送ってくるのがわかります。何が流行っているのか? なぜ流行っているのか? 個人だけでなく、社会全体が見ている夢があります。これはバンクーバー在住の日本の皆様には、当たり前の感覚かもしれませんね。言語もトップニュースの種類もすでに日本とちがう環境におられるわけですし。

 また、マジシャンや特殊部隊についてのノンフィクションも参考になります。彼らにとっては「ありえないことを実現させる」のが普段の仕事なので。

生きている間にこんな作品を生み出したい、という思いは?

 人類の無意識に関するテーマで書かれた、世界中で読まれるスリラーです。と言っても、これは今書いているやつなんですが。毎回遺作のつもりでやっています。

 書き手のチャレンジとして興味があるのは、アメリカ探偵作家クラブの「エドガー・アラン・ポー賞」翻訳部門、そこへ日本人としてノミネートされることですね。日本国内の賞よりもこっちのほうが面白いし、スケールもはるかに大きい。英語圏であるバンクーバーにお住まいの皆様のお知恵もぜひお借りしたいと思っています。

(取材 平野 香利)

 

佐藤究(さとう・きわむ)さん プロフィール

2004年に純文学作品『サージウスの死神』(佐藤憲胤名義)で第47回群像新人文学賞優秀作に入選し、2005年書籍化。2009年『ソードリッカー』刊行。『QJKJQ』は犬胤究(けんいんきわむ)のペンネームで応募。今回の受賞直後に、日本推理作家協会理事であり、空手師範の今野敏さんより「字が難しいと売れないから、『佐藤究』にしなさい」と助言を受けた。「キワム」の響きには「キワモノ」の意味を込めて、「キュウ」と読めば、好きなジョン・レノンの曲『レボリューション9』に通じるとして、現在は佐藤究を名乗っている。気分転換には音楽鑑賞とプロレス観戦。

 

人間の原罪をえぐりだす作品『QJKJQ』 

 

趣味のプロレス観戦とからめたと思われる、キン肉マンとのツーショット(撮影 尾崎和博さん)  

 

ゲシュタルト・ブックに資料を切り貼りしていくという(写真提供 佐藤究さん) 

 

インタビュー回答中に出てくる佐藤さんのゲシュタルト・ブック(写真提供 佐藤究さん) 

 

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。