2016年11月3日 第45号
〜着物を通して日本の古き美と粋を〜
10月22日から1月9日まで、元ビクターの歌手、市丸の着物展From Geisha to Diva : The Kimonos of Ichimaru『芸者から歌姫』がウィスラーのオデン美術館で開催中だ。 ビクトリア美術館所蔵の着物20点とかつらや日常品に加え、新たにオデン美術館が初公開する4点の着物や帯ほか。日本の古き美と粋、芸者という未知の世界と市丸の物語が着物を通して描かれる。
振袖は本来未婚女性の象徴だが、芸者や舞台芸人の世界ではその規則はない。右の着物はシャクヤク、桐、桜ほか金糸で不死鳥が描かれ、裏地の一部には綸子(りんず)が使われた重みのある一着
芸者の役割り
この展示が初めて開催されたのはビクトリア博物館で、2001年にさかのぼる。おりしも1997年にアメリカ人作家アーサー・ゴールデンの小説『メモリー・オブ・ゲイシャ』がミリオンセラーとなったあとだった。芸者への興味が高まる中、注目をあびたこの展示は、以後カナダを横断してアメリカやヨーロッパへも渡った。その間、小説は2005年に映画化され、日本では『SAYURI』として公開されている。
「芸者というのは幼いころから芸事に励み、芸術や政治に関する話の相手もできなければなりません。さらに歌を詠んだり書道や茶道をたしなんだり。芸者は娼婦なのかと聞かれることがありますが、1700年代の日本社会で芸者は広い役割りを持った一目置かれる存在であったわけです。
着物を見れば、その芸者の質の高さというものがわかります。そういう背景を感じ取っていただければと思います」とビクトリア博物館アジア美術担当キュレーターで、今回オデン美術館での展示を監修したバリー・ティルさん。
俳優チャップリンが市丸をお座敷に呼んだことなど、数々のエピソードを知るティルさん。スティーブン・スピルバーグ監督が市丸の着物を借りたいと依頼したそうだが、サンフランシスコでの展示に貸し出していたため実現しなかったという。
着物が語る
オデン美術館の長く美しい渡り廊下を越えて2階に上がると、色彩豊かな着物が待っていた。まずその小ささに驚く。襟を抜きすらりとした風姿の市丸だが、その身長は約142センチ。小柄な人だったのだ。
金糸や刺繍、絞りがほどこされた着物は、LPレコードの表紙で着ているものと同じだ。訪問着に描かれた柳の枝と橋は市丸が芸を磨いた芸者街『柳橋』、つばめの模様はヒット曲『濡れつばめ』など、まさに着物が市丸の人生と芸歴を表わしている。
掛け軸には黒い絽の引き着をまとった美人画。市丸の後見人である鈴木フミさんが唐沢良子さんを通して贈呈したもので、日本画家の小早川清が好んで市丸を描いた作品のひとつだ。うちわを持つ指先とやわらかそうな手首、うつむき加減のしぐさが妖艶さをかもし出している。
「BC州のアートだけでなく季節を通した着物の美を、世界からウィスラーを訪れる観光客のみなさんにも紹介したい」とオデン美術館のチーフ・キュレーター、ダリン・マーテンスさん。かつら、かんざし、草履やひじかけなどの生活品がウィンドーケースの中で歴史を物語る。
芸者から歌姫
市丸とは、どんな女性だったのだろうか。
1906年(明治39年)に長野県で生まれ、生活苦から奉公に出され、16歳のときに浅間温泉で芸者見習いとなった。お座敷で客に求められた長唄を知らず悔しい思いをしたことから19歳で単身上京して三味線を習い、芸に励んで浅草で芸者になった。
レコード産業の発達とともにその美しい声を見いだされビクターにスカウトされた市丸は、昭和6年『花嫁東京』で歌謡界デビューし、同年『ちゃっきり節』が全国的な大ヒットに。『天龍下れば』『濡れつばめ』など数々のヒットほか、戦後は時代の波に合わせたいと市丸の依頼で服部良一が作曲した『三味線ブギウギ』で脚光をあびた。
歌謡曲のほかに日本舞踊に関する唄を数百曲ほど唄っており、1997年に91歳で亡くなるまで66年の歌手生活で吹き込んだ曲はのべ1700曲にのぼる。
市丸の生き方
2001年にビクトリア博物館での最初の着物展をスポンサーしたのがマイケル・オデンさんと唐沢良子さん夫妻だった。もともと唐沢さんが鈴木さんと知人であることから着物をひきとり、ビクトリア博物館に寄贈したのがきっかけだった。これらの着物は長い年月を経て今年3月にオープンしたオデン美術館での公開に至ったことから、唐沢さんには深い思い入れがある。
「管理している鈴木さんが洗い張りや陰干しなどして保管していますので、コンディションが最高です。数十年たった今も流行に流されることなく、一流をまっとうしている職人の技術の素晴らしさを感じています」と話す唐沢さんは、秋の訪日で京都に行って着物について学び、新たに市丸の着物4点と帯を持ち帰った。
「私がなぜ市丸さんの展示をオデン美術館に持ってきたかと言いますと、今も昔も貧困から抜け出て独立して生きることはかなりの努力が必要です。市丸さんは自分の人生に与えられた宿命の中で自分を成長させました。
昭和の星といわれ惜しまれた美空ひばり、石原裕次郎、高倉健、渥美清たちは庶民に希望と笑い、幸せや憧れを与えてくれました。市丸さんも古き良き日本を代表した人で『美と粋』を後世に残していきました。その美と粋の世界を着物を通して皆さまに知っていただければと企画したのです」
『芸者から歌姫』の展示は来年1月9日まで開催される。
From Geisha to Diva: The Kimonos of Ichimaru
2017年1月9日まで開催
Audain Art Museum
4350 Blackcomb Way, Whistler, BC, V0N 1B4
入場料:大人$18、16歳以下は無料
10AM〜5PM (火曜日休館)
電話 (604) 962-0413
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audainartmuseum.com/
(取材 ルイーズ 阿久沢)
ビクトリア博物館アジア美術担当キュレーターで、今回オデン美術館での展示を監修したバリー・ティルさん
LPレコード『市丸十八番集』と、表紙で着ているのと同じ着物
LPレコード『市丸十八番集』と、表紙で着ているのと同じ着物
孔雀の羽根が紺地に栄える訪問着
日本画家の小早川清が好んで市丸を描いた作品のひとつ。うちわを持つ指先とやわらかそうな手首、うつむき加減のしぐさが妖艶さをかもし出している
(左から)オデン美術館のチーフ・キュレーター、ダリン・マーテンスさんと、創立者の唐沢良子さん・マイケル・オデンさん夫妻
涼しげな絽の帯には銀糸で織り込まれた書が
市丸が使っていたかつら。日本人の毛に、こしがあると言われた中国人の毛を混ぜてある