「本当に日系コミュニティ、そして、キャップス関係者に感謝ですね」。3年間を振り返って、最初に出てきた言葉は、ファンへの、サッカー関係者への感謝の言葉だった。
バンクーバー・ホワイトキャップスでDF/MFとして活躍してきた平野孝選手。今季終了後、契約更新はなくチームを離れることが決定、バンクーバーでの選手生活に終止符を打った。
入団は2008年。北米挑戦への足掛かりとして、まず、キャップスで練習参加してというつもりが、チームから正式オファーを受け、バンクーバーでプレーすることになったという。そんな偶然から始まった、このバンクーバーでの3年間を振り返ってもらった。
■キャップスの選手として、一番印象に残っていることは?
「3年間全てですね。3年前、初めは、ほんとは違うチームでトライアウトを受ける予定で、そのために、プロチームでクオリティの高いトレーニングが受けられると思ったキャップスに練習参加の打診したんです。一応、自分の経歴とかJリーグ時代のDVDとかを送って。そしたら、監督やGMがすごく僕に興味を持ってくれて、トライアウトとして来てほしいと。
『じゃあ、わかりました』と。トライアウトとして行くけれども、受けてみて、ここではやりがいがないと感じたら断りますという話をして、バンクーバー入りした、というのが経緯です。
監督がすごく良かったというのと、チームが家族を含めて全面的なサポートを約束してくれたこと、そして、町がすごく日本人に合っているということ、いろんなタイミングと環境で、ここでプレーするのも自分にやりがいがあることだと感じました。監督も『ぜひうちでやってほしい』と言ってくれたし、自分を必要としてくれているということが伝わってきたので、ここでやる価値があるなと。そうしているうちに、あっと言う間に3年が過ぎてしまった感じです」
■海外のチームとJリーグと、プレーに違いはありますか?
「プレーについては、自分は常に向上したいと思っていたし、常にうまくなりたいと思っていたから、試合をやるたびに次の課題も見つかるし、こうしたい、ああしたいというのが、自分の中で追求心を持ってやっていました。
だから、そこは海外だからとか、日本だからとかというのは実は関係ないですね、僕はね。海外でやってみたいというのではなくて、自分がやりがいがあるところで常に向上できる環境でやりたいと思っていたから、そんなに海外にこだわりはないです。ただ、海外の方が、自分を見つめられる時間が一日の中で長いし、日本と違っていろんなものも見えるし、今回こっちに来て、こういう選択肢を選ぶのも大事なことなんだなと思いました」
海外のチームでプレーしたのは初めてだったと平野選手。Jリーグでは7チームに所属し、日本が初めて出場を果たした1998年W杯フランス大会では、日本代表として出場した。
■自分がキャップスにどういう形で貢献できたと思いますか?
「自分じゃ分からないですけどね」(笑)
■昨季の開幕戦で、ボブ・レナデゥージ(当時GM、現社長)に平野選手がチームにいる意味を聞いた時に、「練習の時からサッカーに対する彼の姿勢が他の若い選手の手本になるので、そういうところを若い選手に見てもらいたいし、彼のいいところだ」という風に評価をしていましたが。
「もう18年サッカーをやってきているわけで、そういうことは100パーセント自覚しています。今までの経験や、どういう姿勢がそのサッカー選手に合うかということを、しっかりとフィールド見せなくてはいけないと思っています。当然それは意識してやっていました。
そういう意味では、正直キャップスの選手は欠ける部分はありました。プロとして何をやるかを知らない選手が多かった。だからと言ってあまり(口に出して)言いたくないんですよ、そう言うのは。自分で探しだすもんだし、見つけ出すもんだし、聞くもんだと思っているので。自分もそうしてきたから。フィールドの上でそれを見せて、聞いてくる選手には全て答える。態度で示すことによって、若い選手がそれを感じてくれればいいなっと思って、プレーしてきてきました」
■チームがMLSに決まって、いわばチームの変換期に在籍したわけですが、その変化は感じましたか?
「この3年間でだいぶ変わったと思いますよ。もしこれが、3年前のキャップスだったら、MLSに行けないと思う。プロ意識がない選手が多かったから。もちろん、選手が(移籍などで)変わることによって(意識も)入れ替わるんだけれども、それは、選手もそうだし、きっとそういう選手を抱えてるフロントもそうだと思うんですよ。やっぱり、自分も含めてみんなで成長していったなというのは、すごくわかったし、選手の振る舞いだったり、練習の態度だったり、変わってきたというのは感じたし、フロント自体もMLSに向けて、変わってきたというのは感じました」
■今後について
「現役続行したいけど、正直わからないです。自分がやりたいたくても、やる場所が見つからないかもしれないし、それ以上にやりがいのあることを見つけられるかもしれないし。
10歳の頃からサッカーを始めて、26年間サッカーやってるんですよ。じゃあ、今引退して、これから第2の人生で、一般的に言えば、高校卒業して、大学卒業して、ポンと出た感じ。ある意味、社会人一年生ですよね。サッカー以外、できないです。無理ですよね(笑)。
サッカーに関わる仕事ができれば、嬉しいですよね」
■北米で選手として経験したことも良かったって言っていましたし、北米のサッカー環境も勉強しているみたいですが、日本のサッカーの環境を整えていくみたいな仕事もしたいのかなと感じたのですが。
「したいです、もちろん。日本のサッカー界のためにもしたいと思ってるし、プラス、選手のためにもできることは絶対あると思っているので。これまで自分が経験してきた18年のプロ生活の中で、考え方というのを若い選手と共有し合いながら、伝えることはできるんじゃないかなと思う。自分はJリーグ元年の時にプロになったので、ある意味Jリーグと一緒に成長して来たわけだし。
いろいろ頭の中では考えているけど、まだ整理はできていないです。でも、やりたいなと思います」
■バンクーバーに3年間いて、印象はどうでしたか?
「日本人にとっては最高でしょうね。こんな最高な街はないでしょうね。町もきれいだし、日本のモノはすべて手に入るし、食事に関したら全くストレスなく過ごすことができたから、それは感謝ですよね」
■3年間バンクーバーにいる間に、日系コミュニティとの関わりもあったと思いますが。
「いや~、支えられましたね。ほんとに感謝ですね」
■平野選手がキャップスに加入したことで、日本人の観客が格段に増えましたね。
「それはほんとにありがたいですよ。1年目、2年目と徐々に増えてきてくれて。今年は、TAKA'sファンクラブという会があって、そこで12席のシーズンチケットを買ってくれたんです。5000人の中の12席って少ないかもしれないですけど、僕にとってはすごくありがたいことで、もう、それをやってくれるって言うのがね、感謝でしたね。
すごくフィールドと近い席だったので、応援もすごく聞こえるし、それもありがたかった。応援してくれるって言うのは、選手にとっては最高のやりがいですから。
(球場以外でも)ありがたいことにいろんな人に会えて、サッカーというものに興味を持ってくれたというのは、ほんとにありがたい。サッカーを知らない人もたくさんいるし、全然ルールを知らないけど、スタジアムに行ってきたと言ってくれる人もいて、それがありがたいんですよ。遊びに来てくれることだけでも、それから何かきっかけができるかもしれない。嬉しかったですね」
■バンクーバーのファンに一言。
「3年間、まず、ほんとにありがとうございました。ほんと、みなさんのおかげで充実したバンクーバーでのサッカーライフを過ごせたし、日本人コミュニティがあるということで、よりバンクーバーの良さも教えてもらえたし、全ての面で感謝です。
これでキャップスは終わりですけど、何かの形でスポーツを通じて、バンクーバーで、日本人コミュニティとカナダと繋げるようなことを、やれたらいいなっと考えてるし、ちょっと約束したいなって言うくらい、今、その思いでいっぱいです。
すべてサポートしてもらいましたから、ほんとに感謝しています」
3年目の今年は、ケガに泣かされた。さらに、来季を見据えてチームが若返りを図ったため出場機会も減り、9月後半からは試合選手登録を抹消され、練習専属選手として、チームを支えた。それでも36歳のベテランから、サッカーへの、チームへの情熱は消えることはなかった。
インタビュー中、何度となく「感謝」という言葉が口をついて出てきた。ファンに対して、日系コミュニティに対して、そして、自分がサッカーに集中できるよう家族を含めて全面的にサポートしてくれたキャップスに対して。自分がこの地でサッカーができるのは、周りの人々のサポートがあったからこそという謙虚な気持ちが言葉の端々からにじみ出ていた。
そんな平野選手だからこそ、ファンも、コミュニティも、チームもサポートしたのだろう。
ホワイトキャップスは来季から、北米プロサッカー1部リーグのメジャー・リーグ・サッカー(MLS)に昇格する。本拠地もスワンガードからBCプレースへと移る。
平野選手は、「スポーツはスタジアムで見るのが一番面白い。自分はキャップス選手としては終わってしまったが、日系コミュニティの人達にはぜひこれからもキャップスを応援してもらいたい。そして日本人がサッカーに熱いところを見せてもらいたい」とメッセージを送った。
平野孝と、バンクーバーと、ホワイトキャップス。この関係は、来季以降、ますます良好に発展しそうな予感がする。
(取材 三島直美)