桜の塩漬けが可憐なマカロン。濃厚なダークチョコレートがたまらないオペラケーキ。抹茶ティラミスに、あんこがうれしいミニどらやき。 美しいデザートプレートを手がけるパティシエの史子・モレトンさんに話を聞いた。

 

パティシエの史子・モレトンさん。チョコレートでできたショーピースとともに

 

中学生のころからお菓子作り

 私は日本三景で知られる京都北部の天橋立近郊の田舎出身で、ティーンエージャーとしては、遊ぶところがない環境で育ったんです。それで中学生の頃の週末といえば、仲の良い友達と私の家に集まってクッキーやメロンパン、アンパン、パイ、ケーキやいろいろなスイーツを作って、家族や学校の先生、近所の人たちに食べてもらったりしていたのです。

 みんなが「おいしい、おいしい」って食べてくれるのがすごくうれしくてたまらなかったのを覚えています。

カナダで料理学校へ

 1999年にカナダに移民して、カナダに来たからには自分の好きな事を仕事にしようと考えました。でもコネはない、経験もない、英語も流暢に喋れない、自己主張もできない。ないないだらけで、これは料理の学校に行くしかないと思い、グランビルアイランドにあるPacific Institute of Culinary Arts (PICA)に行きました。

 その頃はお菓子の勉強をしようとはまったく思っていなかったので、料理の世界から入りました。

6カ月のコースで学んたこと

 その頃のPICAはまだ学校が創設されて2年めくらいで、インストラクターがほぼ全員フランス人。コテコテのフランス料理を忠実に学びました。

 最初はフランス語訛りの英語でまったく理解できず、私の英語力も低くて焦りましたが、クラスメートも素晴らしい人ばかりで休憩中にいろいろ説明してくれました。

 6カ月のコースで、最初の3カ月は毎日1時間くらいの講義を受けて、後の6時間は典型的なフランス料理の3コースを2人1組になって作って試食するというものでした。

 そのときにレストランの基本的なフランス・デザート(タルト、スフレ、シュークリーム、ブリュレ、ムース等)を毎日作ってフレンチデザートの基本を叩き込まれ、後々パティシエに転向したとき、役立ったのは言うまでもありません。

カナダと日本のスイーツ

 カナダのスイーツはあまりごちゃごちゃしていない、ストレート勝負なデザートだと思います。例えばパイ、クランブル、チョコレート・ケーキ、クリーム・ブリュレ、クッキーやブラウニーなど、あまり複雑でないはっきりとした味のものが多いと思います。そしてお客さまもムースよりケーキ系を好まれる傾向にあります。

 日本のデザートは繊細で、いろいろ手が混んでいて美しいと思います。とてもおいしいものもありますが、ごちゃごちゃしすぎて本来の素材が持つ美味しさが失われているものもあると思います。

職人としての免状

 PICAの最終実施試験のときに来ていた審査員のひとりがフェアモント・ホテルのエグゼクティブ・シェフで、試験中の私の仕事ぶりをとても気に入ってくれて、卒業後に彼のホテルで働かないかと仕事をオファーしてくださったのです。カナダに来てまだ1年も経っていない経験もない日本人の私をそんな風に拾ってくれて、今思えばとてもラッキーだったと思います。

 1年お世話になったあと、ターミナル・シティ・クラブという会員制のクラブに移り15年になります。そこでアプレンティスになり、1年に1回1カ月間バンクーバー・コミュニティ・カレッジ(VCC)のアプレンティスシップ・プログラムに3回通い、レッドシールというジャーニーマン(一人前の職人)としての免状を取得しました。

料理コンクールですべて手作り

 毎年その年のアプレンティスシップ・プログラム修了者からトップ10が選ばれ、Karl Shier Culinary Apprentice Competitionという料理のコンペティションに招待されます。2005年にそのコンペティションに出て、4時間で3コースを4皿ずつ作りました。

 審査員の気を引こうと、パスタ生地もブリオッシュもすべて手作りしました。暖かいブレッドプディングは審査員の皆さんにとても好評で「ほぼ完璧だが量が少ない。もっと食べたいのに!」とのコメントをいただき優勝しました。

 その翌日にカリフォルニアのワイナリーのデザート・コンペティションがあり、それにも優勝をしてしまいました。

パティシエへの道

 その頃はまだパティシエになろうと思う気持ちはそれほど強くなく、チョコレートのテンパリングとかパティシエの専門的な技術もまったくありませんでした。でも、そのデザート・コンペティションで審査員をしていた某ホテルの有名ペイストリー・シェフが仕事のあとに私の職場に来てくださって、チョコレートのテンパリングの仕方や、チョコレート・ワークの基本的なことを教えてくださいました。この方がカリナリー・チーム・カナダのコーチもされていたので、私を国際コンクールへと導いてくださったのです。

世界大会へ

 昨年の11月、ノバスコシア、トロント、ウィニペグ、バンクーバーからのシェフでチーム・カナダが結成され、国際カリナリー・コンペティションに臨みました。みんな普段の仕事が終わってからコンクールの練習をするので、職場の上司、同僚や家族の協力は欠かせないもので、体力や精神的にも厳しいときがありますが、ルクセンブルクへ行って金メダルを取れたときのチームとしての喜びはこの上ない感動です。

 代表のシェフが4人、ペイストリー・シェフがひとり(私)で、マネージャーやコーチ、サポートメンバーなど総勢15人くらいの大所帯です。サポートメンバーの影の力なくしては、良い結果も出せません。

 来年は4年に1度ドイツのエアフルトで開催される料理のオリンピックに、チーム・カナダのペイストリー・シェフとして出場します。

ポジティブにスイーツづくり

 現在はターミナル・シティ・クラブで働きながら、夜は日本レストラン『オクトパスガーデン』でデザートを作らせていただいてます。

 食べていただいた方に幸せな気持ちになっていただけるようなスイーツを作り続けていくことが私の目標です。そのためには、自分自身がいつもポジティブな姿勢でいることが大切だと思います。

(取材 ルイーズ阿久沢 / 写真提供 史子・モレトンさん)

 

史子・モレトン(Fumiko Moreton)

  京都府出身、1999年前夫の勉強に引率して来加。Pacific Institute of Culinary Arts (PICA)終了。2005年、Karl Shier カリナリー・アプレンティス・コンペティション優勝。第18回 Quadyワイン・デザートコンペティション優勝。2014年、チーム・カナダに入り国際カリナリー・コンペティションで金メダル。会員制クラブ『ターミナル・シティ・クラブ』エグゼクティブ・ペイストリーシェフ。『オクトパス・ガーデン』デザートシェフ。趣味は陶芸(最近はご無沙汰)、旅行、ウォーキング。

www.patissierfumi.com

 

コンペティション中の史子・モレトンさん(右側)

 

国際カリナリー・コンクールで作ったデザート。青りんごのムース、アップルタルト・タタン、姫りんごとクランベリーのセミフレッド

 

ホワイトチョコレートとラズベリームース

 

2014年の国際カリナリー・コンペティションにチーム・カナダのペイストリーシェフとして出場し金メダル受賞

 

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。