あらいさおり:静岡県出身。7歳で渡加後はサリー新井と名乗る。高校時代の楽団活動でクラリネットを演奏し始める。その後、UBCで音楽一般科、トロント大学で演奏科、UBC大学院で音楽演奏科を専攻。卒業後はBC州のカムループス・シンフォニー・オーケストラ(KSO)に入団。オカナガン、そして、プリンス・ジョージの交響楽団などでも演奏経験がある彼女は、現在はKSOで主要クラリネット奏者として活躍している。
カナダに移民した経験はどのようなものでしたか?
両親の決断により4歳下の妹と家族で私が5歳の時に一度BC州クランブルックに移住しました。その地域は日系家族が多かったので、まだ馴染み易かったのですが、一度日本に戻って7歳の時にカナダに移民してきた時は、その頃は白人が大多数のグレーター・バンクーバー地域に住むことになりました。
日本では園児の中では活発な方でしたが、英語が全く分からない環境に放り込まれて次第に内気になっていきました。幼い頃に太平洋を3度行き来した体験は、自分のアイデンティティーに大きな影響を与えたように感じます。1960年代のカナダでは日本人は目に見えてマイノリティーな存在でしたし、私はカナダにも日本にも属していないような感じがしていました。
いつ頃から音楽に興味を持ち始めましたか?
実はクラリネットに興味を持って9歳から1年くらい学校の音楽バンドの先生に指導を受けました。それから11歳の時にコキットラムで小林テレサ先生に師事して琴を習いました。クラリネットを本格的に演奏し出したのは、8年生の時でした。音楽バンドの指導者がクラリネット奏者だったことから、私も熱心にクラリネットを練習し、コンサートで演奏するようになりました。そして、今までは日本人として自分は目に見えてマイノリティーであると感じていましたが、バンドでみんなと一体になって演奏していると、自分をそれほど異国人であると感じなくなりました。
クラリネットの教育はどのように受けましたか?
高校を卒業してからUBCの音楽科に進みました。この時は一般的に音楽を学び、いずれは公立校の音楽教師をしながら演奏を続けたいと思っていました。そして、卒業後はトロント大学で演奏科に進学しました。その頃は自分が演奏者になりたいと思い始めていました。そして、UBCの大学院で演奏科を専攻した時は、Youth Music Centreで教えたり、ティーチングの経験も積んできていましたが、もはや学校の音楽の先生ではなく、自分の道は演奏家であると心が決まっていました。
オーケストラでの仕事はいかがでしたか?
グレーター・バンクーバーからKSOでクラリネット奏者の仕事を得てカムループスに移り住みました。演奏者として仕事を得てとても光栄でしたが、当時は年に6回のコンサートが予定されているだけの新しい楽団でした。そこで、オーケストラの仕事以外に楽器店や個人宅などでクラリネットを教えました。
現在の活動は?
学校の音楽教師であると共にKSOでトロンボーンを演奏している夫と出会い、結婚しました。そして、息子が生まれて、Music for Young Children©:http://www.myc.com/というプログラムで教え始めました。11歳までの児童対象の5年間で修了するプログラムです。キーボード、歌、ソルフェージュ、リズム、聴覚トレーニング、譜面読み、音楽理論、音楽の歴史、作曲を教えます。
これからの抱負をお聞かせ下さい。
オーケストラでの演奏と共にMusic for Young Children©の仕事でもとても忙しくしています。仕事は充実していますが、もし、もっと時間が取れたら息子と一緒の時間に当てたいです。管楽器奏者夫婦の一人息子ですが、彼はまだ管楽器は始めておらず、今はピアノを習っています。また、時間があったらクラリネットの練習にもっと時間を取りたいですね。
今の私は自分を日本にルーツのあるカナダ人であると感じています。そして、今日、私がこのようにあるのは、そのことに深く関係があるとも。私が音楽家として成功したのは日本人の勤勉さを実行してきたからに違いないのですから。
(取材 北風かんな)
2012年1月12日 2号掲載