大学生の福村じゅんさん(弊紙5月12日号掲載)が被災地でのボランティアを終えて帰国した。南三陸、陸前高田、気仙沼、仙台、多賀城など宮城県の被災地で過ごした2カ月間にたくさんの経験をしたじゅんさん。その中からいくつかのボランティア活動を紹介する。
[気仙沼] 遊び場をなくした子どもたち
数年前に母親を亡くしたじゅんさんは出発前、寂しい思いをしている子どもたちの相談にのったり一緒に遊んだりしたいと話していた。気仙沼の大谷地区『あそビーバー』は、公園や海も壊滅状態で、学校の校庭も仮設住宅で埋め尽くされて遊び場をなくした子どもたちのために、日本冒険遊び場づくり協会がプロジェクトと資金提供をして造った手作りの遊び場だ。ここに来る子どもたちの多くは被災した大谷小学校に通い、未だ残された瓦礫を目の当たりにしながら生活を送っている。
「多い日は一日で100人。毎日放課後“ただいま〜”と言って来る子も少なくありません。子どもたちは遊んでいると本当に元気でキラキラしています。みんなと一週間遊びまくって、最後は本当に感動的な別れでした」
[宮城県米山町] 津波被災2度目のおばあちゃん
東京災害ボランティアネットワークを通して行った米山町平筒沼(びょうどうぬま)のYouYou館という避難所では炊き出しに参加。被災者の皆さんとお茶とお菓子を食べながらの“おちゃっこ”で、いろいろな話も聞いた。その中に津波はこれで2度め、一番年上なのに一番元気なおばあちゃんがいた。
「チリ大地震後の津波では家や農地をすべて失ったけれど、幸い家族は2回とも無事だったそうです。今回もまた農家が流されてしまったのに、大豆の作り方や以前の地域の様子を楽しそうに話して“がんばっぺ”と言っていました。本当に生命力にあふれた素敵な人に会えたと思っています。3月の津波のことを話したときに見せたおばあちゃんの哀しげな顔を今でも思い出します。みんな複雑な思いを背負いながら復興に向けて頑張っていることが伝わってきました」
[南三陸] 被災者の写真洗浄
南三陸のボランティアセンターには、瓦礫の中から出てきた10万点以上の思い出の品が保管されている。その写真やアルバムなどを一つ一つ手作業で洗浄して、乾いた物を展示する。
「写真洗浄は根気のいる作業で本当に大変でした。ヘドロに覆われてフィルムの色が流れ出て、写真の半分以上が消えてしまっているものが多いです。それを水と筆で少しずつきれいにしていきました」
多い日は80人以上のボランティアが猛暑の中で黙々と作業をした。「感情移入をし過ぎないように気をつけていましたが、持ち主の人生が詰まったアルバムの写真を見ているとどうしても感情が入ってしまいました。私はひたすら、この写真の人がどこかで生きていてこの写真が届けばいいなと祈りながら作業をしていました」
被災地では言葉を失った
Youth For 3.11というNPO 団体で行った1週間は交通、飲食、宿泊がすべて手配されていた。そのほかは主に公民館やプレハブ、アパートの部屋などに宿泊。20人ほどで自炊した4週間は、合宿所のような楽しさだった。
「実際の被災地は何度見ても言葉を失ってしまいました。本当に映像だけでは伝わらない、考え深いものを感じました。5カ月たった8月の時点でも、まだ復興への道のりは厳しいままです。だんだん世間の関心も薄れていきますが“今何かをしたい”と言ってそれを行動に出す人が日本には何人もいることを知って感動しました」
SFU芸術学部演劇科2年生。将来の夢は世界中の被災地に行き、現地の子どもたちと一緒に劇をする劇団を立ち上げることだという。
(取材 ルイーズ阿久沢)
2011年9月22日 第39号 掲載