フリーランス・ビオラ奏者
瀧沢マーカスさん
ビオラとはどんな楽器なのか、マーカスさんのコンサートに行く前にはハッキリとイメージできなかった。ビオラについて尋ねると、「高音のバイオリンと低音のチェロの中間音の出る楽器で、大きさはバイオリンより大きい楽器なんです」とマーカスさん。2月24日にBC州バーノンのパフォーミング・アーツ・センターで催されたクラシック音楽のコンサート『モーニング・メロディーズ』シリーズでピアノとの二重奏に臨んだマーカスさんに話を聞いた。
ビオラ奏者の瀧沢マーカスさん
ビオラに進まれた道のりは?
私の父は神戸、母は東京からカナダに来てバンクーバーで知り合い結婚しました。長男として生まれた自分は3歳でバイオリンを習い始めました。弟はチェロ、妹はピアノと子どもたち全員音楽を習いました。現在、弟も妹も音楽家の道は選ばず、自分だけが演奏家に。中学時代はさまざまなバイオリンの競技会に出て受賞しましたが、学校から帰ってきたら練習とレッスン。遊ぶ暇がない青春時代でした。バイオリンの世界は子どもにとっても競争が激しく、勝ち抜いていかなければならないというプレッシャーは相当なもの。16歳でバイオリンを辞めたくなった時、ふとビオラを手にしてみたら演奏するのが楽しくて、演奏を続けたいと思い転向しました。
演奏家になるにはどのような過程がありましたか?
高校卒業後にバンクーバー・アカデミー・オブ・ミュージックに進学し学士を修得。1999年にカナダ・カウンシルのグラント、Eckhardt-Gramatte 国内音楽競技会、Irving M. Klein国際弦楽器協会の競技会で受賞し、2001年にNYのジュリアード音楽学校大学院のパフォーマンス科に入学しました。教授陣にはプロのコンサート演奏家も多く、音楽性は高いながらも、とてもユニークな校風でした。学校のオーケストラに入っていたので、カーネギーホールで演奏したことも。毎日練習と演奏会に明け暮れる大学院生活を卒業した後にフリーランス・ビオラ奏者として活動し始めました。
現在はどのように活動していますか?
『バンクーバー・オペラ・オーケストラ』のビオラのアシスタント・プリンシパルとして演奏しています。『バンクーバー交響楽団』は連絡を受けた時に出演しています。昨年は『ケルナー・ストリング・カルテット』に属して母校の『バンクーバー・アカデミー・オブ・ミュージック』で、また、夏の間はシェークスピア作品を公演する『バード・オン・ザ・ビーチ』で演奏しました。現代音楽の『ターニング・ポイント・アンサンブル』の設立メンバーとして、『アルマジロ・ストリング・カルテット』ではバイオリンとビオラ、また、ハープ、フルート、ビオラが演奏する『オニキス・トリオ』として演奏しています。演奏以外にコンピューターを駆使して作曲したり、ギター奏者にライブで作曲やアレンジしたり、大人や上級者のビオラ教授もしています。
日系二世のご自身をどう捉えていますか?
子どもの頃は日本語学校に通ったので3年生レベルまでの日本語は体得しました。両親は自分たち兄弟に英語で話しかけていたし、学校に入ってからの友人はカナダ人がほとんどだったこともあり、自分を日本にルーツのあるカナダ人だと認識しています。日本にはユースのオーケストラに入っていた時代に演奏旅行で行ったことがあります。滞在先の東京や熊本の楽しい思い出がたくさんあるので、今度は日本の文化や言葉を学んでから日本へ行ってみたいです。
今回のコンサートの選曲はドーランド、バッハ、ベートーベン、ブラームスから。以前にも二重奏をしたことがあるピアニストのサラ・ハーゲンさんとの息がぴったりと合った研ぎ澄まされたビオラの音色を聴かせてくれたマーカスさん。彼のこれからの活躍が楽しみである。
プロフィール:Marcus Hajime Takizawa。バンクーバー出身。3歳よりバイオリンを習い、10代にコンテストで幾多の賞を受賞。16歳でビオラに転向し、バンクーバー・アカデミー・オブ・ミュージックで学士号修得。1999年カナダ・カウンシルのグラント取得。2003年NYのジュリアード音楽学校大学院卒業。現在はフリーランス・ビオラ奏者としてバンクーバーを起点に活躍中。 http:www.marcustakizawa.com/
(取材 北風かんな 写真提供 瀧沢マーカスさん)