2019年6月27日 第26号
カナディアン・フットボール・リーグ(CFL)2019年シーズンが開幕した。バンクーバーに本拠地を置くBCライオンズは、6月15日BCプレースでウィニペグ・ブルーバマーズとの開幕戦を迎えた。
この開幕戦にこれまで40年間チームとともに歩んできた人がいなかった。設備道具マネージャーのケン・カトウ・カスヤさんだ。バンクーバー出身の日系3世。チームメートや関係者からは“Kato”を英語読みする「ケイトウ」と呼ばれ親しまれていた。
インタビュー中でも常に笑顔だったカスヤさん。2013年11月6日BCプレースで。Photo by Sam Maruyama
BCライオンズ一筋40年、選手たちにとっては何でも話せる親友だった
今年4月23日、突然の訃報が届いた。カスヤさんが急逝した。この日はBCライオンズだけではなく、CFL全体が悲しみに包まれた。
テレビやネットではカスヤさんを惜しむ声が多く聞かれた。BCライオンズ一筋に40年。ボールボーイから始まり、その後、設備道具マネージャーを任された。それ以上に、選手やスタッフにとっては何でも話せる親友のような存在だったと、多くの関係者がコメントを寄せた。
設備道具マネージャーとは、選手のユニフォームからヘルメット、ボール、用具などチームが使う道具機器のメンテナンスを行う仕事だ。選手が使う時には万全の状態で手渡す。用具に不備があっては選手のケガにもつながる。重要な役目の割には日の目を見ない縁の下の力持ち的存在。それでも「仕事は楽しい」と笑ったのが印象的だった。
13歳からライオンズに、チームは家族みたいな存在
カスヤさんにインタビューしたのは2013年11月だった。そのシーズンはライオンズ創設60周年の記念の年。優勝は逃したが、インタビューでは2011年の優勝のシーンを思い出しながら「あれは楽しかったね」と、うれしそうに話した。
仕事が好きで、チームが好きで、チームメートが好きで、リーグも好き。「スタッフも、選手も、いい人たちばかり。彼らのために働くのは楽しいし、私のこともよく気遣ってくれるし」。ずっと一緒にやってきて家族みたいな存在だった。ライオンズ一筋できて「他にできることがないから」と苦笑していたが、誰からでも慕われる、その人柄が伝わってきた。
日系3世で母親も兄弟、親戚も、ほとんどみんな日本語を話すが、本人は少し会話ができる程度と照れ笑いしていたことを思い出す。家族全員がフットボールファンで、特に母親は1980年から2008年まで、試合はよく理解していなかったけど、ほとんど欠かさず試合を見に行っていたと語っていた。
「これからもできる限りチームの一員として、この仕事をやっていきたいと思う」そう語っていたカスヤさん、BCプレースでの練習中に訪れたインタビューの間も笑顔を絶やすことはなかった。享年53歳。
新生BCライオンズ、開幕戦を白星で飾れず
今季から正QBとしてチームを率いるマイク・レイリーのBCライオンズ復帰初戦を白星で飾ることはできなかった。
昨季にウォーリー・ブオノ監督、ライオンズを2011年グレイカップ優勝に導いたQBトラビス・ルーレイが引退し、チームは新生ライオンズとして今季、出発することになった。
そのQBを任されたのが、2011年にはライオンズ2番手QBだったレイリー。その後エドモントン・エスキモーズに移籍し、2015年グレイカップ優勝。昨季オフシーズンにライオンズと契約した。
ファンの期待を背負って船出したレイリーのライオンズ。前半を終え17-14とリードしていたが、第3クオーターに逆転され、23-33で敗れた。
次のホームゲームは7月11日、レイリーの古巣エスキモーズと対戦する。
(取材 三島直美)
BCライオンズ復帰戦となったQBレイリー(#13)。2019年6月15日。Photo by Preston Yip