2019年1月1日 新年号

2017年にCDをリリースし、本格的に歌手として活動するため昨年(2018年)の春、日本に拠点を移した渡邉宣之さん(74歳)。カナダ生活40年を経て、新たにスタートした日本での生活とは? 一時帰国中の渡邉さんに話を聞いた。

 

2017年にリリースした初のCD『すみれ草』(撮影:『月刊・歌の手帖』)は、業務用カラオケシリーズ「JOYSOUND」からカラオケ発信中

 

カラオケざんまい

 「日本ではカラオケ喫茶めぐりです」と話すノブさんこと渡邉宣之さん、74歳。

 昨年春の帰国から半年後の9月には、神奈川県横浜市の多摩プラーザで『帰国記念デビューライブ』を開いた。作詞家協会理事で作曲家のたきのえいじ先生、友人で歌手の藤森美伃さんが応援にかけつけたほかカラオケ仲間が大勢集まったことなど、ノブさんの人望と交流関係がうかがえるコンサートだったようだ。

 10月には横浜市の『緑の風祭り』に招かれて歌い、続いて演歌歌手、成瀬みのりさんのプチディナーショーにゲスト出演し仙台で歌った。このとき主催の(株)東北メディアクリエイションが「いぶし銀の様な歌手、カナダ在住、70歳を超えて歌手になる夢を実現させて日本に…。カナダに40年以上住んでいたからこそ歌える日本の唄!」と絶賛し、後押しした。

 11月には藤森美伃さんのデビュー20周年記念コンサートにゲスト出演し『すみれ草』と『今、君に会いたい』を熱唱した。

 

日本に住む手続き

 カナダ国籍のノブさんは日本での定住許可証を受け取ったものの、実際に生活するにあたり、さまざまな手続きをこなさなければならなかった。

 「携帯電話の購入も銀行口座を開くことも住所がないとできませんので、最初に住居を借りなければなりません。借りる場合保証人はいりませんが、緊急連絡先が必要となります。保証会社が保証人の代わりとなりますが、簡単ではありません。審査があり、これに通らなければ保証してくれませんので、住居を借りることができません。一番大事なことは、賃貸人が賃借人を承認するかどうかです。僕はカナダ国籍なので、この点スムーズにはいきませんでした。たとえ日本人でも、国籍が違うと嫌がる賃貸人がいるということです。それと年齢も関係しています。日本では孤独死がありますので、そのとき73歳という年齢が問題でした。マンションやアパートを借りるのに難儀しました」

 「住居が決まると市役所へ手続きに行き、市役所(区役所)で入国管理事務所への手続きもしてくれます。在留証明書は移民局で自分の立場を言えば、住所はなくてもその場で作ってくれます」

 

日本とカナダを比較

 日本とカナダで大工として働いたノブさんが日本に住んで気づいたことは、マンションの天井の高さだった。

 「今の日本のマンションは天井が低いので、圧迫感があって気分的に休まらないですね。以前の天井の高さは2メートル40センチ、現在は2メートル10センチしかないようです」

 「高いのは健康保険料。僕はBC(ブリティッシュ・コロンビア)州ではこれといって収入がありませんでしたので、健康保険料はありませんでした。ほかに介護保険料、その他の費用。水道、ガス、電気料金がBC州より高いこと。でも歯医者は健康保険が使えます」

 「楽なのは、交通網がバンクーバーよりはるかに発達していることです。カナダに比べ消費税や物価が安くチップ制度もないので、外食も手頃です。お弁当など手軽に購入できて種類も豊富でおいしいことは、独り身にとって大いに助かっています」

 

歌と、人との触れ合い

 知名度が低いため仕事はまだまだ少ないと話すが、毎月、有力音楽雑誌に1ページ大のカラー広告を出してもらっている。「芸能関係の仕事は難しいですね。すべての歌手はライバルですから、それを頭に入れて行動しなければなりません」

 半年を越すとBC州の健康保険が使えなくなるため、実際にはカナダと日本を行ったりきたりする生活。昨年の夏は猛暑に遭遇し、日本の冬は室内が寒いことも実感している。

 「生活する上においてはバンクーバーのほうがよいかもしれません。ただ僕の場合は、日本の歌が趣味で、日本では毎日のように歌に接することができます。人との触れ合いも大切で、日本ではそれが多くできます。できれば住居はバンクーバーで、ときどき歌いに日本に帰れるならば、それが理想かもしれません。日本での生活はまだ半年なのでこれからわかってくることもあると思いますが、悔いが残らないようにできることをやっていきたいと思っています」

 失敗を恐れないチャレンジャー、ノブさんの勇気と熱意には脱帽する。彼の生き方から感銘を受ける人も多いことだろう。日本とカナダを行き来して夢に向かって生きるノブさんに、熱いエールを贈りたい。

 

渡邉宣之(わたなべのぶゆき):1944年11月、東京都出身、川崎育ち。1979年に家族とともにバンクーバーに移住。和風建築の大工としてブリティッシュ・コロンビア大学(UBC)アジアセンター内の茶室『和光庵』、コキットラム市東漸寺の茶室『瑞光軒』の水屋などを手がけたあと早期退職しカラオケに励む。日本のカラオケ大会での受賞多数。2016年に三重県で開催された『第1回全国カラオケ歌謡うた自慢・グランドチャンピオン大会』で初のグランプリ優勝。翌年9月、亡き妻の命日に初のCD『すみれ草』をマガジンランド社からリリース。2018年春、日本に住居を移し、本格的に歌手として活動中。9月に神奈川県横浜市の多摩プラーザで『帰国記念デビューライブ』を開いた。

(取材 ルイーズ阿久沢 / 写真提供 渡邉宣之さん)

 

 

日本で歌手活動をする渡邉宣之さん。2018年11月、藤森美伃20周年記念コンサートにて

 

歌手、作詞家、作曲家、編曲家、ラジオパーソナリティの花岡優平さんと。「数年前に知り合い、お付き合いをさせていただいているきさくな方です」

 

2018年9月7日に開催したファーストコンサートにて。(左)作詞家協会理事のたきのえいじ先生(『すみれ草』の作詞、作曲者)、(右)藤森美伃さん。作曲家、歌手(『今、君に逢いたい』を作曲)

 

渡邉さんのファーストコンサートにゲスト歌手として出演したみなさん。(左から)東京都八王子市在住の高尾ゆきさん、作曲家で歌手の藤森美伃さん、渡邉宣之さん、北海道函館市からかけつけた高田ともえさん

 

2017年にリリースした初のCD『すみれ草』(撮影:『月刊・歌の手帖』)は、業務用カラオケシリーズ「JOYSOUND」からカラオケ発信中

 

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