2018年9月20日 第38号
上戸ゆきさん(29才)。自転車ひとり旅でカナダ横断を成し遂げた女性だ。まなじりを決した冒険家のような人かなと思ってお会いしたが、その口調や表情からは、気負いがなく、まるで「隣町のコンビニまで行ってきた」かのようなさりげない印象だ。日本の美大を卒業後、個展、グループ展などで作品を発表するアーティスト。作風は、一言でいえば“ファンタジー”。でもこの先、どんなふうになっていくかは本人もわからないという。もともと定住するのが苦手で、引っ越しを繰り返し、旅が大好き。19才のときに北海道一周の自転車旅行をしたのがきっかけで、たびたび自転車で出かけているという。昨年9月にウィスラーでのワーキングホリデーで来て、そして、今回のカナダ横断自転車ひとり旅の直前、フランス・パリでのグループ展に出展。発表した作品は、彼女の個性を凝縮したようで、フェイスブックでも好感度の高い投稿が寄せられている。友人たちは、彼女を表して「雲のようだ。形の変化は風まかせ。ときには日陰を作り、雨も降らせる。変幻自在だ」と。私は、「たんぽぽの綿毛のようだ」と思った。そんな気ままな自転車旅行でカナダ横断をした旅日記を本人のつぶやきと、絵と写真でご紹介。
(取材 笹川守)
インタビュー時の上戸ゆきさん(写真提供 上戸ゆきさん)
5月15日 ウィスラー出発
自分の目で見て、身体で感じて、それでこそ、旅の醍醐味だと思っている。だから、旅のツールとして、自転車を選んだのは、自然なことだった。
自転車で走ることで風を感じ、雲の流れを見、虫や鳥の飛び方をよく見るようになる。それは、自然界を常に意識して絵を描いている人間にとっては大きな糧になると思う。
さて、ゆるゆると出発。
旅の始まり
ウィスラーからリロエットへ抜けるダッフィレイクロード、初日にこの急な山道は、辛かった。車で登るのもたいへんな道…休み休み登ったが、途中で野宿決定。初めての森のなかでたった一人での野宿は緊張していたが、それよりも疲労感が強く、思ったよりぐっすり眠ってしまった。
5月24日 ロッキー山脈
ロブソン山が目の前に見えてきた。ジャスパーに向かう途中は、ロッキーの山々に囲まれて走る。日中は、日射病に悩まされるくらい日射しが強いが朝晩は、歯が噛み合わないくらい。
ロッキー山脈を前にした時、その偉大さに感動して、まさかの涙が出た。アイスフィールドの展望台までは恐ろしい坂と向かい風。登りきった感動よりも寒さと疲労が強かった。だが、坂の途中色んな人に声をかけてもらえ、心強かった。 ロッキー山脈では野生の熊や鹿によく出会った。熊が真横にいたときは、何も考えずに前だけを見て走り抜けた。車やバイクと違い、スピードもでない、身体を守るものもない。生身対生身。キャンプをしているときも常に耳は森へ向かっていた。ある意味、私も野生に帰っていた時間だった。
カルガリー
バンフからは旧道を走ってカルガリーへ抜けた。久しぶりの街、車を避けながら必死で走っていたが何度もクラクションを鳴らされる。友だちの紹介でトロントへ向かう友だちと合流。2人旅になった。
サスカチュワン州
平原のなかを走り続ける。車で走る人は何もなくてつまらないという。自転車で走ると違う。平らな道で気温もポカポカしていると確かに漕ぎながら眠くなることは何度かあった。でも、風の音、鳥のさえずり、何十種類もの鳥たちを見ていて飽きることはなかった。野生動物の鹿やうさぎ、アライグマを見かけたのは、車に轢かれた後の死体のほうが残念ながら多かった。
まだ、轢かれたばかりで生々しく真っ赤な血が流れている鹿に鷹やカラスが群がっていた。鹿は死にカラスは生きる。私は、その死体を見て、死から強い生を感じた。
6月4日 ポーテジポラリー
友達と分かれて1週間ほど1人で走る。もうすぐで次の街だ、というところで雷と豪雨に当たってしまう。平原地帯の中で森も林も近くに見当たらない。風と雨が強くて呼吸も苦しい。目も開けられないほど。後ろから容赦なく車が我先にと街へ向かって走り去る。ヒッチハイクするのも危険だと思った。ようやく林を見つけ、自転車から転がり落ちるように逃げ込む。雷は頭上に落ちんばかりに雷鳴を轟かせていた。頭の先から足の先までまさに全身びっしょり。雷が去るのを待ちながら、こうゆうとき、動物たちはどうやってか、嵐が来るのを察知して、ひどい目に合う前に安全な場所に逃げ込む、そういった野生の勘やどこが安全かがわかるようになりたいと思った。
風が収まり、雷が遠くに去ったので走り始める。目の前から再び雷雲がやって来るのが見えたので、これ以上危険な目にあう前にどこかで野宿することに。大きな家を見つけたので、そこの庭にテントを張らせてもらおうとドアを叩いた。出てきたおじいさんは不審者だと思ったのか、あまりいい顔をしていなかった。私は、とにかく雷が怖いから今晩、庭に泊めてほしい話をした。話をすると、おじいさんの顔は緩み、家の中に入って泊まりなさいといってくれた。風は、今晩また強くなるから外は危険だと。家に入ると孫と犬と介護が必要な奥さんがいた。夕食も出してくれ、温かいシャワーも…全身雨で濡れていたので、ほんとうにありがたかった。クリスチャンの方のようで食事のときには、日々の感謝と私の旅の成功を祈ってくれた。
6月27日 ウィニペグ
ここからは、友達と再会し、友達の彼氏ともいっしょに走ることに。3人旅になった。2人は、カナダ人で、やはり生まれ持った身体の作りが違う。弾丸のように走り続ける2人についていくのに毎日必死だった。日々、3人で同じ食事を食べ、同じキャンプサイトで泊まる。最初は、英語の会話も難しく、いっしょにいること自体がつらいこともあった。次第に打ち解けていったのは、お互いが言葉という壁を意識せずに心を理解しようとしたからだと思う。壁だと思っていたものは、実は自分自身が作り上げていて、越えるものではなかった。いつの間にか壁は消えていた。
7月2日 スールックアウト
ウォームシャワーのホストをしている方と偶然出会う。ウォームシャワーとは、サイクリストたちに無料で寝床、シャワーを提供するグループで、メンバー登録をしておくと、どこの街にウォームシャワーの方がいるのかを知ることができる。
出会ったホストの方は、私たちを家に泊めてくれ、さらに、湖にクルーズに連れて行ってくれた。夕日が沈む時間帯で、湖は文字通り黄金色に輝いていた。その湖に浮かぶ小さな島には、鷲が巣を作り、何羽もの鷲が弧を描いて頭上を舞う。夕暮れ時はエサの蚊やハエが多く飛び回るからだ。初めて間近で大きな翼を広げた鷲をみた。鋭い眼、鍵のように尖った嘴。一枚一枚しっかり飛ぶ役割を持っている羽根。彼らには世界はどう見えるのか。私には、ただただ、自分が小さな無力な生き物と自覚した時間だった。そして、どんなに人間が住みやすいように自然を汚しても追いつかないくらい自然界は美しく、大きい。身震いした。
7月8日 サンダーベイ
五大湖のひとつ。スペリオル湖に面した街。ここからは湖沿いの道を走る。キャンプはビーチ沿いで、夕暮れ時の夕陽が美しい。ただ、蚊がいる。いるという数ではない。テントの外に出たらあっという間に十数匹は身体に止まってくる。テントに入る時には手や足で払いのけながら中に入ってこないように身体を滑り込ませる。だが、どう頑張っても数匹はいっしょに入ってきてしまう。毎晩、蚊の出る時間よりも前に食事や用を済ませて10時前にはテントに入らなくてはならなかった。それなので、ほとんど旅の間中、満天の星空というものを見ることはできなかった。
7月20日 スーセントマリー
自転車で旅する人たちの中では有名な自転車屋さんがある。ここでは、サイクリストには無料でシャワーやお店の裏にある小さなキャンプサイトを使わせてくれる。そして、自転車に不備があれば、自転車の部品、工具ならなんでも揃っているので、お店に修理を頼む人もいれば、部品を買う人もいる。自転車屋さんにとってもサイクリストにとっても良い関係なのだ。
7月21日 テサロン
“メノナイト”という人たちが開いているファーマーズマーケットに行った。彼らは、添加物を使わずに料理をし、馬車に乗り移動し、電気製品を使わず、昔ながらの西洋の格好をして、女性は化粧をせず、男性は麦わら帽子をかぶっている。私にとって、とても珍しい人たちとの出会いだったので、つい、「写真を撮らせてください」とお願いした。これもほんとうはタブーだったようだ。カメラを向けたメノナイトの小さな少女は、どうポーズをとればよいか緊張した様子だったが、何よりもスマートフォン自体に驚いているようだった。ファーマーズマーケットで買ったシナモンロールもタルトもバターたっぷりでまさにホッペがとろけそうになった。果物や野菜も新鮮でおいしいものばかりだった。
スーセントマリーの運河をはさんで向こう岸はUSA。他国がすぐそこに見えるところにあるというのが、私には新鮮で不思議な感覚だった。同じ地球で、国境というラインは目に見えないのに。文化も言葉も(カナダとアメリカだから大差はないが)違う。その国境を私たち日本人はほとんど難なく越えることができる。日本に生まれて自由に国を行き来できることに感謝した。
7月27日 マニトゥーアイランド
五大湖の二つ目、ヒューロン湖に浮かぶ島。ここはたくさんの鳥が生息していた。鶴やグースを見つけるとつい、自転車を止めて魅入ってしまう。
トロントがいよいよ目前となってきた。本土へはフェリーで2時間ほど。自転車は車両なので車と同じ地下に停め、着岸すると大きな扉が開き優先して外に出ることができる。扉が開く瞬間が好きだ。どんな街が待っているのか、と。
7月27日 ウィスラーからトロントまで約4500Kmのカナダ横断が終わる
カナダは広い。自転車で旅しなくてもそれはわかるが、こうして自分の身体で少しずつ、少しずつ進むと広いだけではなく、深い。州によって環境も文化も歴史も人間も違う。それを体感できた。
カナダの大陸を旅して感じたのは。どこの国から来たかは問題ではなく、何をしているか、何を感じていきているか、信念を何として生きているかが大切なのだということだった。
私は旅を通して大事なものを見つけることができた。これからもワクワク。前向きに生きていける。
私には、絵を描くこと、旅すること、自転車で走ることは、どれも重要な人生のアイテムだ。最高の人生に感謝。
(記事/写真提供 上戸ゆきさん)